復帰後の沖縄史をいち県民の視点で描いた『ぼくの沖縄〈復帰後〉史プラス』著者が語る「県民投票」の意味

2月26日(火)17時30分 週プレNEWS

「沖縄の基地問題をめぐって日本政府と沖縄の間で起こっていることは、共感力の欠如がもたらすことの『恐ろしさ』を象徴している」と語る新城和博氏
「沖縄の基地問題をめぐって日本政府と沖縄の間で起こっていることは、共感力の欠如がもたらすことの『恐ろしさ』を象徴している」と語る新城和博氏

沖縄県辺野古(へのこ)沿岸で進められている米軍基地建設のための埋め立て工事。その賛否を問う「県民投票」が2月24日に行なわれ、「反対」が有効投票の7割を超える結果となった。

1972年の日本復帰から46年を経た今も、基地をめぐるさまざまな問題を抱えながら「本土」とは異なる歴史を生きてきた沖縄の人たちの「心の風景」とはどんなものなのか?

復帰を9歳で迎えた著者の新城和博氏が、「沖縄の復帰後史」を自身のプライベートな思い出や印象的な出来事とクロスさせながら、立体的に描いたのが『ぼくの沖縄〈復帰後〉史プラス』(ボーダー新書)だ。

* * *

──2014年に発売された旧バージョンに、新たに4年分を加筆した『プラス』が今回発売されました。

新城 前の『ぼくの沖縄〈復帰後〉史』は、12年の復帰40年に向けて、僕が地元紙の『沖縄タイムス』に連載していたコラムをまとめたものです。それを発売したのが14年の2月。折しも、当時の仲井眞弘多(なかいま・ひろかず)知事が普天間基地の辺野古移設を承認した直後でした。

タイミング的には、いわゆる「オール沖縄」の動きや、「翁長雄志(おなが・たけし)県政誕生」へとつながる時期でした。そこから玉城(たまき)デニー知事の誕生に至る「その後の4年間」を新たに書き加えたのが今回の『プラス』です。

──新城さんが9歳のときに沖縄が日本に復帰すると、駄菓子屋で使うお小遣いがドルから円に変わった、復帰から6年間もアメリカ統治下の右側通行が続いていた、また80年代前半までは「計画断水」が沖縄の夏の風物詩だったなど、本土で育った私とは異なる景色や歴史の中で、沖縄の人たちが生きてきたことをあらためて感じます。

新城 そのコラムは沖縄県民を読者に想定して書いたもので、僕の個人的な視点や思い出を材料に復帰後の沖縄を描くことで、特に同世代の沖縄の人たちのノスタルジーを刺激する内容になっているのですが、意外と県外の読者にも読んでもらえて、その反応は新鮮でしたね。

また最近、この本をネタにして県内の大学などで話をする機会があるのですが、沖縄出身の子でも若い世代は復帰を知りません。しかも、その「知らない度合い」が自分の想像を超えていることに驚きます。

50代の僕にとってはリアルな思い出の「復帰」も、若い世代にとっては「沖縄戦」などと同じで、「学んだ歴史」になっているんですね。

──一方で、かつて聴いていた音楽や夢中になったものなど、新城さんが描く「思い出」には、同じ時代に育った人間としての「共通点」も多くて、本土と沖縄の「違い」に驚きながら、同時に「共感」を刺激される不思議な感覚でした。

新城 僕は「共感力」って、人間にとってとても大切なものだと考えていて、そういう「自分とは別の誰か」の感覚を自分の感覚につなげて感じる力、ほかの人の「喜び」や「悲しみ」を想像する力によって、人類は社会的な動物として発達できたし、お互いの立場や利害の違いを話し合いで乗り越えることもできるんだと思うんです。

逆に、「他人への想像力がない」となんでもできてしまうわけで、例えば今、沖縄の基地問題をめぐって日本政府と沖縄の間で起こっていることは、そうした共感力の欠如がもたらすことの「恐ろしさ」を象徴しているようにも感じます。

