ブレグジットの「漁夫の利」を取るのは誰か?

1月22日(火)6時12分 JBpress

英首都ロンドンにある下院で演説するテリーザ・メイ英首相、英議会提供(2019年1月16日撮影、資料写真)。(c)AFP PHOTO / Jessica Taylor / UK Parliament〔AFPBB News〕

 2019年1月15日、英国下院で「ブレグジット合意」が否決されるニュースを私はドイツのベルリンで耳にしました。

 最初に思い出したのは、ほかでもありません、2008年9月29日の、リーマン破綻にあたって米国下院で否決された緊急経済安定化法案です。

 21世紀に入ってからの2大衆愚議決と言っても決して大げさではない、大バカ者ぶりを目にする思いです。

 2008年のケースでは、否決直後にダウ平均株価の歴史的下落が始まり、こうなるともう後の祭り、結局10月3日に法案は可決されますが、何かとても大事なものを、米国も世界もこれで失ってしまいました。

 背景にあるのは、安っぽい勘違いの正義です。「民間銀行の破綻をどうして公の税金で救わねばならないのか?!」的な薄っぺらい無思慮・・・。

 子供のような強がり程度のものです。後先をキチンと見る力がなかったから、こんなことになってしました。

 後ほど記しますが、今回の「合意なし決議」の背景に北部アイルランドの問題があることは日本でも報道されているかと思います。

 あるドイツ人はこれを「分断」と言いました。「分断」の反対は「統一」です。

 つまり、今年30年目を迎える「東西ドイツの統一・ベルリンの壁の崩壊」の逆を、米国や英国は演じている、と。

 「本当に苦労した経験のない、おつむの寂しいおばかさんが、気分だけ右翼のつもりになって国を滅ぼしている。影響さえなければ、これはちょっとした喜劇見物だ」

 こう言って友人はニヤニヤしたのですが・・・。これは一体どういうことなのでしょうか。


逆の手筋で考える分断国家の統一

 現在50代以上の世代であれば、1980年代末の冷戦末期から90年代頭にかけての急激な体制の変化を覚えておられると思います。

 日本では毎日、天気予報ならぬ「下血速報」がニュースに出ていた頃のことです。意味が分からない若い読者は、周りの大人に聞いてみてください。ここでは端折ります。

 壁が壊れた後、開発の遅れた旧東ベルリンには、怒涛のように西側資本が流れ込んできました。

 旧東側は物価が安い。物件も安く、投資効率良くお金が回りました。

 ここ7年ほど、私はベルリン東北部、プレンツラウアー・ベルクというエリアに部屋を借りていますが、古くからの街並みを残した文京区域で、落ち着いた風情が残っています。

 近くには、ここ30年で開発されたアリーナなどもありますが、第2次大戦直後に建てられた映画館など、現在でも十分贅沢な施設で、街の雰囲気をかもし出しています。

 旧東側は「成長の余地」だらけで、投下された西側資本は十二分に回収することができました。

 例えば、そんなベルリンで、突然「ベルリンの壁を復活する」と宣言したら、何が起きるでしょう?

 つまり、域内の交通を遮断し、税関を設け、人・モノ・カネの流動を制限して関税などをかけたら?

 経済は活性化するでしょうか。産業額は上昇するか。総生産や国民所得、有効需要は増えるでしょうか?

 明らかに逆ですね?

 つまり、かなり破壊的なダメージが発生しても何の不思議もありません。そういう、自分で自分の首を絞めるような方向に、結果的に大英帝国の「民主主義」的な議会は暴走している。

 それが432対202、230票差(合計634票、議員定数650)という「歴史的否決」で全否定されてしまった。

 どうも日本のマスコミの風潮は、テリーザ・メイ首相以下の現政権の調停案を「悪いもの」であるかのように書く丸写しが多いように感じるのですが、とんでもありません。

 「合意案」は欧州サイドも心を砕いて、大変に思慮深く準備されたもので、はっきり言って優れたものです。

 本質的に優れたものを、ネット右翼よろしいネガティブキャンペーンで葬り去るという、およそ頭脳がついていないというべき現象が起きている。大陸欧州からすれば、大英帝国の脳死、と見ることにならざるを得ないのです。


アイルランド国境問題

 いま、例えば日本の本州ど真ん中、例えば三重県の鈴鹿とか津あたりに1本、人為的な線を引いたとしましょう。

 山奥から河川、湖まで鉄条網かコンクリートの壁などを敷設して「国境」を作り、そこを通過するたびに人定を行い、物資の移動には関税をかけ・・・というようなことを始めたとしたら、日本経済はいったいどうなってしまうでしょう?

