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教科書に載っていない世界史 古代ギリシアはペルシア帝国に操られていた

文春オンライン3月21日(火)17時0分

アテネをはじめとする都市国家は内紛に明け暮れながら、アジアの強大な帝国を仰ぎ見ていた。


◆ ◆ ◆


 紀元前5世紀の古代ギリシア、繁栄の絶頂にあったアテネでは、風変わりなものが流行していた。ギリシア人の衣服は一枚の布を巻いただけで袖がないのに、長袖の付いた丈の長い上衣を着る人々がいた。奴隷に日傘を持たせ、頭上にかざして外出したり、室内では扇で自分をあおがせる女性たちもいた。こうした様子は現存する壺絵に見ることができる。長袖の上衣、日傘に扇、どれもペルシア風を真似たもので、上流の人々によって使われた。


 ペルシア風は個人の趣味に留まらない。民主政を動かす役人団の一つである評議員の詰所は円形で、上部は傘を開いたような円錐形をなしていた。アクロポリスの麓(ふもと)に建てられたオデイオンと呼ばれる建物は、正方形の敷地に9列×9列の柱が並んで四角錘の屋根を支えるという、当時のギリシアでは考えられない建築様式だった。これはペルシア王の天幕を模倣したと考えられている。このように公共建築にさえペルシアの様式が採用されたのだ。これは一体何を意味するのか。


 ペルシア軍の侵攻をギリシア人が撃退したペルシア戦争(前490〜479年)からすでに数十年。ギリシア人は敗れたペルシア人を軽蔑し、彼らは王の奴隷も同然だと見なしていた。その一方でギリシア人は、ペルシア人が戦場に残した豪華な天幕や金銀の家具調度品に目を見張り、異国情緒あふれる文物に強いあこがれを抱いた。アテネが派遣した外交使節もペルシア王から豪華な贈物を受け取り、数々の舶来品をもたらした。その中には孔雀もあった。ペルセポリスの浮彫りにもあるように、日傘はペルシア王の権力を象徴する持物だった。アテネの上流市民がこれを真似たのは、自身の社会的地位を誇示するためである。奴隷は本来なら生産労働に使うべきなのに、日傘を持つ奴隷は何の価値も生み出さない。よって奴隷に日傘を持たせることは、生産労働とはかかわりのない奴隷を持つだけの財産を主人が有していることの証明となるからだ。


 通常は、戦争に敗れた側が勝った側の文化に憧れる。ところがペルシア戦争に勝利したギリシア人が、敗れた側のペルシア文化を模倣し、ペルシア趣味に耽(ふけ)るという、逆の現象が生まれたのである。


豊かなアジア、貧しいギリシア


 なぜギリシア人はこれほどまでにペルシア風を愛好したのか。世界史で習った印象とは逆に、ギリシアよりペルシアの方がはるかに豊かだったからだ。ギリシアの国土は山がちで痩せており、ブドウやオリーブは育っても、穀物の自給は難しく、一部を除いて貴金属も乏しい。対してペルシア人は小アジアから中央アジアにまたがる大帝国を築き、農作物から貴石に至る豊かな産物を有していた。


 へロドトス『歴史』第一巻によると、ペルシア以前に小アジアを支配したリュディア王国のクロイソス王は巨万の富を持ち、その名声はギリシア中に鳴り響いていた。同七巻では、スパルタから亡命した王がクセルクセス王に向かって、「ギリシアの国にとっては昔から貧困は生まれながらの伴侶のごときもの」(松平千秋訳)と語っている。


 前479年のプラタイアの会戦でペルシア軍が撤退した後、スパルタの指揮官は捕虜となった料理人に、ペルシアの将軍に用意するのと同じ料理を作らせ、山海珍味に驚きあきれた。戯(たわむ)れに自分の召使いにスパルタ風の料理を作らせると、あまりの落差に笑い出したという。アリストファネスの喜劇『蜂』では、大枚をはたいて織られるペルシア外套(がいとう)の逸品が言及される。東方世界の豊かさとギリシア世界の貧しさ、これが古代ギリシア史を貫く隠れた糸である。



内紛の陰にペルシアあり


 これまでの常識を離れてペルシア側から眺めると、古代ギリシア史はどのように描けるだろう。そもそもギリシアがそれほど貧しいなら、なぜペルシア王はわざわざ大軍を率いてギリシアに侵攻したのか。新たに即位したペルシア王は、自身が王にふさわしいことを証明するため、戦争の勝利を必要とした。クセルクセスは、父王ダレイオス一世が果たせなかったギリシア征服を実現することで、父の遺志を受け継ぐだけでなく、王としての威信を確立しようとしたのである。



