日本発「AI7原則」は世界をどう変えるのか?

1月8日(火)6時0分 JBpress

アリババ「近未来ホテル」がオープン。写真はホテルレストランのロボット店員(2018年12月17日撮影)。(c)CNS/張茵〔AFPBB News〕

 米中対立、各国で対等するポピュリズムなど、様々な波乱が予想され、先行きの見通し難い2019年が明けました。

 日本の未来も大半は見通し難いものですが、いくつか、自他ともに間違いなく予想が立つポイントがあります。

 その一つは、日本が世界で最初に超高齢化社会に突入すること、そして多くの国がそれを後追いする形になること、これはまず外れることはないでしょう。

 第2次世界大戦後、1947年近辺から人口のピークが立ち上がるベビーブーマーが75歳を迎えるのが2022年頃から、という勘定になります。

 一方で、イノベーションの観点からは、高度な情報化による「あらゆる人」「あらゆるモノ」の関係づけが進むスマート社会「Society 5.0」の実現といったことが謳われています。

 この技術的な進展が、人類史にかつて例を見ない高齢化社会で実現していくという、日本社会の現実を、直視する必要があるでしょう。

 現在急速に技術革新が進むAI、各種の人工知能についても、それが社会に応用される現場が、日本の場合、前例のない高齢化社会に対してであるということも、もっと腰を据えて見る必要があると思います。

 今回は、そんな中で、AIの国際的な開発動向に、日本がグローバルなイニシアティブをとることが期待される「人間中心のAI7原則」について、お話してみたいと思います。


大阪サミットと「AI7原則」

 政府は2019年6月、大阪で開催が予定されている「G20大阪サミット」の議長国として、グローバルに急速な進展を見せる「AI」人工知能について、世界に類例の少ないオリジナルな原則提言を発表する方向で、現在準備を進めています。

 内閣府は昨年春「人間中心のAI社会原則会議」(議長:須藤 修 東京大学教授)を設置し、半年余に及ぶ集中した審議を通じて、ほぼその全貌が整いつつあり、報道にもアウトラインが載るようになりました。

 この提言の本質は「AIが社会に横溢しても、その中心となるのは人間である」という大原則を歌い上げることにあります。その柱として

(1)人間中心の原則
(2)教育・リテラシーの原則

(3)プライバシー確保の原則
(4)セキュリティ確保の原則

(5)公正競争確保の原則
(6)公平性、説明責任及び透明性の原則

(7)イノベーションの原則

 という7つの原則を打ち立てています。以下、これらが何を意味するのか、検討してみましょう。

(1)人間中心の原則:

 AIの利用は、憲法および国際的な規範の保障する基本的人権を侵すものであってはならない。

 「シンギュラリティ」という言葉があります。「AI」などの人工的な知能が、生身の人間を超えてしまうというSF的な議論で、それなりに話題にもなり、ファンもいるようです。

 しかし、現実に人工知能が人間を凌駕というだけなら、電卓の四則演算能力の方がはるかに私たちよりも優っています。でも、電卓を駆使するのも人間なら、計算にミスがあったとき、責任を問われるのも人間です。

 そういう基本的な本質が、実はきちんと明文化されていなかった。この「AIの人間中心原則」は、非常に意味のある、また重い内容を持つものです。

 基本的には「AIは計算する。しかし、その結果を判断するのは、すべて基本的に人間である」というのが、一番重要なポイントです。

 シンギュラリティに限らず、「優れた人工知能が出現すると、人間を超えて何かをしてくれるという勘違い、誤解というよりは機械仕かけの神への、原始信仰のようなものがかつては見受けられました。

 いまやそんな悠長なことを言っていられる状態ではなくなった。しっかりと人間の責任所在を明確化しなければ、自動運転車一つ動かせないという、リアルなテクノロジーの状況を示していると言ってもいいでしょう。

(2)教育・リテラシーの原則:

