昭恵夫人に欲しい「日本を背負う総理」の妻意識

4月19日(木)6時0分 JBpress

都内の京橋築地小学校で、習字の授業に参加し安倍昭恵首相夫人(前列右)と一緒に書いた「平和」の文字を見せるメラニア・トランプ米大統領夫人(前列左、2017年11月6日撮影)。(c)AFP〔AFPBB News〕

 森友学園問題では安倍晋三首相の昭恵夫人の名前が頻繁に出でている。事業をやりたい野心家が権力者やその関係者に近寄り、利用するのはいつの時代にも存在する。

 首相夫人たるものはそうした人々の企みに惑わされないことが大切である。しかし、夫人は警戒どころか、事業が良い方向へ進むならばとの思いの言動さえ見られ、そこにつけ込まれたのが真相ではなかろうか。

 第1次安倍内閣は、首相の体調不良もあり1年しか続かなかった。夫人が夫の体調回復に積極的に取り組んだことは知られている。

 同時に夫とは別人格として、普段から積極的に行動していることも報道などで確認できる通りである。

 『「私」を生きる』などの著書やいろいろな人との対談などが月刊誌にも掲載されている。神田(東京都)には居酒屋UZUまで開店しており、他の首相夫人のイメージとは全くキャラクターが異なっている。

 インターネットで見ると、「UZUの想い」として「心もからだも喜ぶ食材を、安心してお召し上がりください」のキャッチコピーで「下関市の『昭恵農場』で育てた無農薬のお米『昭恵米』を多くの方にお召し上がりいただきたいという思いからオープンしました。(中略)食材の基本は『無農薬、低農薬、無添加、露地もの』。(後略)owner 安倍昭恵」と書かれている。

 しかし、外国流に言えばファースト・レディであり、権力者の最近距離にある。夫人の意識に関わりなく、利用しようと画策する人物には権力と直に繋がっていると見えるであろうし、利用価値抜群となるに違いない。

 このことが今次問題の本質であり、夫人には自分の身をしっかり律してもらう以外にない。


公人の妻の仕事とは

 産経新聞(平成29年5月4日付)の「正論」欄で「指導者の夫を支えた『妻の仕事』」と題し、米国の大統領2人と徳川幕府の奉行1人を取り上げた一文を、東京大学名誉教授の平川祐弘氏が書いている。

 アイゼンハワー大統領のメイミー夫人がホワイトハウスでの夕食の時間に遅れたときのことである。

 アイク(大統領の愛称)が低い声で「自分のしたことが分かっているのかい。君は合衆国の大統領を待たせたんだぜ」とつぶやくと、夫人は「あら、私は自分の夫のためにおめかしに念を入れてたのよ」と返答する。

 そして集まっている皆さんに対しては、「私のキャリアはただ一つ、その名はアイクよ。国を動かすのはアイクで、妻の仕事は夫が心おきなく本分を尽くせるよう、雑事から解放してあげることなの」と言ったそうである。

 共働き以前の日本で多くの主婦がしていたように、夫の全給料の受け取りから家計管理はすべて夫人が行い、西洋では珍しかったという。

 「高貴な人には、たとえ無給であろうと、せねばならぬ仕事がある。そしてするに値する仕事がある。大統領夫人や首相夫人としての内助をまっとうすることも、女性としての自己実現の最たるものであろう」

 「女性が夫から独立して仕事を持つことに意味があるという主張は米国から日本にも伝わった。だがそれを強調するあまり、アイク夫人が言う『妻の仕事』の価値を見落としてはならない」と、平川教授は言う。

 また、「米国式に妻と何でも相談するのが良いのか」と疑問も呈し、カーター大統領の例を挙げる。

 カーター氏は会議中にしばしば夫人に電話で意見を求めた、と驚くべき事実を語る。そして「ファースト・レディーはやがて閣議にも出席しノートもとった」とも語る。

 カーター氏が1任期のみで1980年の選挙に敗れた最大の理由は、しゃしゃり出たロザリン夫人の差出口に有権者が反感を覚えたからだ、と米誌は報じたそうである。

 教授が挙げた例ではないが、日本でも、むちゃくちゃな権力者がいた。銀閣寺を建立したことで知られる8代将軍足利義政は政治らしい政治をしなかったと、大川周明は『日本二千六百年史』で書いている。

 応仁の乱が発生するが、将軍は「乱世を他所に見て、風流と淫楽と雅遊とに耽っていた。彼の政令は、当時の人々が三魔と罵れる三人の側室より出づるを常とした」とまで書いている。

 無責任な側室政治となり、下剋上の時代になるのも致し方なかったであろう。

 よく知られているように、豊臣秀吉の晩年も側室茶々に振り回された。


慎ましい奉行の妻

 平川教授が挙げた日本の例示は、駿河の町奉行に任じられた板倉勝重の話である。

 奉行職につけたい徳川家康に呼び出された勝重であるが固辞する。しかし、家康は許さない。

 すると勝重は「妻にて候ものと謀(はか)りてこそ、御返事は申すべけれ」と、妻に相談しないと自分の一存では決められないと言う。

 帰宅した勝重が「おことは如何にや思ふ」と尋ねると、妻は「あな浅まし」と言い、私的なことなら夫婦で相談することもあるでしょうが、公に関わることは命令でしょうと応えたそうである。

