《リーマン・ショック以来の窮地》どうなる農林中金の“出世と人事” 奥和登理事長は2024年6月で2期目終了
2024年1月30日(火)8時30分 文春オンライン
“日本最大の機関投資家”と呼ばれる農林中央金庫。予想以上のスピードで進んだ米国の利上げの影響で、リーマン・ショック以来の窮地に立たされているという。その内実と人事について、ジャーナリスト・森岡英樹氏が迫った。
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総資産は約102兆円、市場運用資金残高は約57兆円——農業、林業、漁業などの協同組合を統べる中央金融機関として、ピラミッドの頂点に立つ農林中央金庫(奥和登理事長)がいま、リーマン・ショック以来の窮地に立たされている。
農林中金が2023年11月16日に発表した同年4〜9月期の連結決算は、純利益が前年同期比15%減の1443億円で着地した。表面上は穏当な業績に見えるが、さにあらず。
「有価証券の評価損は9月末時点で2兆5356億円と、3月末の9462億円から2.7倍に拡大しています。米連邦準備理事会の金融引き締めによる米金利の上昇によって、外債を中心に、債券の評価損が膨らんだことが主因です」(金融アナリスト)
決算会見の席上で奥氏は、有価証券の評価損が拡大していることについてこう弁明した。
「世界的に長期金利が一段と高くなったことが要因だが、この水準でも自己資本比率は十分健全性を満たしている」
確かに農林中金は、格付け会社から「資本効率が悪い」と指摘されるほど、自己資本を過剰に積み上げている。一般的に、大手銀行でも10〜15%程度の自己資本比率であれば十分とされるなか、農林中金は含み損が膨らんだ2023年3月期でも22.03%、同年9月期も18.13%と高水準を維持している。

「リーマン・ショックの二の舞になりかねない」
しかし、内実は危うい。例えば、2023年3月期の連結純利益は前期比で72%減の509億円と、惨憺たる状態にあった。原因はアメリカの金融市場だ。
“日本最大の機関投資家”と呼ばれる農林中金の収益の大半は、潤沢な円資金を国内外の有価証券等で運用するグローバル投資で稼いでいる。「国内の円で日本国債を購入。それを担保にドルを調達し、米国債等に投資する」のが基本投資フローだ。
2023年9月末時点の総資産は約101兆9000億円で、うち有価証券への運用は約44兆1000億円と、全体の43.2%。このうち、USドル建てが53%と過半を占める。つまり、外貨の調達コストが収益を大きく左右する構造なのだ。
ここ数年の米国の利上げスピードは、農林中金の予想を遥かに超えて進んだ。
「2023年3月期決算のままでは、格付けが下がる懸念もあった」
こう内情を明かすのは、ある農林中金関係者だ。
同社の格付け(2023年3月時点)は、S&Pでは長期債務格付け「A」、短期債務格付け「A-1」、ムーディーズでは長期債務格付け「A1」、短期債務格付け「P-1」と、共に高い。もし格下げされると、米ドル調達に際して、より高い金利を要求される可能性がある。外貨調達コストがさらに上昇すれば、当然、損失も膨らむ。そこで、
「経営陣の方針で今年度上期に、保有するオルタナティブ資産、例えば証券化した不動産などを売却して、益出しをしたのです。目標は1800億円でした」(同前)
つまり、格付けが下がることを懸念した経営陣が、資産を売却してまで利益を捻出していた。これが上期決算の実態だったというのだ。
「このままでは、リーマン・ショック時の二の舞になりかねない」
こう真顔で心配する関係者もいたほどである。
見た目の数字とは裏腹に、決して盤石とはいえない農林中金。そのトップの奥氏が、理事長に就任したのが2018年6月のこと。農林中金の理事長職の任期は1期3年。2024年6月は、ちょうど2期目が終わる時期である。
農水次官の天下り先だった農林中金
前身組織、産業組合中央金庫は1923年12月の設立。危うく経営危機を迎えそうになった2023年は、創立100周年という記念すべき年だった。
1943年に農林中央金庫と名称を改め、農水次官だった荷見安(はすみやすし)氏が初代理事長に就任。以来、7代目の上野博史氏まで、理事長ポストは農水次官が就いてきた。
JRA(日本中央競馬会)理事長や旧農林漁業金融公庫総裁と並ぶ、農水省事務次官の天下り先を失うことになったのは、2008年のリーマン・ショックが原因だった。
