なぜ、節分に恵方巻きを食べるのか?

2019年2月3日(日)5時50分 ウェザーニュース


2019/02/03 05:56 ウェザーニュース

節分(2月3日)に恵方巻(えほうまき)を丸ごと頬張るという慣習は、いつ、どこで始まったのかは諸説があり、必ずしも明確ではありません。また、なぜ恵方巻というのか? 大量廃棄が話題になるなどすっかり国民的行事食となった「恵方巻のなぜ」に迫ってみました。

食べない人は4割

ウェザーニュースでは、1月31日に「恵方巻きを食べますか?」というアンケートを実施しました。結果は「最近食べるようになった」を含め6割近くの人が食べていることが分かりました。

近畿では昔から食べていた人が6割以上!

全国的には「昔から食べていた」が最も低い割合で24%だったのですが、エリア別で詳しく見ると、近畿では6割を超えていました。また、近畿に近い中国・四国エリアでも3割を超えており、北・東日本に比べて高めです。

「昔から食べていた」人が他のエリアよりも飛び抜けて多かった近畿エリアをさらに細かく見てみました。すると奈良県では「昔から食べていた」の割合が最も高い(7割以上)ことが分かります。また、滋賀県を除くその他の府県でも6割以上と明らかに他のエリアとは大きな差があります。

恵方巻きの由来は?

恵方巻きの由来は諸説ありますが、北海道文教大学の「食卓の縁起に関する研究−恵方巻の受容とその背景−」(荒井三津子・清水千晶)によると以下の4つが主なものだといいます。
(1)江戸時代、節分の時期に美味しい香の物を巻いた海苔巻きを切らずに恵方を向いて食べて縁起をかついだ
(2)幕末から明治にかけて大阪船場の商人の商売繁盛、無病息災、家内安全祈願を願って
(3)船場の女性が階段の中段で太巻きを丸かじりして願いごとをした
(4)船場の旦那衆のあそび
また、歳時記×食文化研究所の北野智子さんは子どもの頃の思い出を振り返ります。
「私は大阪生まれの大阪育ちですが、小さい頃から節分に母が作る巻き寿司を頬張っていました。無言で一本丸かぶりする風習で、子どもには多過ぎたのですが、巻き寿司は福を巻き込んであるから『切って食べたらあかん』と言われ、がんばって食べていました。当時は日本中の人が同じように食べているものだと思っていました。
『大阪寿司』と総称される巻き寿司や押し寿司がよく食べられていたのは、関西には『なれ寿司』の伝統があったこと、旦那衆(船場や道頓堀などの)に重用されたこと、また、特に大阪では持ち帰り寿司の需要が高かったことによるのではないでしょうか」

なぜ恵方巻きと呼ぶのか?

恵方巻きという名前は意外に新しいようで、「1973年(昭和48年)頃、大阪海苔問屋協同組合が『恵方に向って無言で家族そろって巻き寿司を丸かぶり…』というチラシを寿司屋に海苔を納める時に配ったそうです。デパートも『2月3日幸運恵方巻き寿司売り出し』と宣伝販売したらしいです」(北海道文教大学 荒井三津子・清水千晶)
しかし、恵方巻がネーミングとともに全国的な行事食として広まったのは、1998(平成10)年大手コンビニが、海苔巻きの販売に際してネーミングしたのがきっかけとされます。

恵方(吉方ともいう)とは何か?

「その年の恵方は十干(じっかん)によって決まっているのです。十干とは、甲(きのえ)、乙(きのと)、丙(ひのえ)、丁(ひのと)、戊(つちのえ)、己(つちのと)、庚(かのえ)、辛(かのと)、壬(みずのえ)、癸(みずのと)のこと。十干は、陰陽五行説に基づいて「木・火・土・金・水」の五行と、陰陽の「兄(え)、弟(と)」を組み合わせて、その年の恵方(吉方)が決められているのです。
私たちを守ってくれる歳徳神(としとくじん)がいる方角を恵方(吉方)といい、その方角に向かって事を行えば、何事も吉とされています。今年の恵方(吉方)は東北東。ちなみに来年(2020)は西南西です」(北野智子)
食べるときには、その年の恵方を向き、1本丸ごと食べ終わるまで一言も発せず、願い事を念じ続けるべしとされています。みなさんはどんな願い事をこめて平成最後の恵方巻を頬張りますか?


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