──本書が新城さんのパーソナルな視点で書かれた「個人史」になっているからこそ、自然な「共感」を刺激するのかもしれませんね。

新城 そうですね。歴史って本当は何かひとつの「大きな流れ」があるのではなく、その時代にその場所で生きている、いろんな立場の人たちの「異なる視点」や「それぞれの景色」の重なり合いのなかにあるんじゃないかと思うんです。

だから、同じ沖縄の歴史でも、この本で描いた僕の「復帰後史」とは別の世代の「復帰後史」もあるだろうし、この本は僕という「那覇で生まれた子供」の視点で描いた復帰後の沖縄だけど、同じ沖縄でも宮古島や八重山諸島の人たちには、また別の復帰後史があって、違いを認めた上で人がお互いに共感力を働かせ合うことで社会は機能するはずなんです。

ところが今回、新たに書き加えた2014年から18年までの出来事を振り返ってみて、日本があまりにもひどい状況になっていることにあらためて驚かされました。

安倍政権下の4年間で、日本は政治が人々の声を平気で無視して「やりたい放題」できる国になってしまった。沖縄で暮らしていると、それを強く感じますし、その安倍政権と身を削り戦い続けた翁長知事の死は、「そういう国と対立する」とはどういうことかを物語る象徴的な出来事だと思います。

──翁長さんの遺志を継ぐ玉城デニー知事の誕生と、辺野古埋め立てをめぐる「県民投票」は沖縄にとってどんな意味を持つのでしょうか?

新城 翁長さんの死後、沖縄県民も予想しなかった形でデニー知事が誕生しました。沖縄のコザで米兵と沖縄の女性の子として生まれ、ミュージシャンやタレント活動をしていた彼はまさに、「復帰後世代」の象徴みたいな人物だと思います。

今までの沖縄政治の担がれ方とは違う、沖縄といういろんな文化、歴史、混ざり合った場所のリアルな手触りを感じさせる人が、こうして知事になったことは今の沖縄にとって象徴的な意味があると感じています。

一方、そんなデニー知事の誕生以来、安倍政権はいっそう強権的になり、沖縄の人たちがこれまで何度も示した「民意」を平然と踏み潰(つぶ)している。 

沖縄が県民投票を行なうのは、都道府県による日本初の住民投票だった96年の「日米地位協定の見直し及び基地の整理縮小に関する県民投票」以来の2度目ですが、政治に対して自分たちが直接意見を示すことができる県民投票は、決して「アンケート」ではありません。

今回の投票を通じて沖縄県民が示した意思に、日本政府がそして沖縄以外に暮らす人たちがどれだけ「共感力」を発揮し、わがこととして受け止めることができるのかが問われている。

もちろん、結果によって何かが劇的に変わるとは思いませんが、僕は「勝つ」のではなく「負けない」ことにこそ、意味があるのだと思っています。

*この記事は、『週刊プレイボーイ』9号(2月18日発売)に掲載されたものです。

●新城和博(しんじょう・かずひろ)
1963年生まれ、沖縄県那覇市出身。那覇市立城岳小学校、那覇市立上山中学校、沖縄県立那覇高校を経て、琉球大学法文学部社会学科社会人類学コース卒業。現在、沖縄の出版社「ボーダーインク」に勤務。著書に『うちあたい日々』『《太陽雨》の降る街で』『ンパンパッ!おきなわ白書』『道ゆらり』『うっちん党宣言』『ぼくの〈那覇まち〉放浪記』(すべてボーダーインク)ほか、共著多数

■『ぼくの沖縄〈復帰後〉史プラス』
(ボーダー新書 1200円+税)
太平洋戦争末期、1945年の沖縄戦直後から72年までアメリカ統治下にあり、日本本土から切り離されていた沖縄。63年に生まれ、日本復帰を小学生のときに迎えた著者が、復帰から2010年代の時代を象徴する出来事を個人の体験、視点を交えてつづったのが本書。「戦後」という響きとはまた違う、「復帰後」という時間軸で語られる沖縄のもうひとつの実像。今回、2014年以降の出来事をプラスした増補改訂版を刊行

インタビュー・文/川喜田 研 撮影/桑村ヒロシ

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