「ゴミの島」とレッテルを貼られた豊島がアートで再生するまで

2月20日(火)11時0分 文春オンライン


イラストレーション:溝川なつみ


 瀬戸内海の島々が見渡せる香川県豊島(てしま)の南斜面は、冬でも縁側のように穏やかで暖かい。


 その一角に「豊島みかん」という看板が立てられていた。島で最も大きなミカン農家、山本彰治さん(84)の畑である。


「せっかくだから」と少しいただいた。皮は柔らかくて、するりとむける。爽やかな香り。口に含むと、さっぱりとしていて、しかし甘い。つい2つ目に手が延びそうになる。


「この味にたどり着くまでには、60年以上かかりました」


 秘密は、有機堆肥の力で畑じゅうに張り巡らせた根だ。根は土からふんだんに養分を吸い上げ、葉の枚数を増やす。そこにふりそそぐ太陽が、果実をあかあかと太らせる。



豊島みかんを栽培する山本彰治さん。皮が薄くて美味しい


「山本さんのミカン」と言うと、島では誰もが唾を飲み込むほどだ。


 ところが、「豊島みかん」と名乗れない時期が20年以上あった。


 産業廃棄物の不法投棄事件で、深刻な風評被害に遭ったのだ。


 1990年11月16日、豊島の西北端の海岸で産廃を大量に不法投棄し、野焼きをしていた業者が兵庫県警に摘発された。当時は戦後最大の産廃不法投棄事件と言われた。


 摘発を受けて山本さんに、兵庫県に住む妹から電話が入った。


「すぐにミカンの名前を変えてほしい」。切羽詰まった声だった。妹は果物問屋を営んでおり、ミカンの出荷先でもあった。


 外周約20キロメートルの豊島では、山本さんのミカン畑と不法投棄現場は最も離れた場所にある。


「ミカンに影響はないのに」と首を傾げたが、妹は「まるで島が産廃で埋まったかのように報道されている。小売り店が『豊島産では食べ物は売れない』と言っていて」と説明した。


 あと数日したら、この年の出荷が始まるという時だった。倉庫には「豊島みかん」と印刷した段ボール箱が5000個も入っていた。


 山本さんは悩んだ結果、「小豆島みかんに変えるしかない」と決断した。豊島は、小豆島の土庄(とのしょう)町に属しており、「小豆島みかん」と称しても間違いではなかった。


 急いで段ボール箱を注文すると、業者は徹夜で印刷してくれた。出荷には間に合ったが、「豊島みかん」の箱は畑に敷いて捨てた——。


 豊島は瀬戸内海の真ん中にある。岡山県・宇野港、小豆島・土庄港、香川県・高松港に船が出ていて、それぞれ20〜35分で行ける。


 島の最高峰は標高約340メートルの檀山(だんやま)だ。雨をため込む地質なので、島の水は涸れることがない。古くから島外に出せるほどコメを作ってきた。ミカン、レモン、カキ、ブドウ、イチゴとあらゆる果樹が栽培できる。乳牛や肉牛も飼ってきた。文字通り「豊かな島」だった。


 豊かであるがために、乳児院や特別養護老人ホーム、知的障害者更生施設が建てられ、「福祉の島」とも呼ばれてきた。


 だが、戦後の高度成長期以降は時代の荒波を受けた。


 島の沖合には海砂がたまった「団子の瀬」があったが、大阪など都市部の開発のために根こそぎ採取された。「海が真っ黒になるほどイカが産卵していたのに、稚魚が育たなくなりました」と豊島自治連合会の三宅忠治会長(70)は悔しがる。


 島の砂浜でも、ガラス材料として砂が採取された。そうした浜の1つが不法投棄の現場になった。



 摘発後、豊島には「ゴミの島」というレッテルが張られた。風評被害は深刻だった。修学旅行で島を出た中学生が「ゴミの島から来たのか」と暴言を吐かれることもあった。


 島民は島ぐるみで、投棄を黙認した香川県の責任を追及した。知事が謝罪した同県は、昨年3月までに14年の年月をかけて、約91万トンもの産廃を島外に搬出した。


 まだ地下水の浄化が残っており、その過程で土中に残留した汚泥が見つかるなどしているものの、産廃の処理は終了した。



産廃の搬出が終わった跡地。地下水の処理が続いている


 この間、島の人口は激減した。


 そもそも農業で食える時代ではなくなった。漁業もやせ細った。灯籠などに使われる豊島石の産地でもあったが、庭を造る家が減って、石切り場を閉鎖した。島にはこれといった産業がない。加えて「ゴミの島」のレッテルが島民流出に拍車を掛けたとされる。産廃のイメージが強くては移住者の誘致もできなかった。


「かつては3600人ほどの人口がありましたが、今や800人前後です。そのうち約200人が80歳以上。高齢化率は55パーセントを超えています」と三宅さんは話す。


 山本さんは87年から6期24年間、土庄町議を務め、「過疎化を食い止めたい」という一心で公共事業を進めた。「道路や港の整備で離島の不便さが解消されたら人が戻る」と信じたからだ。だが、過疎化に歯止めは掛からなかった。


 悔しさを胸に町議からの引退を決め、残りの任期が2年になった頃のことだ。副町長から「美術館の計画を知っているか」と尋ねられた。


 瀬戸内海の島々で現代アートの作品を展示する「瀬戸内国際芸術祭」(実行委員会会長・香川県知事)が10年から3年ごとに行われる予定になっていたが、これに合わせて福武財団が豊島に美術館の建設を考えているというのだった。


