長野五輪、スラップスケートが2人の明暗を分けた 振り返る「魔法の靴」の教訓

1月18日(土)11時0分 J-CASTニュース

1997年の世界選手権。堀井氏が1位、清水氏は2位だった。翌98年の長野五輪では、2人の明暗が分かれることに(写真:ロイター/アフロ)

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米スポーツ用品大手ナイキの「厚底シューズ」問題が大きな波紋を広げている。マラソンをはじめとする陸上の長距離で「厚底シューズ」を使用した選手による好記録が続出。これを受けて世界陸連が新規則によって禁止すると複数の英メディアが報じたことで事態は混迷している。2020年東京五輪を半年後に控え、選手、関係者からは困惑の声が上がっており、「厚底シューズ」を巡って陸上界が大きく揺らいでいる。

いまや陸上の長距離選手にとって必須アイテムとなっているナイキの「厚底シューズ」。男子マラソンの世界記録保持者エリウド・キプチョゲ(ケニア)が愛用していることでもしられ、日本記録を持つ大迫傑(ナイキ)ら多くの日本トップランナーが履いている。この流れは学生スポーツにも波及し、今年の箱根駅伝では出場210人中177人がこのシューズを履き、シェア率は実に84.3パーセントだったという。


「魔法の靴」はオランダ製スラップスケート


「魔法のシューズ」は陸上界の常識を変えたといってもいいだろう。靴底に炭素繊維のプレートを内蔵し、これをミッドソールで挟むことによって高い反発力とクッション性が生み出されるという。これまでマラソン選手らが履いていた薄いソールとは全く逆の発想から作られたもので、効果のほどは明記するまでもなく、マラソンや駅伝などの記録ラッシュが如実にそれを物語っている。


かつて冬季五輪で「魔法の靴」といわれたものがある。スピードスケートのスラップスケートである。オランダのバイキング社が開発したスケート靴で、1997年にオランダ選手がスラップスケートを履いて好記録を出したことで世界中の注目を集めた。スラップスケートはすぐに世界に広まり、98年の長野五輪では日本代表をはじめ多くの国の選手が使用し、レースを大きく左右した。


スラップスケートは「厚底シューズ」同様に画期的なものだった。これまでのスケート靴は、靴とブレード(刃)が完全に固定されていたが、スラップスケートはかかととブレードをつなぐ部分が離れ、バネ仕掛けで戻る仕組みとなっていた。次々と記録が更新される事態に一部では禁止を唱える声があがったが、国際スケート連盟は使用を許可し、長野五輪では5種目で世界記録が誕生した。


世界最高峰の選手でも時間が足りなかった


当時、記者はスピードスケートを取材しており、現場ではスラップスケートの話題で持ち切りだった。どの選手がどのタイミングでスラップスケートに切り替えるか。そしてスラップスケートにどのようにして対応するか。なかでも注目を集めたのは、日本スピードスケート短距離界の両エース、清水宏保氏と堀井学氏だ。長野五輪直前に出現した「魔法の靴」は、日本の2人のエースの明暗を分けた。


「ロケットスタート」が代名詞だった清水氏は1996年に男子500メートルの世界記録を更新し、一躍、長野五輪の金メダル有力候補とされた。一方の堀井氏は前回大会の94年リレハンメル五輪の男子500メートルで銅メダルを獲得。97年の世界選手権では同種目で優勝しており、清水とともに金メダル候補として大きな期待がかかっていた。


結果からいえば、清水氏が男子500メートルで金メダル、1000メートルで銅メダルを獲得したのに対し、堀井氏はメダルなしに終わっている。スラップスケートへの対応に自信があったという清水氏は独自に改良した靴を使用して期待に応えた。一方の堀井氏はノーマルタイプからスラップスケートへの切り替えが遅れた。世界最高峰の技術を備えていた堀井氏をもってしても順応するための時間が足りなかった。


スポーツ選手と用具は切っても切れない関係にあり、その歴史を振り返れば用具の品質向上が記録の向上を後押ししてきた。英メディアが報じるように何らかの理由で「厚底シューズ」が禁止となれば、選手が受ける影響は少なくないだろう。長野五輪の時とは逆のケースとなるものの、選手が強いられる「負担」は変わらない。選手ファーストと謳うのならば、一刻も早い解決が望まれる。




(J-CASTニュース編集部 木村直樹)

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