 AIを前提とした社会において、我々は、人々の間に格差や分断が生じたり、弱者が生まれたりすることは望まない。

 これも本質的なポイントです。

 分かりやすく言うと「AIデバイド」が発生してはいけないということです。

 これを強調せねばならないのは、逆に言えば、明らかにAI弱者は生まれる、AIデバイドは不可避的に発生することが分かっているからとも言えるでしょう。

 かつて1995〜2000年にかけてインターネットが普及し始めた時期「デジタル・デバイド」の危機が叫ばれました。

 ネットワーク情報化に乗り遅れることで、社会的に弱者となる人が出る可能性がある。

 そこで予想されたのとは違う形だったと思いますが、実際、ネットの普及はいくつかの職種を消し去り、「バス」に乗り遅れた人を置き去りにした面もあったように思います。

 「IT革命」が叫ばれた1995年、1947年頃に生まれた日本人人口の一つの山、団塊世代はいまだ40代で、人口の大半はいまだ若く、日本でのネット普及はそれなりの高率に及んだと思われます。

 さてしかし、今後、新しいテクノロジーへの適応に時間や難のある高齢者が人口の過半を占める中で、AI利用のシステムが社会に充溢するとき、デバイドのバスに乗り遅れ「AI弱者」になる人が出ないという保証はありません。

 「IT革命」よりも影響の甚大な格差発生をあらかじめ念頭において、その予防や是正を考える必要があります。

(3)プライバシー確保の原則

 AIを前提とした社会において、パーソナルデータが本人の望まない形で流通したり、利用されたりすることによって、個人が不利益を受けることのないよう、データを扱わなければならない。

 このポイントが「IT革命後期」とAI駆動前提時代を分かつ、最大の点の一つと言ってもいいかと思います。

 ネットが普及し始めた当初、個人情報はダダ漏れで、企業もハッカーも大半の情報は取り放題、プライバシーやセキュリティへの配慮は、声高に叫ばれる割にはテクニカルには対策が後手に回っていました。

 1995年に始まったネットの普及が2000年4月にいったん小康状態を迎えて以降、とりわけ2005年前後からはデータベース駆動による個人情報の囲い込みが次のトレンドとして位置づけられ始めました。

 やがて「ビッグデータ」の標語とともに、次世代を制するのはデータを押さえた者だといった趨勢が生まれました。

 SNSの誕生と普及、分かりやすく言えばツイッターやフェイスブックの一般化がこの流れを代表しています。

 これらの過去ログ、またそこに含まれる情報や、登録に必要な個人情報の取り扱いについては、明確な基準がなく、様々な流出、濫用があったことも、すでに報じられている通りです。

 こうした「ビッグデータ」を「何とかする」ニーズから生まれたのが、2010年代の「第3次AIブーム」にほかなりません。このポイントもはっきり押さえておく必要がある部分です。

 一定以上のパワーを持つAIの検索能力をもってすれば、断片的な情報から、個人の様々な生活の細部を浮き彫りにすることができてしまいます。

 その濫用を戒め、本人の「知られる権利」を侵犯させず、「知らないうちに不利益をこうむらされる」リスクを最小にしなければならないという原則も、これから制度を確立してゆかねばならない未来の課題にほかなりません。

 このことを一般化したのが、次の第4原則です。

(4)セキュリティ確保の原則:

 AIを積極的に利用することでセキュリティに対する新たなリスクも生じる。社会は、常にベネフィットとリスクのバランスに留意し、全体として社会の安全性および持続可能性が向上するように務めなければならない。

 第3原則では「個人情報」に限局して議論したものを、社会的な安全、セキュリティに関しても徹底する必要があります。

 分かりやすい「個人情報以外」の「情報」として、会社や機関のもつ個人情報以外の守秘性の高いデータを考えてみましょう。

 例えば、出題以前の入試問題。あるいは会社の戦略情報や顧客行動の生データなど、「デリケートな取り扱い」が求められるデータは個人情報以外にも世の中に満ち満ちています。

 競争入札などで、伏せておかねばならない取引情報を含む紙を、コンビニの(デジタル)コピーで複製したら、どこからどうやって探したものか、その残存データが漏えいして・・・というようなケースは、決して笑い話で済まない状況になっている。

 また「ベネフィットとリスクのバランス」に配慮し「全体」を考える、という表現から誤解を生まぬよう、以下のように補っておきましょう。

 様々なリスクがあるから、「あらかじめそのような危ないものはやめてしまえ!」という議論があります。

 例えば産業革命期、1811〜1817年頃の英国では、機械によって職を奪われることを危惧した職人たちによる「機械破壊」ラッダイト運動と呼ばれるムーブメントがありました。

 機械などという物騒なものがあると私たちの仕事が奪われる。壊してしまえ!