 同財団はベネッセホールディングス(岡山市)の福武沿一郎名誉顧問が理事長を務める。隣の直島(なおしま/香川県直島町)では美術館を建設し、アートの島として、若者の訪れる観光地に生まれ変わらせていた。


「これにすがるしかない」と山本さんは思った。仲のいい直島町議に尋ねると「福武さんは直島で新美術館を計画し、候補地まで決めていたのに、急に豊島に持っていくと言い出した。早く土地を確保したほうがいいぞ」とアドバイスされた。



アートを入り口にして島民という魅力を知る


 福武理事長が豊島で選んだ土地は荒れ放題の棚田に囲まれた山腹だ。山本さんは「もっといい所がある」と提案したが、福武理事長は「ここから見える豊島の集落と瀬戸内の島々がいいんだ」と聞かなかった。


 山本さんは、福武理事長に「豊島の本当の魅力を知らないだろう。世界から人が来るぞ」とも言われた。にわかには信じられなかったが、とにかく地権者に用地を提供してほしいと頼んで回った。


 美術館周辺の棚田は住民が協力して整備した。「竹藪を切り払い、開墾のようにして田に戻しました」と曽我三喜夫さん(68)は話す。


 10年、第1回の芸術祭が行われた。豊島には会期の105日間で、延べ17万人を超える人が訪れた。船の積み残し客が出るほどで、島が始まって以来の出来事だった。


 これを機に住民が自宅に観光客を泊める民泊を始めた。島内に点在するアート作品を巡るため、レンタサイクル店も相次いでオープンした。「豊島にそれまでなかった観光が始まったのです」と豊島観光協会の中島道恵(みちえ)事務局長(36)が解説する。


 芸術祭では終了後も残す作品があるので、回を重ねるごとに島内のアートが増える。豊島には現在、約15作品があり、これらを巡る若者が年中訪れる。海外からの観光客も少なくない。「夏季には島に200〜300台あるレンタサイクルが開店直後に全て貸し出され、船も満席になるほどです」と中島さんは話す。


「ゴミの島」と言われたのが嘘のようだ。


 これを受けて山本さんは5年ほど前、インターネットで直売するミカンの名を「豊島みかん」に戻した。問屋に出す分も戻したいが、「お客さんがついているのでそのままにしてほしい」と言われ、こちらは「小豆島みかん」で出荷している。


 ところで、豊島の観光客は、なぜか若い女性が多い。「しかもリピーターがすごく多いのです」と中島さんが話す。最初はアート作品を目当てに訪れるのだが、島のとりこになってしまうようなのだ。


「自然が豊かで、島民は人間味にあふれています。アート作品はもう見てしまい、やることがなくてぶらぶら歩いていたら、おじいちゃんとおばあちゃんが『どこから来たの』と話しかけてきて、持ちきれないほどミカンをくれました」と話す20代の女性は、何度も島に通った挙げ句、東京から移住してしまった。


 同じように豊島に通い詰めて移住する若者は多い。「50人を超えました。移住者同士で結婚した夫婦も3組います」と自治連合会長の三宅さんは目を細める。800人の島民に対しては、かなりの割合だ。


「草木染めをしている夫妻、自然の飼料でウコッケイを育てている家族、養蜂をしている女性、夫はまだ関東で仕事をしているものの、先に来て食堂を始めた奥さんもいます。住民とつきあうのが来島の目的の1つなので、地域の活動には喜んで参加してくれます。近所付き合いが希薄だと言われる他地区の移住者とは違うのです。自治会の会計を引き受けてくれた女性もいるんですよ」と三宅さんは微笑む。


 4年前、夫婦で東京から移住してきた門脇湖(ひろし)さん(48)は塩を作り始めた。「海水ならいくらとっても怒られない」と考えたのがきっかけだが、季節によって、また乾燥の方法によって、味や大きさが違ってできる塩に魅せられた。



豊島の海を凝縮した塩を作る門脇湖さん


「産廃の風評もあるだろうに」と心配する島民もいた。だが、門脇さんが海水を調査すると「環境省が定める基準の10分の1以下の値でした。特に水がきれいで、塩作りに適していたのは、なんと不法投棄現場の近くの海でした」と言う。


 県の創業支援助成金を受けて施設を造り、天日だけで製造を始めた。製品は「太陽と風がつくる豊島の海を丸ごととじ込めた塩」と名付け、東京や大阪にも出荷している。同じ移住者が生産する無農薬レモンを入れた商品も開発した。


「僕達が今、塩を作れるのは、島の人が戦って自然を守ったからです。そんな島の役に立てるよう、塩を通して豊島の美しさや魅力を発信できたらと思っています」と話す。


 豊島は「ゴミの島」のレッテルを張られた。だが、不法投棄現場以外では、自然も、人の心も、汚されなかった。


 アートをきっかけに訪れる観光客や移住者は、不法投棄事件を知らない人が多い。逆に言えば、レッテルに惑わされない人でもあるだろう。だからこそ、豊島が本来持っていた魅力に気づく。


 それをどういかしていくのか。再生はまだ始まったばかりだ。



(葉上 太郎)

文春オンライン

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