「テキヤ」は「ヤクザ」として扱うべき存在か

2月5日(火)6時0分 JBpress

参道脇の露店も初詣の楽しみのひとつ(写真はイメージです)

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(廣末登・ノンフィクション作家)

 今年の正月三が日、神社の初詣に参拝された方も多いのではないだろうか。正月の除夜の鐘の音は、われわれ日本人の魂に響きわたり、IT化された現代社会にあっても、個々人の内にある日本文化の琴線に触れる何かを刺激するようである。

 初詣の参拝は、老いも若きも何がしかの願いを賽銭に込め、投擲後は一心に祈っている。横あいからヒョイと投げ込めばよいものを、寒い中、信心深い人たちは正直に何時間も参道に順番を待っている。願い事といえば、学生は志望校の合格かもしれない。若い男女は、恋路の行方が吉であるように祈っているのだろう。筆者の歳ともなると、賽銭箱の横あいから賽銭を投げ込み、今年も無病息災でモノ書きができるようにと祈るくらいが関の山である。

 もうひとつ、正月に参拝する駄賃というか、ささやかな楽しみは、参道の両脇に店を構える露天であろう。筆者なども例に漏れず、一本500円のジャンボ焼き鳥を買い込み、ヤチャ(茶屋)の丸テーブルに陣取って、熱いのを一献傾けることが恒例行事である。

 読者の皆さんも、子ども時代は、願い事もソコソコに、その日に貰ったお年玉を握りしめ、アメリカン・ドッグや、たこ焼きの露店を襲撃し、腹八分になると、金魚すくいや射的に興じた思い出があると思う。ちなみに、射的は、コルクが命中しても、標的がフラフラしながら、惜しいところで倒れず悔しい思いをしたのではないだろうか。

 幼児を連れた夫婦ものも、綿あめを子どもに握らせ、「やれやれ疲れた」などと言いながら、細君と仲良く、焼き鳥や、お好み焼きをつつきながら昼間から一杯やっている。この日ばかりは、日本国中どこに行っても無礼講の塩梅である。そして、お日様が西に深く傾くと、露天の照明は夢幻的に神社の参道を照らし、独特の雰囲気が漂う。まこと、ここは、すべての日本人が、心の奥底に宿す原風景ではないかと、筆者は思うのである。


テキヤ稼業

 昭和の時代、正月のお茶の間映画といえば、松竹映画の『男はつらいよ』であった。渥美清が演じる主人公の寅さんは、テキヤで一本の稼業人(親分を持たない旅人)である。

 彼は、全国を旅しながら「遅ればせの仁義、失礼さんでござんす。私、生まれも育ちも関東、葛飾柴又です。渡世上故あって、親、一家持ちません。駆け出しの身もちまして姓名の儀、一々高声に発します仁義失礼さんです。姓は車、名は寅次郎、人呼んでフーテンの寅と発します。西に行きましても東に行きましても、とかく土地、土地のおあ兄さんおあ姐さんにご厄介をかけがちたる若僧です・・・」などと、土地の同業者にアイツキ(つきあいの転倒語であり、あらめん=初対面の面通しのこと。博徒は「仁義を切る」ともいう)し、土地の祭りの一角でコロビの商売を許されている。

 このアイツキは、最近ではナカナカ見掛けなくなったが、テキヤの稼業人は、これが出来ないと一人前ではない。さらに、一歩作法を外れたら、ゴロ(喧嘩)になりかねない剣呑なサブカルチャーである。たとえば、口上を述べる時、一人前のテキヤであれば、左手の親指は他の四本の指の中に折り込んで隠さなくてはならないし、親分もちの場合は、外に置くというような厳格なルールが存在する。

 筆者が知る限りでも、アイツキに満足な返しができず、幹部が旅人さんの親分の在所まで詫びを入れに行ったと聞いたことがある。セリフを噛み噛みでもいいから、ひと通り返せないと恥をかく。ヘタをすれば、親分の顔、一家の看板に泥を塗ることになるから、真剣に臨まないといけない。少しばかり大層な解釈をすると、テキヤ一家の鼎(かなえ)の軽重を問われる、刹那の儀式なのである。

