厚労省の「ブラック・スワン」はなぜ起こったのか

1月25日(金)6時12分 JBpress

 厚生労働省の毎月勤労統計調査の問題は、予算案の修正という異例の事態に発展し、国会でも審議が始まった。これに先立って厚労省は関係者の処分を発表したが、これで幕引きというわけには行かない。まだ事実関係も原因も、全容が判明していないからだ。

 野党にとっては絶妙のタイミングでチャンスが転がり込んできたわけだが、今回の問題は彼らの言う「安倍政権の圧力」とは無関係だ。誤った統計処理が始まったのは2004年であり、民主党政権でも続いていた。そこには役所の情報システムの意外な落とし穴がある。


割り算した数字を掛け算しなかった初歩的ミス

 事実関係については、1月22日に厚労省の特別監察委員会の報告書が発表された。これは1週間程度のヒアリングをもとにした中間報告なので限界はあるが、今までわからなかった事実が出てきた。

 1つの謎は、2004年から東京都の従業員500人以上の事業所を全数調査から3分の1程度の抽出調査に切り替えたとき、政府統計を統括する総務省統計局に報告せず、今まで厚労省の調査計画にも「全数調査」と書いたままだったのはなぜかということだった。

 これは厚労省の「隠蔽」とは考えられない。2003年5月の事務連絡には「事業所規模500人以上の抽出単位においては、今回から全国調査でなく、東京都の一部の産業で抽出調査を行うため注意すること」と書かれ、抽出調査で行うことは毎年、関係者に広く通知されたからだ。

 では調査計画には、なぜ全数調査と書き続けたのか。特別監察委員会の報告には「(全数調査が)原則と認識しているが、細かく書くとすれば異なっているという認識はあった」とか「変えた方が良いと思ったが、統計委員会とか審議会にかけると、問題があると思った」などという供述がある。

 つまり厚労省の現場では「問題がある」とは認識されていたが、東京都だけの例外措置で、大した問題ではないと考えていたようだ。調査計画の無断変更は統計法違反にあたる疑いがあるが、問題はそこではない。

 東京都の大企業を抽出調査にしても、その抽出率逆数をかけてサンプル数を復元すれば、統計的な誤差は大きくない。産業別の「逆数表」も公表されており、たとえば小売業では2分の1の企業が抽出されているので、集計するとき調査結果に逆数2をかけて復元すればいい。

 ところが厚労省は逆数をかけないで、東京都の抽出調査の結果を全数調査として他の都道府県と単純に合算したため、平均賃金の高い東京都の比重が低くなり、全国平均賃金が本来より低く出てしまった。なぜ割り算した数字を掛け算しない初歩的なミスをしたのだろうか?


役所の情報システムは巨大なブラックボックス

 それが最大の謎だが、この点についての特別監察委員会の報告は曖昧である。当時の担当課長にも記憶がないという。抽出調査にしたのは、毎月全数調査を行う負担が大きいと企業や自治体から苦情が出ていたからだが、抽出調査の結果に逆数をかけることには手間もかからないので、これを省くインセンティブは誰にもない。

 勤労統計のデータ処理はコンピュータで行われるが、システム担当者は「単純なプログラムミスだと思う」と供述している。この程度のミス(バグ)はよくあることだが、問題はそれが14年間もチェックできなかったことだ。報告書によると、担当者はこう供述している。

毎月勤労統計調査に係るシステムのプログラム言語はCOBOLであり、一般的にシステム担当係でCOBOLを扱える者は1人又は2人に過ぎなかった。[中略]一度改修されたシステムのプログラムの該当部分は、それに関連するシステム改修がなされない限り、当該部分が適切にプログラミングされているか検証されることはなく、長期にわたりシステムの改修漏れ等が発見されないことがあり得る。

 COBOLは大型コンピュータの時代のプログラミング言語で、今はほとんど使われていない。プログラムの論理的関係がわかりにくい「スパゲティ・コード」になってしまうので、書いたプログラマー以外の人が修正することはむずかしい。

 最初のシステム設計のとき正しく逆数をかけていれば問題はないのだが、それを忘れた場合、第三者がチェックできない。厚労省の情報システムが、古い言語で書かれた巨大なブラックボックスになっているからだ。

 この問題が表面化したきっかけは、2018年1月にシステムを変更したあと賃金が大きく上振れしたことだが、このときも責任者だった政策統括官は「統計技術的な問題となる復元は当然行われていると思い込んでいた」という。統計処理の欠陥を発見したのは、日銀の専門家だったらしい。


小さなミスが大きな事故を生む霞が関の脆弱性

 これまでの調査で印象的なのは、担当者にも幹部にも「不正」という認識がないことだ。これは調査が甘いということも考えられるが、関係者の供述に矛盾はない。

 厚労省が2004年に抽出調査に切り替えたとき、中小企業の抽出率を実質的に上げたので、統計的安定性は上がった、と特別監察委員会も評価している。このとき総務省に連絡しても、承認されただろう。統計全体の精度は上がるからだ。

 本質的な問題は、こんな初歩的なミスがチェックできず、統計に大きな影響を与え、失業保険の給付にも波及し、予算案を修正する大事件になる情報システムの脆弱性にある。

 こういう問題は、金融システムで10年前にナシーム・タレブが『ブラック・スワン』で指摘した。彼はグローバルに相互依存した金融システムでは、1つの金融機関の破綻が世界経済をゆるがす危機に発展すると予告し、リーマン・ブラザーズの破綻はそれを実証した。

 誰もが「まさか」と思う大手金融機関が破綻すると、その信頼の上に構築されていたシステム全体が崩壊する。今回の事件も、日本の官僚機構の情報システムと事務処理システムが、銀行の大型コンピュータのように相互依存した「レガシーシステム」になっていることが大きな原因だ。

 こういう事件を防ぐには、情報システムをチェックしやすいオープンシステムにする必要がある。それは統計に限らず、霞が関の行政を透明化することでもある。国会では政局がらみの騒ぎにしないで、こういう官僚機構の構造的な欠陥を議論してほしい。

筆者:池田 信夫

JBpress

「厚労省」をもっと詳しく

「厚労省」のニュース

トピックス

BIGLOBE
トップへ