 だが勝重は「いや違う。縁故や賄賂で私利を謀るものがいるから奉行職には失敗がつきものだ。その災いはたいてい女から起る。私の身にどんな不思議があろうとも、差出口はしないと誓ってくれ。そうせぬ限り、わしはこの職につくことはできない。だからこそお前と相談したいと申し上げてきた」(大要)と妻を諭す。

 夫の出世を願う妻は神妙に誓いを立てた。勝重は家康の下へ出ていくため衣服をあらためるが、妻の誓いを確かめるためか、「袴の後ろ腰をもじりて着たり(うしろ板をねじっていた)」という。

 妻が近づき直そうとする。勝重は「差出口を利かないと誓ったことをもう忘れたな」と鋭い声で叱り、「奉行職をお引き受けすることはできない」と衣服を脱ぎ捨てようとする。

 妻が散々詫びると、「さらば、その言葉いつまでも忘れたまふな」と言って家康のところへ参上する。

 ここには政治家の妻に求められる慎ましい姿が映し出されている。現代の政治家の伴侶には、選挙で選ばれた夫(または女性議員)を支えることが「妻(または連れ合い)の仕事」ではないだろうか。

 ましてや、ブレーキになっては元も子もない。

 昭恵夫人は自らを叱咤しながら「私」を生き、ノーブレス・オブリージュ(高い身分に伴う責任)の意識すら忘却して、近寄る人を性善説で見る人のようだ。ロザリン夫人や側室たちのように政治を壟断する意志など毛頭感じられない。

 男女共同参画社会が日本の目指す社会であり、特に女性の社会進出が推奨されていることは言うまでもない。

 しかし、一般の家庭においては、家庭を崩壊させないという配慮で大切であり、公的立場にある家庭にあっては公を支えて阻害しないという最小限の認識が不可欠ではないだろうか。

 昭恵夫人に、あえて昭憲皇太后が詠まれた御歌を示したい。

 高山のかげをうつしてゆく水の ひき(低)きにつくを心ともがな(心は高く、身は慎ましくありたい)

 あやまたむことをおもへばかりそめの ことにもものはつつしまれつつ(油断は大敵です)


日本のために

 個人として何をやっても自由ではあろうが、総理大臣や閣僚、政治家などは国民が国家を託した公人である。連れ合いが足を引っ張るようなことがあってはならない。

 当人の「自由」に対する思いをも縛る国家の重みからくる要請であるからだ。

 他人を利用して事業をやりたい、拡大したいと思う人の中には言葉巧みにすり寄り徹底的に利用してやろうという性悪な人間もいるわけで、昭恵夫人にはこうした人に対する警戒心が希薄であったことは確かであろう。

 ともあれ、好むと好まないとにかかわわらずファースト・レディーになったからには「公的責務を国民に対して負う総理大臣」の妻として、自ら則を超えない自覚をもち、行動をしてもらわなければならない。

 「晋三」氏は昭恵夫人の夫であり、人格は別々かも知れない。しかし、「安倍総理」となるともはや夫という「個人」ではなく、国家の運命を担う最大級の「公人」である。国家と国民に対して重大な責任を負う立場にあることを忘れてもらっては困る。

 学園が開設予定であった小学校の名誉校長に一時就任した夫人に対し、与党から苦言や行動自粛を求める声が相次いでいるというのももっともなことである。

 4月9日の参院決算委員会で自民党の西田昌司議員が「首相夫妻は夫々社会的立場が高い。奥さまは法的な責任とは無関係だが、自らの身を律していく姿勢を国民に示していただきたい。それが安倍政権の信頼回復の一番の基になる」(「産経新聞」4月10日付)と述べた通りである。

 同様の趣旨であるが、公明党の山口那津男代表は8日放送のラジオ日本番組で「『李下に冠を正さず』という不文律をよくよくわきまえ、省みてほしい」と注文を付けた(同上紙)とされる。

 首相夫人にはスタッフや知恵袋がいるであろうが、自分の意思と能力、なかでも外部に向けて発信したいという強い意志がなければ、いまのような行動も発言も叶わないであろう。それは歴代の首相夫人と比較すれば容易に理解できる。

 モリ・カケや日報に絡む問題が首相の支持率を低下させている。関係大臣に監督責任があるが、安倍内閣を引き下ろしたい野党とマスコミ界は、最高の責任者である総理大臣に「風が吹けば桶屋が儲かる」式に責任があると追及してやまない。

 専門家でもない知識人たちがテレビに登場して、ワイドショーで得た偏った知見をひけらかし、いかにも日本の全体的な世論でもあるかのごとく見え、雪だるま式に膨らんでいく。

 テレビ人間向けに行われる「ワイドショー民主主義」では、日本が直面している北朝鮮に絡む半島問題や、抑制が利かなくなりつつある中国の膨張主義が本当の国難であることなど分かりようもない。