ペルシア帝国の都ペルセポリス ©iStock.com


 結局ギリシア征服は成らなかったが、その後のペルシア王たちは国土の安泰を確保するのに別の方法を採用した。ギリシア人の矛先がアジアに向くことがないよう、彼らを常に戦わせたのである。


 周知のように古代ギリシア人は統一国家を作ることはなく、ポリスと呼ばれる多数の都市国家に分かれていた。その総数は約1000とも言われる。最盛期のアテネはエーゲ海の島々や小アジア沿岸の諸都市をデロス同盟に組織し、時にはペルシア領にも遠征軍を派遣した。


 前431年、このアテネがもう一方の雄スパルタに対して戦端を開き、ギリシア世界を2分するペロポネソス戦争が始まる。その末期にアテネの勢力が衰えると、ペルシア王はスパルタに軍資金を提供し、これによって建設された海軍が決め手となって、前404年アテネは降伏した。


 ところが覇者となったスパルタが、小アジアのギリシア諸国を解放するとの名目で小アジアに侵攻する。ペルシア王はこの脅威を取り除くため、今度はアテネやテーベ等の有力国に資金を送り、反スパルタ同盟を結成させた。こうして前395年にコリントス戦争が始まり、スパルタは小アジアから軍隊を撤退させた。ペルシア側のねらい通りである。戦局は一進一退を重ねたが、アテネの海上支配の復活を恐れるペルシアとスパルタの思惑が一致し、前386年に講和条約(大王の和約)が結ばれた。それはギリシアの全ポリスの自由と自治を保証する一方で、小アジアのギリシア人がペルシア王に服属することを認めていた。このためスパルタは、大陸の同胞をペルシアに売り渡したとして非難された。


 その後もギリシア人同士の覇権争いは止むことがなかった。ペルシア王はその時々の有力国の後ろ盾となって和約を更新しながら、どのポリスも決して覇権を握ることのないようギリシア人を操った。こうする限り、ギリシア人が連合してペルシア領に攻め込む心配はない。前4世紀のギリシア世界は、大王の和約という国際的な枠組みの下、ペルシア王によって統制されていたのである。


 慢性的な戦争から抜け出せないギリシアでは、国内の政治抗争や経済的没落のために多くの市民が故国を離れ、生計のために傭兵となって各地を転々としていた。ギリシア人は優秀な兵士として評判が高く、ペルシア王も小アジアの総督たちもこぞって彼らを雇った。アテネの将軍も個人的な利得のために海外へ出かけ、傭兵隊長として活躍した。スパルタにいたっては、前371年レウクトラの会戦に敗れて1等国の地位から転落した後、王がみずからスパルタ兵を率いてエジプト王に雇われ、その手当で国の財政を立て直そうとした。国家ぐるみの出稼ぎである。そのエジプトは前5世紀末以降ペルシアから独立し、ペルシア王は何度も遠征軍を派遣した。両者は共にギリシア人傭兵に依存していたから、結局ギリシア人同士が敵味方に分かれて戦っているのであった。


 ペルシア王の統制のもとで戦争を繰り返し、国力を消耗させるギリシア諸国。国外を放浪しつつ王侯に雇われて生計を立てるギリシア人傭兵。これが前4世紀の、ペルシア帝国からは西の辺境にすぎないギリシアの現実である。東方遠征論も、実はこうした現実を前提として生まれた。


貧しさゆえの東方遠征論


 アレクサンドロス大王の東方遠征があまりに巨大な印象を与えるため、東方遠征は大王の専売特許と思われるかもしれないが、そうではない。彼の父でマケドニア王フィリッポス2世が、ギリシアを征服した2年後にペルシア遠征に着手していた。その直後にフィリッポスが暗殺されたため遠征は一旦中断したが、アレクサンドロスは父王の計画を受け継ぎ、即位して2年後の前334年、あらためて遠征を開始したのである。


