めちゃイケは僕の「家族」だった 三中元克が「平成のお化け番組」で過ごした日々と今

1月4日(金)11時0分 J-CASTニュース

三中元克さん(写真は2018年12月撮影)

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平成30年(2018年)3月、バラエティー番組「めちゃ×2イケてるッ!」(フジテレビ系、以下めちゃイケ)が22年の歴史に幕を下ろした。

平成8年(1996年)に始まった「めちゃイケ」は、全盛期には視聴率20%超を連発する「平成のお化け番組」だった。終了のタイミングも含め、まさに平成という時代を象徴するバラエティーだったといっても過言ではない。



めちゃイケとはどんな番組だったのか。振り返るにあたって、平成22年(2010年)に唯一素人で新メンバーオーディションに合格し、約6年間出演した「dボタン」の三中元克さん(28)を取材した。



「受かっちゃったけどどうしようかな」



平成22年(2010年)10月、めちゃイケはプロアマ不問の新メンバーオーディションを開催した。当時、レギュラーの岡村隆史さんが体調不良で長期休養中だった。同番組ならびに岡村さんの大ファンだった三中さんはオーディションに応募し、見事メンバー入りを勝ち取った。



——メンバーに選ばれた瞬間は覚えていますか?


三中:うれしかったです。でもそれはほんの一瞬のイメージですね。(番組の)放送が終わるまでは夢みたいでした。家に帰ってからは部屋の灯かりもつけず、「受かっちゃったけどどうしようかな」とそわそわしていました。


——番組初収録はどうでした?


三中:初収録では(自分が)ビンタされるくだりがあって、それが本当に怖かったです。でも、その(ビンタされたときの)顔が(スタッフには)すごく面白かったらしくて。自分では何がいいのかわからないまま収録が進んでいきました。なので、毎回手ごたえのようなものはなかったです。


——楽屋の雰囲気はどんな感じなんですか?


三中:僕が最初に話しかけたのは、ジャルジャルさんです。「ファンです」と言いました(笑)。前室では、メンバーのみなさんが雑談しているんですけど、自分からは話しかけにいきづらかったです。端っこの方で座っていたら、福徳(秀介)さんがずっと話しかけてくれました。福徳さんが収録の支えになっていましたね。今でもよくしてもらっています。

——大ファンである岡村さんとは話せましたか?


三中:印象に残っているのは、2年目か3年目くらいに、(自分の)誕生日に楽屋で岡村さんと2人きりになるタイミングがあって。そこで「今日誕生日なんですよ」と話しかけたら、「そうなんや、おめでとう」と言ってくれて。仕事終わりに、スタッフさんから大量のめちゃイケグッズのプレゼントを貰いました。岡村さんが裏で言ってくれたみたいで、うれしかったですね。


ドッキリで頭が真っ白に...



「ずっと番組に貢献できていなんじゃないかと不安だった」と話す三中さん。めちゃイケの収録は企画ごとによって参加メンバーが変わるため、必ずしも毎週呼ばれるわけではなかった。毎日フジテレビの食堂で朝から晩までアルバイトをしていたという。そんな中で、平成26年(2014年)に三中さんにとっての大きな転機があった。めちゃイケの企画で、岩手・盛岡のプロレス団体「みちのくプロレス」に入団し、プロレスラーを目指すことになった。



——企画を最初に聞いたときはどう思いましたか?


三中:あれ、まったく聞かされていなかったんですよ。あるとき、打ち合わせがあるので家にいてほしいとスタッフさんに言われて待っていたら、突然岡村さんが現れて。そこで盛岡行きの(新幹線)チケットを渡されるんですけど、何も言わないんですよ。盛岡に着いて岡村さんとタクシーに乗るんですけど、どんどん山に入っていくので怖くて。タクシーを降りたら小屋みたいなのがあって、体格のいい男性が立っていました。みちのくプロレスの社長でした。


——プロレスジムに着くまで何も明かされなかったんですね。


三中:そこで岡村さんが「社長、三ちゃんをお願いします」と頭を下げて、社長が「明日から三中くんを立派なプロレスラーにします」と返して、そこで初めてわかりました。プロレスは観るのもやるのも苦手なんで、頭真っ白になりました。これがめちゃイケのドッキリのすごさなんですけど、こればっかりは事前に言ってほしかったですね(笑)。


——翌日からすぐにトレーニングが始まるんですよね。


三中:いきなり「スクワット500やってください」って言われて。冗談かなと思って(笑)。でもガチなんですよ。最初は40回が限界でした。途中から、(500回)できるようになるんですけど、300をこえるときつかったです。


——やっぱりトレーニングはきつかったですか?


三中:デビューするまで帰れないと聞かされていました。10か月くらい、トレーニングだけをしていました。でも(腹筋などの体力)テストに受からない。体がついてこないんです。


——精神的なストレスもありましたか?


三中:精神状態が不安定でした。早く帰りたい、でも今やっているトレーニングをクリアすると、明日からにはもっとつらいことが待っている。プロレスの現場も観にいったんですが、血だらけのレスラーの方をみて、足がガクガクして。テストに合格したらこれをしないといけないんだと思って、また怖かったです。


——それで辞める決断をするわけですね。


三中:今考えたら、迷惑をかけたなと思います。みちのくプロレスさんも早く僕をデビューさせないといけないプレッシャーがあったと思うんです。番組の企画なので、画的にもずっと変わらないのはと。でも怖くて先に進めない。これ以上続けていても(デビュー)できないんじゃないかと思って、スタッフさんに相談しました。


最終回のために「全部スケジュール空けて」いたけど...



平成28年(2016年)2月、三中さんは現在のよしもとクリエイティブ・エージェンシーの所属芸人となる。プロレス企画の断念、芸能事務所所属などを受け、三中さんのレギュラーメンバー継続を、国民投票で決めることとなった。その結果、支持票が44%と過半数を割ったため、降板が決まった。しばらくは番組が見られなかったが、次第にファンとして楽しめるようになったという。



——めちゃイケの最終回は観ましたか?


三中:リアルタイムで最初から最後まで全部見ました。「出たかったな〜!」って思いもあります(笑)。3月ごろの(いつも番組収録があった)火曜・水曜は全部スケジュール空けていました。終わったときはいろんな寂しさがありました。また特番とかで復活したら、そこで呼ばれたいという思いはあります。それを励みに頑張りたいと思います。


——「めちゃイケ」とは、三中さんにとってどんな存在でしたか。


三中:家族...ですね。いろんなことがありましたけど、芸人・三中をつくってくれたのがめちゃイケなので。たくさんのことを学ばせてもらいました。今の自分がいるのはめちゃイケに育てていただいたおかげなので、感謝しています。


——現在はピンで活動されていますよね。


三中:最近、趣味を活かせる仕事ができています。昔から仮面ライダーとかスーパー戦隊とか特撮がすごく好きで。営業とかで変身ポーズをやると、子どもが喜んでくれて。よしもとのイベントで定期的に「ウルトラマンライブ」というのをやっているんですよ。元ライダーの方をゲストに呼んだり、特撮好き芸人が集まってトークをしたりしています。最近やっと自分の道が見えてきたのかなと思います。


——今後の目標はありますか。


三中:今、ウルトラマンライブが好評なので、これを続けてもっと盛り上げたいですね。それで、特撮関係の仕事がもっと増えたらうれしいです。「アメトーーク!」出たいですね。特撮芸人、仮面ライダー芸人とか。










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