 話を戻すと、寅さんの業態であるコロビとは、テキヤの業界用語であり、ゴザを広げた上に商品をコロがし「さて、いいかねお客さん、角の一流デパート、赤木屋、黒木屋、白木屋さんで、紅オシロイつけたお姉ちゃんから、ください、ちょうだい、いただきますと、5000や6000、7000、一万円はする代物だ。今日はそれだけ下さいとは言わない・・・」などと、流ちょうな口上つきで売るタンカバイ(商売)という伝統的な商売スタイルである。昨今、このような流ちょうなタンカバイは見かけなくなった。

 一昔前の昭和中期は、ガマの油売りや、蛇の油で作った軟膏のような薬種を扱うジメ師=大ジメともいう(沢山の人を集める、人=ヒトを集める=シメることからジメという)などが、巧みなタンカの強弱で聴衆を集め、笑わせ、ナルホドと感心させてバイを行ったと、テキヤの頭(かしら)に聞いた。

 そのほか、縁日のテキヤの商売にはいくつかのスタイルがある。商品を並べるだけのナシオト(音がしない、大人しいなどの意味で、キャラクターのお面や風船を売る商売)、コロビ(ゴザの上に商品をコロがし、タンカにメリハリをつけて商売する)、サンズン(組み立てた売台で三尺三寸のサイズ、あるいは、軒先三寸はなれた露店からきた呼称であり、タコ焼きや焼き鳥の売台はこれにあたる)、ハボク(植木商)、タカモノ(曲芸、見世物、幽霊屋敷など)、ハジキ(射的屋)、ロクマ(占者)、ヤチャ(茶屋、休憩所)、ジク(籤)などがある。


縁日とテキヤ

 寺は、その祀る本尊の縁(ゆかり)の日に法会を催す。すなわち、縁日である。そこから一般の人は、夜店・昼店の出る法会を「縁日」とよびならわすようになった。神社もまた、祭神のゆかりで、時を定めて祭祀を行う。年に一回のものもあれば、春秋のものもある。夏は一般的に多い。これらは例祭(たかまち)で、ほかに大祭がある。

 こうした寺社における法会、例祭には人が集まるから、参詣に往復する人を当て込んで、露店が並ぶようになった。参詣に来た人がお参りし、お賽銭をあげ、神籤を引く。帰りには露店で喫食し、子どもの玩具を買う。これで、寺社の側と、テキヤの側とが共に儲かるという計算である。さらに、寺社側は、テキヤからショバ代(場所貸し代金)を、奉納という形で取るわけだから、いい商売である。電気代も三寸一台あたりでいくばくかの代金を集めていたが、これについては、テキヤ側と寺社側の取り分がどうなっているのか、筆者は知らない。

 この寺社の大小、祭の規模のいかんに応じて、露店の出方にも、大・中・小がある。出店できるスペースのいかんにもよるわけである(参考:添田知道『テキヤ(香具師)の生活』、雄山閣出版)。

 何れにしても、出店の配置を割り振るのは、その庭場(ニワバ=ヤクザでいう縄張りと似て非なるもの)を取り仕切る親分の采配により、実際は幹部が行う。これをテイタ割り(手板=場所割り)という。

 テイタを割る前段階として、まずはチャクトウ(到着簿)をつけ、ネタ(商売で扱う品)の種別、業態、他所の土地から商売に来る旅人の一家名と、本人の名を記していく。これらのネタと業態、そして旅人の持つ一家の看板の重さ、業種の様々などを検討し、上(カミ=神殿寄り)、中、下に店を割り当てる。この作業は、旅人の顔を立て、商売の相殺を防ぐためである。テイタを割るのは世話人である親分であるが、彼の存在が無ければ、祭は混沌とクレームのるつぼと化すから一筋縄でいかない。その理由は、後編でお話する。

