30年前に標語「原子力 明るい未来の エネルギー」を考案した少年はいま

3月11日(日)7時0分 文春オンライン

「原子力 明るい未来の エネルギー」


 東京電力・福島第一原発の5、6号機が立地する福島県双葉町。JR常磐線双葉駅(原発から4.2キロ)近くの町の体育館のそばに、この標語が書かれた看板があった。老朽化のために町は2015年12月、看板を撤去し、移設した。東京と仙台を結ぶ国道6号線からも見ることができた。



現在はすでに取り外されている双葉町の看板(大沼さん提供)


標語を考えた当時は小学6年生だった


 標語を考えたのは大沼勇治さん(42)。双葉町が1988年3月、子どもたちを含む町民から集めた標語の一つを看板にしたのだ。当時は小学6年生だった。


 震災前にSNSの先駆けだったミクシィを通じて、現在の妻(42)と知り合い、2010年3月に結婚した。結婚後1年で原発事故が起きた。妊娠7ヶ月で、長男(6)がお腹にいた。そのこともあり、2日後には、妻の実家のある会津地方に避難した。現在、茨城県古河市に住んでいる。



 夫婦はさらに親類をたよって愛知県に避難した。原発事故から3年後の2014年5月、古河市に居を構えた。震災前は不動産業だったが、震災後は太陽光発電の会社を作り、生計を立てている。茨城県の石岡市、常陸太田市、栃木県のさくら市と那須烏山市でソーラーパネルを設置している。


「なぜ古河市だったのか? 近くの埼玉県加須市に避難した双葉町の役場があった。そのため、周囲を散策していて見つけたんです。しかも、ここならいつでも双葉町に行くことができる。ただ、ここにずっと住もうと思って家を建てたわけじゃない。だから、狭いんです。1階はバス、トイレ、キッチンしかない。避難先の愛知県では借り上げで、マンションだったんですが、そのときの感覚で家を建てました」(大沼さん)



 一時帰宅は何度もしている。月に1回は行くようにしているため、80回を超えている。いつの頃からか、原子力の標語について反省をするため、“書き換え”を行なうようになった。一部を、別の言葉を記した紙を持って“書き換え”ながら、写真を撮影する。


「原子力 制御できない エネルギー」

「脱原発 明るい未来の エネルギー」

「核廃絶 明るい未来の エネルギー」




 また、標語のあった看板近くには、心境を描いた詩が書かれたパネルを設置している。


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 新たな未来へ

 双葉の悲しい青空よ

 かつて町は原発と共に「明るい」未来を信じた

 少年の頃の僕へ その未来は「明るい」を「破滅」に

 ああ、原発事故さえ無ければ

 時と共に朽ちて行くこの町 時代に捨てられていくようだ

 震災前の記憶 双葉に来ると蘇る 懐かしい

 いつか子供と見上げる双葉の青空よ

 その空は明るい青空に



 震災3年 大沼勇治



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 古河市に住んでから、次男(4)も生まれた。2人の子どもにとってみればこの地がふるさとだ。双葉町のことは写真やビデオでしか知らない。子ども2人には双葉町は無縁の地だ。


「原発反対集会に連れて行くことはしています。そこで『原発反対!』と叫んだりしているんですが、幼稚園の入園のとき、次男がそう叫んだときは驚きましたね」(同)



 4月からは長男が小学校に入学する。そんななかで、妻は、長男がいじめられることを心配している。これまではメディアに出ていたときもあるが、最近では控えている。そのため、今回は家族は匿名で写真もなし。妻は言う。


「ママ友との付き合いはありましたが、震災の話は出ませんし、触れないようにしています。というのも、原発避難者の子どもへのいじめがありましたね。恐れていることが起きてしまいましたので、ドキドキしています。心ない人がいるかもしれませんし。どこから引っ越してきたのかと聞かれたら、愛知県と答えるようにしています。ただ、今は、『市内のどこ?』としか聞かれません。自分の出身地が堂々と言えないのは寂しい」



 食生活での、福島産の農産物、畜産物を買うかどうかも悩みは多い。


「福島産の野菜が売れ残っていたりするんです。産地名が目立たないところに書いてあったりします。いまは福島産の野菜などは目にしても意図的に買わないようにしています。避難するときに、嘘の情報が多く、本当のことを教えてくれないことが多かった。安全だという情報が信じられないのです」(妻)


 原発事故の影響も心配する。妻は発災時、相馬市で仕事をしており、翌12日には双葉町にいた。その後、南相馬市(第一原発から24.2キロ)や相馬市の道の駅(同38.5キロ)に避難していたということもある。


「震災当初は『大丈夫』と答えていました。でも、『本当は大丈夫じゃないんじゃないか?』とも思っていたんです。ただ、『大丈夫』と思わないと、この子を守れないと思っていたんです。発達にどんな影響があるのか。今のところ、大丈夫です。でも、本当は悩んでいたんです」(同前)



 大沼さんはその妻の話を聞いて、「知らなかった」とつぶやいた。


 夫婦ともに出身地を隠すのは本意ではない。その上、双葉町に一時帰宅する前に、福島県内に前泊するときも、さらに気をつかう。


「一時帰宅するときは、いわき市に前泊します。食事をしているときに東電の悪口は言えない雰囲気です。なぜなら、横に東電関係者や原発作業員が多いんです。『大きな声を出さないで』と言われたこともあります」(大沼さん)


 ただ、毎回のように一時帰宅するのは理由がある。それは生まれ育った町の記録を撮り続けることだ。


「一時帰宅は最初はこれで最後と思っていた。爆発したらもう帰れない。ここで生きていたし、故郷として接していきたいし、町の姿を直視したい。今の双葉町は、ダムの下に沈む町のような感じ。震災前は考えていなかった。いつでも帰れると思ったから、出て行った。でも、震災で故郷はおかあさんみたいなものと実感した。住んでいたときは町の写真は撮っていなかったけど、大事な場所と気がついた」



 福島第一原発から20キロ圏内は警戒区域となり、一時は立ち入り禁止となったが、多くの地域では避難指示が解除されている。一方、東京に電気を送り続け、日本経済の発展を支えて来た福島県双葉町は、現在もほぼ全域が、帰還困難区域で避難指示が出ている。大沼さんはまだ帰れない。


「東京の人は、『もう原発事故の話はいいよ』という感じかもしれない。しかし、僕たちが住んでいた双葉町、信じていた原発のことは伝えていきたい」




(渋井 哲也)

文春オンライン

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