 明治維新という現象は、草莽の志士が奔走して成立した美談であるかのように語られやすく、悲惨な最期を遂げた西郷隆盛など、フィクションのドラマが人気を取るような美談仕立てで思考停止されています。

 しかし、その実は、西欧列強にとって相手になりにくい、既得権益で凝り固まった地元民部族政府、つまり江戸幕府が排除され、扱いやすい若者の政権にすげ替えられた、海外圧力と資金の産物という側面も小さくないと思います。

 実際は列強思惑のバランスの中で東アジアで重工業化と発展を許された「島」として150年余の歴史を刻んでいるのにほかなりません。

 無謀な第2次世界大戦の最低な敗戦の後も、東西緊張のバランスの中で、西ドイツと並んで再び重工業的発展を許され、連合国すなわち戦勝国の思惑を超えて人類史上かつてない高度経済成長を遂げることができた。

 日本人が頑張らなかった、などとは決して言いません。優れた仕事がたくさんありました。

 でも、それは、日本だけが特権的に優れた民族で、例えば中東のクルド族よりも優秀というようなことでは、全くありません。あり得ないことです。

 日本はラッキーな環境にあった。そこで、持ち前の丁寧な仕事のメンタリティを生かすことができ、秒刻みで正確に運行する超高速鉄道網など、素晴らしいイノベーションを遂げられた。

 欧州で考えれば、ドイツ、あるいはEUの真ん中ポカンと空いた穴、スイスなども強い力を持っています。

 それは土壌がすぐれているから種がすくすくと芽を延ばし、高い成果を上げることができるようになっていた。

 人類史全体で考えるなら、こうした産業革命は明らかに「大英帝国」が牽引して、17世紀以来のグローバル社会が動いてきたはずでした。

 グローバルに物事が動くとは、ロンドンを中心に世界が動くことでした。グリニッジ天文台の標準時はダテではありません。

 ニュートン力学は言うに及ばず、蒸気機関、自動織機から、銀の価値を決定的に下げたファラデー、デービーの電気化学、そこで工夫された「金本位制」という大がかりなフィクションまで、1600年代から1900年代にかけての英国は、確かに輝いていました。

 日本がいまの日本になったのも、ガタイだけ大きくて随所がどうにもならなかった清朝末期、これを軍事的に下して賠償金を取り、金本位制に移行して「日英同盟」を締結、誇りある大英帝国が800年来の光栄ある孤立を放棄してくれたおかげです。

 これはドイツも同様で、ガタイだけ大きくて随所がどうにもならなかったハプスブルク朝、神聖ローマ帝国末期、これを軍事的に下して7年戦争から普墺戦争に至る100年の経緯があります。

 これを側面から支えていたのは、実はハノーバー朝王室を要する大英帝国にほかなりませんでした。

 あまり強調されていないかもしれませんが、英国の王室はドイツ系です。

 日本の皇室が大陸半島に「ゆかり」を感じるのとは比較にならないほど、エリザベス女王を筆頭にウインザー家の陽気な方々は血統的には大陸貴族、ドイツ人でした。

 そして、近親憎悪も含めた様々な因果が、ここ300年ほどの英国と大陸ドイツ語圏の間にはありました。

 何でこんなことになるかと言うと、英国が不可思議な形でローマ・カトリックから独立した「宗教改革」が背景にあります。

 カトリックの支配と徴税を逃れ、自由な科学の推進を可能にした英国の転換を「プロテスタント外人王朝」が支えてきました。

 ちなみに長年の読者にはお馴染と思いますが、私自身日本で「英国国教会」信徒4代目という観点から、アングロサクソンの良い面もまずいところも、半世紀余にわたって我がこととして見てきたことから、こうした原稿も記している次第です。

 英国の正式名称は「北部アイルランドならびにグレートブリテン連合王国」というものであるのは周知と思います。

 「イギリス」すなわち「イングランド」というのがグレートブリテン島と勘違いしている人を見かけますが、あの島の北側はスコットランドという別の風土の土地にほかなりません。

 アイルランドは「大英帝国」の極めて早い時期からの「近くて遠い隣人」でした。

 もっとはっきり言ってしまえば、12世紀以来のイングランド入植地という歴史があり、日本で言うなら平安、鎌倉時代あたりからヤマト民族が入った近接する島、という微妙な背景があります。