もともと農林中金は「農林水産業の発展に寄与」(農林中金法第1条)することを目的に作られた協同組織である。その後、同庫が“巨大な投資ファンド”となった背景には、農林水産事業者への貸出しの減少がある。
「高度成長期には、企業への貸出しにシフトし、オイル・ショック時には、大量の赤字国債が発行されたことから、資産への組み入れを増やした。ところがバブル崩壊後のゼロ金利政策で、利回りを確保できず、農協(JA)や県信連などの系統機関に、十分に還元できなくなった」(経済誌記者)
このままでは農林中金はやっていけなくなるのではないか。内部で「農中立ち枯れ論」も出る中で、1990年代、常務理事だった能見公一氏が、運用に重点を置く方針に大きく舵を切った。そして農林中金に適した投資スタイルを確立し、高収益を上げるようになっていったのだ。
「約6割が海外投資で、高い利回りを求めて、複雑な証券化商品にも手を出していた。そして2008年にリーマン・ブラザーズが破綻。農林中金が抱えていた、サブプライムローン債権を裏付けにしたCDO(債務担保証券)が焦げ付いた」(同前)
農林中金は2009年3月期決算で6000億円を超す赤字を計上。約2兆円もの有価証券の含み損を抱え、市場では経営破綻の危険性も囁かれた。
「100年に1度」とも言われた世界的な金融危機に際し、金融の素人である元農水次官がトップを務めていること、さらにその理事長が年間4100万円もの報酬を得ていることが明らかとなると、世間やメディアからのバッシングは日に日に高まっていった。
農林中金がその未曽有の危機対応を託したのが、河野良雄氏だった。河野氏は1972年に京大農学部を卒業後、農林中金に入庫。広報室長、総合企画部長などを経て、2007年から副理事長を務めていた。運用畑で長く活躍してきた、農林中金生え抜きの人材である。
理事長ポストを巡って農水省が必死の抵抗
河野氏が理事長に就いたのは、リーマン・ショックの余波が続く2009年4月1日のことだ。3月29日に1.9兆円に及ぶ増資に漕ぎつけ、間一髪で経営危機を免れた直後だった。
だが、天下り先を失う農水省は、最後まで別の対抗馬を立てようと抵抗したという。
「当初、農水省幹部は『小林芳雄元次官を後任に』と上野氏に圧力をかけてきました。東大出身の小林氏は、2006年に次官になったものの、翌年、金銭問題によりわずか8日間で退任した遠藤武彦農水相の煽りを受けて退官していた。農水省は何とかポストを確保しようと必死に画策したのです」(農林中金OB)
最後は、上野氏が「生え抜きでないと乗り切れない」と主張。河野氏の就任が決まった。農水省は代わりに小林氏を農林中金総合研究所の理事長職に就けようとしたが、天下り批判を受けて、これは見送られた。
プロパーとして初めて理事長となった河野氏は就任早々、増資引き受けを決断した全国の農協や県信連幹部に、こう約束した。
「4年で経営を安定化させ、配当を復活させます」
リーマン・ショックで凍り付いた市場がいつ回復するかは不透明で、投資する証券化関連商品は値段が付かない異常な状態。売却を急げば、巨額の損失を免れない。保有し続けるためには資本の充実が必要だったが、全国の農協もこの農林中金の決断を支持した。
当の河野氏はこう語る。
「厳しい状況ではありましたが、実は農林中金が保有する有価証券には、優良なものも非常に多かった。市場は必ず正常化すると確信していたので、焦りはありませんでした」
農林中金の保有する有価証券の多くは最上級の格付け「AAA」だった。
「リーマン・ショック時に問題にもなった証券化関連商品『RMBS(住宅ローン担保証券)』についても、AAA格のシニア債(最も安全な部分)を保有していた」(前出・関係者)
巨額増資は「時間を買う」最良の妙薬となった。河野氏の約束は、2年前倒しで達成される。2011年3月期に無配から利回り3%に復配し、その後、さらに6%まで配当を引き上げることに成功した。
2018年、その河野氏からバトンを受け取ったのが、現・理事長の奥氏である。
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本記事の全文 「農林中金の本命と対抗 次期トップ「大本命」が突如退任したのはなぜか」 は、「文藝春秋 電子版」に掲載されています。
(森岡 英樹/文藝春秋 電子版オリジナル)