 ではフィリッポス2世が東方遠征を初めて考案したのかというと、そうでもない。その構想は前5世紀末から前4世紀初めにかけての、ギリシア知識人たちの議論に始まる。先に述べたように、当時のギリシアでは、政治抗争や戦争による農地の荒廃のため、多くのギリシア人が家族とともに各地を放浪していた。これを根本的に解決する手段が、ギリシア連合軍によるペルシア帝国の征服と、無産市民や亡命者の植民だと考えられたのである。こうして前4世紀には、ギリシア人の協調とペルシアに対する戦争の勧告が、政治弁論の主題の定番となっていた。東方遠征もまた、ペルシアの豊かさとギリシアの貧しさから生まれた構想なのである。



ペルシア帝国はなぜ滅びたのか


 アカイメネス朝ペルシアは多数の民族を支配したが、税金を納め軍役に従事する限りは内部に干渉せず、宗教や慣習に対しても寛容な態度をとった。一部地域の反乱や離反はあったものの、建国から200年以上を経ても、全体として安定した統治を続けていた。そのペルシア帝国がアレクサンドロスの遠征によって滅びたのはなぜなのか。今度は東方遠征をペルシア側から眺めてみよう。


 大王以前にペルシア領内へ本格的に攻め込んだ外国軍は2つある。前401年、王弟キュロスの反乱を支援した一万のギリシア人傭兵、それに前390年代のスパルタ軍である。前者はキュロスが戦死した後、苦難の末に帰国し、後者はペルシア王が仕組んだコリントス戦争の勃発で撤退した。反乱は各地で起きたが、エジプトは再征服されたし、小アジアの総督たちの反乱も地域が限定されていた。以上の例はどれも、王権自体を覆すような脅威ではなかった。



アレクサンドロス大王 ©iStock.com


 これに対してアレクサンドロスは異次元の敵であった。彼は最初からペルシアを滅ぼすことを目標としており、彼の征服戦争は帝国の滅亡まで終わらなかった。それどころか帝国の滅亡後も彼の戦争には限界がなく、征服が自己目的と化していた。この意味でアレクサンドロスという人物は、アカイメネス朝が経験したことのない、全く新しいタイプの征服者であった。


 アレクサンドロスの侵攻に対して、個々のペルシア人はどう反応したか。彼らの選択肢は2つあった。1つはあくまでもペルシア王に忠誠を尽くし、侵略者と戦うこと。もう1つは自分の利得を守るため、忠誠の相手を乗り換えることである。


 そもそもアカイメネス朝には帝国全体を統一するための理念やイデオロギーは存在しない。帝国をまとめていたのは王と臣下の個人的な紐帯、すなわち臣下は王に忠誠を尽くし、王は臣下に恩恵を与えて保護するという互酬関係であった。属州総督に代表されるペルシア人貴族も、各地域の非ペルシア人との間に同様な関係を結んでおり、こうした個人的紐帯の網の目がアカイメネス朝の統治体制を支えていたのである。そうすると、外国からの侵略者に直面した時、自分が現在所有している地位・財産・名誉が安堵されるなら、新たな支配者に忠誠を誓っても差支えないであろう。忠誠と保護という互酬(ごしゅう)関係が成り立つなら、相手は必ずしもペルシア王でなくてよい。これを裏切りと見るのは、国民意識や愛国心を植え付けられた現代人の偏見である。そもそもアカイメネス朝に国民意識など存在しなかった。


 従って東方遠征の成否の鍵は、個々の会戦での勝利だけでなく、互酬関係に基づく恩恵と保護をアレクサンドロスがペルシア人支配層に保証できるか否かにあった。この点で彼は確かに成功した。遠征1年目、小アジアの拠点サルディスの守備隊長が帰順して先例を作り、4年目にバビロンとスーサの総督が臣従(しんじゅう)して流れを決定、アレクサンドロスは2人をあらためて総督に任命した。さらにダレイオス3世の逃走に従った高官たちも次々に帰順した。


 アカイメネス朝ペルシアの柔軟で寛容な統治体制は、多様な諸民族をまとめあげるのに極めて有効で、その方策は後のローマ帝国やオスマン帝国にも受け継がれた。しかしアレクサンドロスのように征服自体を目標とする侵略者の前には、抵抗力を持たなかった。アカイメネス朝はその卓越した統治体制のゆえに成功し、その統治体制のゆえに滅亡したのである。他方でアレクサンドロスの征服も、ペルシア帝国の体制を破壊することでなく、それを継承することで実現した。ゆえに彼は事実上アカイメネス朝の後継者である。ペルシア帝国は滅びたが、その体制の核心部分は王朝を超えて生き延びたのである。




(森谷 公俊)

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