 テイタ割りを世話するのは、テキヤ仲間の仁義である。今日の庭場の親分でも、よその土地に行って商売をしようと思えば、自分の身内の者が旅人として世話になる。したがって、テイタ割りは、同業者の互助的なルールであると同時に、旅人の顔を立てるという配慮が不可欠であるから、緻密さと熟練が求められる。ちなみに、この詳細は、彼らの秘中の秘らしく、筆者がどんなに頼んでも教えてくれなかった。


テキヤは間違いなくガテン系

 実際、タカマチ(祭礼)の稼ぎ込みは忙しい。「なんだ、楽勝そうや」などと、テキヤに憧れる若い人が居るが、テキヤ稼業ほど大変なものはない。まず、例祭の数日前から小屋組みをしないといけない。これは、ヤチャの小屋を組むことから始まり、次に三寸を組んで行く。組むというと簡単に聞こえるが、テキヤの商売は、祭りが終わると迅速に商売を畳まないといけないので、全てが紐で組んである(規模が小さな祭りは、一日で商売を畳んで、他所の祭りに移動することも普通である)。筆者などは、小屋組みの終盤には、指先の感覚が無くなり、歯で紐を結んでいた位である。

 つぎに、祭りが近づくと、大量の材料を仕入れる。キャベツやネギなどの青物は業者がトラックで持って来るが、これを若い衆が一列に並び、バケツリレーよろしく手渡しでテントの中に収納するのである。最初の10箱くらいはマアマアだが、30箱も手渡ししていると、腰にくる。実際にはキャベツだけでも100箱位はあったと思う。

 祭りの当日には、それらを各三寸なり調理する場所に運び、延々とキャベツ切りをしないと間に合わない。主に、お好み焼きや焼そばといったコナモノに用いる。ちなみに、お好みソースなどは一斗缶で、山のように届くためテントの中に壁ができる。

 調理器具の燃料であるガスボンベは、重たい上にかさ張るから難儀である。資材小屋の裏手は、まるでお寺の裏手にある墓場のように大小のガスボンベで埋め尽くされる。さらに、調理に使用する飲料水も、ポリタンクで事務所から運び込む。これはトラックで輸送するのだが、際限がなく嫌になる。いつまで続くのかと尋ねるのは愚問である。誰にも分からないのだから。ひとつ言えるとしたら、事務所のポリタンクが無くなるまでである。最近では、これらに加えて、各所に消火器を設置しないといけないから、尚更大変そうである。


テキヤはヤクザか

 筆者がマスコミで話をすると、「暴力団博士」と呼ばれることしばしばであるが、筆者はヤクザの飯を食ったことはない。しかし、テキヤには一宿一飯の世話になったことがある。

 手前味噌で恐縮だが、小倉の商店街でタンカバイに慣れていたお陰で、ほかの三寸より多く売り上げたから、例祭の最終日に親分からわざわざ礼を言われたし、給料袋に5万円ほど多く入っていた。何と、旅人さんから、スカウトまでされる始末である。

 筆者の経験に照らして、テキヤとヤクザは別物であると自信を持って言えるのである。なぜなら、ヤクザなら「縄張り」と称すところを「庭場」と呼ぶ。商売でしかカネを儲けない。恐れるのは、暴対法ではなく食品衛生法であり、保健所に頭が上がらない。かなりシンドイ作業に幹部であっても従事する。

 何より、神農であるテキヤは祀神が違う。テキヤの盃事の儀式には、農業と薬の神である「神農黄帝」の軸を掲げる(ヤクザの場合は「天照大神」を中央に掲げ、「八幡神」、「春日大社」を左右に掲げる)。さらに言うと、筆者は覚せい剤などの薬物使用には鼻が利く方だが、稼ぎ込みの日に15時間労働でへとへとになりながら、違法薬物を用いている若い者を見たことがない。

 ただ、そうはいっても、テキヤがヤクザと没交渉なわけではない。そのあたりは、次回紹介したいと思う。(後編に続く)

筆者:廣末 登

JBpress

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