 ということですが、実際には、非効率な手作業は機械化により合理化され、旧世代の職業が凌駕される趨勢を覆す事はできませんでした。

 AIが普及することで、現行の多くの職種が消滅すると予想されるのは周知の通りです。

 専門資格を求められる、いわゆる「知的」な職業の多くがシステムに取って代わられる可能性が高い。

 弁護士、行政書士、弁理士、税理士、公認会計士といった職種も、現在とは大きく様変わりする可能性が高い。

 こうしたAIの普及とともに、そこで取り扱われる 個人情報は元より、多様な情報の取り扱いについて、どのように考えていけばいいのか?

 ほとんどすべての問題は、いまだ結論はおろか、問題の所在すら社会的には確認されていない状況にあります。

 新たな変化によって利益受ける人もあれば、不利益を被る人も、間違いなく発生するはずです。

 それらについて、長期的な観点から全体像を見失わないイノベーションと制度設計、運用が必要不可欠であることを、この原則は述べているわけです。

 以下

(5)公正競争確保の原則 :
(6)公平性、説明責任及び透明性の原則:
(7) イノベーションの原則:

 については次回に記すこととして、こうした変化に対して「中心」として位置づけられる「人間」の、最大の特長と限界、それらが超高齢化社会でどう考えられるべきか、について本稿では触れておきたいと思います。

 最大のポイントは、人間の知能は「遅く」、かつ素早く「疲れる」ということです、機械は動力源さえ補われれば、また故障しない限り、決して疲れたりしません。

 ここで、マシンの側を論じるケースは多いのですが、実際に懸念されるのは「人間の心の方が折れてしまうリスク」です。

 この問題でよく取り上げられるのが、囲碁や将棋の「電脳対戦」で、人間の棋士は疲れたり、心理的に追い込まれたりしますが、マシンにはそういうことがありません。

 いわば、無神経で押しつけがましいシステムが、社会の随所に入り込んでくる。

 その状況を乗り超えるうえで、現在以上に人間が備えておく必要があると言われるのが「GRIT」、「やりぬく力」などと訳されますが、AIが苦手とする、人間固有の能力の涵養にほかなりません。

 「GRIT」とは「Guts(胆力)」「Resilience(打たれ強さ)」「Initiative(発想力)」「Tenacity(忍耐)」の4者をまとめたもので、「やり抜く力」という訳語は中々秀逸だと思います。

 これらがないと、身近に登場し続けるであろう、AIのような存在を使いこなしていく、したたかな人間の知恵は育ちにくい。

 もっと言えば、これらを欠くとき、結果的に人間がAIに振り回されてしまうという現象が起きると言ってもいい。そうした事態に対処する基礎に、私自身コミットしているため、この様な解説を記しているわけです。

 しかし、ちょっと見直してみてください。

 「ガッツ」「打たれ強さ」「発想の転換」「我慢づよさ」・・・全部、日本であればどこか「スポ根もの」すなわち、かつての「巨人の星」みたいに、スポーツの目標を根性で<なんとかする>気合いみたいなものに、流れかねない標語であることに、お気づきいただけると思います。

 AI時代に人間がシステムに対処していくための「GRIT」は、前世紀型の根性至上、精神主義では、到底歯が立ちません。これは言うまでもないでしょう。

 では、AI時代に人々をしたたかに支えるGRITとは、どのようであるべきものか?

 これについては 今回は紙幅が尽きましたので、続稿で考えたいと思います。

(つづく)

筆者:伊東 乾

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