<ハンセン病家族訴訟>提訴2年「判決、生きている間に」

2月15日(木)21時41分 毎日新聞

手先の器用だった父がアケビのつるを編んで作ってくれたカゴを手に、家族の思いを語る男性。今もお菓子入れとして大事に使っている=宮城県内で2018年2月4日、江刺正嘉撮影

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 国の誤ったハンセン病政策で深刻な差別被害を受けたとして、元患者の家族が国家賠償などを求めた熊本地裁の集団訴訟は15日、最初の提訴から2年がたった。原告となった家族も高齢化し、提訴後に既に12人が死去した。原告側は国と地裁に「生きている間に一日も早く解決を」と迅速な審理を強く求めている。【江刺正嘉】


 ◇進む高齢化、進まぬ審理


 「父が生きているうちに国が謝罪してくれたら、父の気持ちも少しは晴れたかもしれない」。宮城県に住む50代の原告の男性は、同県内の国立療養所「東北新生園」に入所していた父を亡くしたことが今も悔しい。


 父の同園入所は1955年。一度は退所できて結婚もし、男性が生まれたが、病気が再発して64年に再入所した。母と男性は園の近くに父が建てた平屋建ての家で暮らした。


 男性は小学校で同級生から「患者の子」といじめられた。自分の持ち物を隠されたり、池に突き落とされたりした。地域の子供会の行事に呼ばれることもなかった。母は何度も学校などに掛け合ってくれたが、収まらない。小5の時、母は泣いて男性に謝った。「病気の父ちゃんと結婚してごめんな」。その母も病弱で50歳の若さで亡くなった。


 一時はいじめも母の早世も父のせいだと恨んだ。だが、父は男性の結婚式を含めて冠婚葬祭には一切出席できず、実家に赴くことも許されなかった。次第に「父は患者を園に隔離する国策の被害者だったのではないか」と思うようになった。


 2015年11月。ニュースで家族による国賠訴訟が起きると知り、父に「母のためにも国に謝罪させたい」と気持ちを伝えた。父は「お前の気が済むならやれ」と背中を押してくれた。父は園から出ることなく、昨年11月に86歳で亡くなった。


    ◇


 男性らの提訴から2年。審理は「来年春までの判決」を求める原告側の想定より遅れが目立つ。


 原告側によると、熊本地裁は原告568人全員に対しまとめて判決を出す意向だ。弁護団は昨年9月に尋問対象の原告を25人にしぼり、早期の尋問開始を求めてきたが、日程は決まらなかった。1日で尋問できるのは3人程度であるため、弁護団は「毎月1、2回は開廷してほしい」と主張したが、国の担当者は「他の事件も抱えて忙しい」「原告全員の陳述書を読むのが大変だ」などと難色を示したという。


 14日にあった3者(原告、国、裁判所)の協議でようやく3〜4月に計6人の尋問を行うことで合意した。しかし、国側がどこまで迅速化に協力するかは不透明なままだ。弁護団のメンバーは「秋までに実質審理が終わらなければ、来春の判決は難しくなる。元患者や家族が生きている間の解決も遠のく。国はきちんと体制をとってほしい」と話す。


 法務省訟務局は「原告側の気持ちも理解できるので、審理の迅速化にはできる限り協力したい」としている。


 【ことば】ハンセン病家族訴訟


 患者隔離政策を違憲とした2001年の国賠訴訟熊本地裁判決(国の控訴断念で確定)後、国は恒久対策を進めたが、患者の家族は救済対象から外れた。そのため家族ら59人が16年2月、1人500万円の国家賠償と謝罪を求めて同地裁に提訴した(翌月に第2陣509人が提訴)。原告の平均年齢は約66歳で、最高齢は97歳。国側は隔離政策が家族に及ぼした影響を否定し、請求棄却を求めている。

毎日新聞

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