 アイヌとか琉球にも似た響きが、英国におけるアイルランドという言葉には含まれています。

 私たち音楽の畑の例で挙げるなら「トリスタンとイゾルデ」の伝説は、新興したブリテン島南部の英雄トリスタン15歳が、没落しつつあった大国アイルランドのイゾルデ姫13歳を人質花嫁として船で運ぶ最中、「盗んだバイクで走り出してしまった」というローティーンの愚かな恋愛物語にほかなりません。

 そして恋愛は愚直であればあるほど純粋で美しく、その末路は悲しいものにならざるを得ません。

 様々な歴史的背景はおくとして、ベルファストを中心とする「北部アイルランド」は、ダブリンを中心とするアイルランド共和国の「北方領土」として、一貫して英国最大の社会問題であり続けました。

 英国国教会とは一線を画するという意味でアイルランドのアイデンティティはカトリックであり続けましたし、私が子供の頃は爆弾テロなど血なまぐさい報道が続くエリアでもありました。

 北アイルランド問題が何とか「合意」をもって「解決」したとされるのは1998年の『ベルファスト合意』によるものです。

 EUの存在ありきで解決していたのが、武装組織「アイルランド共和軍」(IRA)やシン・フェイン党などイングランドとの調停の現実でありました。

 それを崩してしまったのだから、たまったものではありません。

 現在、アイルランド島内には「国境」は設けられておらず、ベルファスト・エリアの「北部アイルランド」は「南部共和国アイルランド」と自由にあらゆる交通が可能です。

 産業も発達し、関税も税関もない社会経済がアイルランド全島を平和裏に発展させていた。

 EUとの調停案は、この北部アイルランドを緩衝地帯として、大英帝国の欧州離脱をできるだけソフトに解決するために案出されたのが「バックストップ」合意案と呼ばれるものの本質です。

 やれ折衷案だ、表面だけ取り繕うの何のといった情けない日本語の文字をメディアで目にします。しかしそれはとんでもないことです。

 大陸中央で様々な悲哀を経験したベネルクスすなわちベルギー・オランダ・ルクセンブルクなどの知恵と、アイルランド問題の平和解決温存を念頭におく「高度な調停案」というのが、バックストップ合意の配慮に満ちた元来の内容でした。

 それを、まったく考えなしに「やめた〜! またベルリンの壁だ〜、ドナルド・ダックもメキシコの壁だ〜」とひっくり返してしまったのが、歴史的否決と呼ばれる無残な投票結果の本質にほかなりません。

 もしバックストップが進んでいたら、ロンドンよりもベルファストが、世界の中心としての機能を帯び始めていたことでしょう。

 それを許せなかった既得権益のつまらないプロパガンダと言えるかもしれません。

 世界と欧州の窓口は、今回のバカ合意で完全に閉ざされ、今後はさらにベルリンやミュンヘンの重要性が上ることになってしまった。やれやれ・・・。

 あまり世界に報道されないドイツのホンネが聞こえてくる場所でこの報道に接したため、本稿もたぶんグローバルに類例の少ない切り口で記すことになっている次第です。

 要するに、前回の国民投票はまだ愚かな決定のレベルだったものが、今回はある種の右派やらつまらない既得権益、集票のためのシナリオその他が自走して、取り返しのつかない決定を下してしまった。

 これが、バックストップ合意否決という「脳死」判定の背景で、自家中毒で英国は終わったな、と冷静な欧州知識層は観察しているように思います。

 ドイツの思慮ある視線から見ると、「ゆりかごから墓場まで」の英国のシステムが「ゆりかごからして墓場になった」程度には、「終わった」ように映っている。

 この「歴史的敗北」は、英国の英国自身に対する敗北で、要するにに自滅、自壊であると。

 そこで、「そのあおりをEUはできるだけ受けないようにしなくては。またドイツは決して、こんなことの二の舞は踏むまい」と思いながら、末期症状を見るような目で「合意なきブレグジット」の波及効果を最小とし、自国利益の最大化を図るべく、フル稼働中というのが今現在の本当のところと思います。

 つまり「漁夫の利」を取るのは誰か、ということです。

 ある友人は「これで本当に、本当〜に、大英帝国は終わった。800年の歴史が終わった」と言って、ニマ〜ッと笑いました。

 欧州史の複雑な一面を見たような気がしました。

筆者:伊東 乾

JBpress

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