国賊呼ばわりされた石破茂

 昭恵夫人も関わった森友問題などで、いま安倍政権が倒れては、この難関を超えられない。内閣においては閣僚は夫人同様の立場であり、閣議で決定したことを誠心誠意推進すべきことは言うまでもない。

 「総理大臣」という国民が国家を託した任務を助けることはあっても、足を引っ張るようなことがあってはならない。それは、当人の思想信条をも縛る国家の重みからくる要請であり、大臣を引き受けた責務でもある。

 自衛隊員は「危険を顧みず、身をもって責務の完遂に務め」る宣誓をする。最高指揮官である首相や防衛庁長官(現防衛大臣)なども宣誓をしてはどうかと、自衛隊出身の田村秀昭参院議員(自由党、以下すべて当時)が小泉純一郎首相に国会で質問した。

 小泉首相は「防衛庁長官にしても総理大臣にしても、職に就けばいつ身を挺してもいいという覚悟で私は職務に当たっていると思います」(柿谷勲夫著『自衛隊が国軍になる日』)と答弁している。「思います」というところには「逃げ」があるように聞こえてならない。

 小泉首相は「自衛隊を派遣するところは非戦闘地域だ!」として自衛隊をイラクへ派遣した。

 しかし、自衛隊の駐屯地にはロケット弾が落下するなどした。田母神俊雄航空幕僚長がC-130輸送機で視察したときは、イラク上空でロックオン警報(レーダーやミサイルの自動追尾装置に捕捉された警報)が二回も鳴り響き、搭乗機はチャフ・フレア(ミサイル回避装置)を撒いてことなきを得ている。

 米国のブッシュ大統領(息子)はイラク戦争の間に現地を4回視察し米兵を激励したが、小泉首相も石破長官(のち大臣)も視察することはなかった。

 この一事を見ても、隊員には身をもって責務を完遂せよと命令しながら、自身は安全な国会で議論する姿しか浮かんでこない。イラクに部隊を派遣したのは石破長官で、陸上幕僚監部は4回視察要請をしている。

 石破氏は「指示を出す立場の防衛大臣がのこのこ現場に行き、死んだりしたらどうしようもありません」と言うが、隊員の気持ちや「士気」がいかなるものかを微塵も理解していないとしか言いようがない。

 靖国神社や各県所在の護国神社は、今日の日本国家の礎となって戦死した人やその御霊を祀る社である。

 田母神氏(『WiLL』2017年10月号所収の論文から)は石破事務所に「石破さんは靖国神社に参拝しないのですか」と聞くと、「クリスチャンだから行きません」との答え。

 そこで、クリスチャンの大平正芳首相が参拝していたと伝えると、「地元の鳥取県護国神社には参拝しているからいいんです」との返事であったという。

 田母神氏が鳥取で講演した折、護国神社に参拝して「石破先生は、この神社に参拝していらっしゃるそうですね?」と問うと、社務所は「一度も参拝においでになったことはありません」との返事だったという。先人を冒涜するこれ以上のものはあるまい。

 渡部昇一氏は「石破防衛大臣の国賊行為を叱る」の掲題で『WiLL』(2008年6月号)に寄稿している。中国共産党の駐日記者が石破防衛大臣の執務室でインタビューし、共産党系の新聞「世界新聞報」に掲載された内容についての論評である。

石破氏は大要、「大東亜戦争は間違った戦争だったから、靖国神社には参拝しない」「南京大虐殺はあった」「慰安婦に日本軍が関与していた」「(対中防衛強化論者は)何の分析もしないで、中国は日本に対する脅威だと騒いでいる」「日本は中国に謝罪すべきだ」などと語っている。

 政府の調査で正式に認めなかった慰安婦まで認め、大臣時代のイージス艦「あたご」と漁船の衝突では自衛隊から白旗を挙げさせたが、その後の刑事裁判では無罪となる。旧軍や自衛隊の名誉を貶める言動ばかりだ。

 渡部氏は「本当にこの内容を話したのであれば、これは国賊行為」と語り、「日本には国賊行為を罰する法律がない」が、「投獄したり財産を没収するのではなく、国から贈られた名誉を剥奪すべき」だとして「国家名誉褫奪(ちだつ)罪を作るべきだ」と提言している。

 また、「(自衛隊の)武器そのものには詳しいのでしょうが、防衛大臣どころか日本国民としての歴史観はゼロだと言える」としたうえで、「石破氏が防衛大臣では『日本が〝自分が悪い″と思っているなら尖閣をよこせ』とばかりに中国軍が出てきて東シナ海、果ては沖縄まで獲られる可能性がある」と危惧する。

 ここ数年の世論調査では、この石破氏が安倍後継の筆頭に挙げられることが多いが、そうなれば益々中国を勢いづかせ、日本の名誉も国益も大いに棄損する結果をもたらすのではないだろうか。


おわりに

 法律に基づき、閣議で国家戦略特区に指定して岩盤規制に穴をあけようとした行動には何ら問題はない。首相が政治生命すらかける思いで地方の活性化を目指したのであり、「首相マター」と言っても不思議ではない。

 それがどこかで「首相案件」と表現され、ややニュアンスは違うが問題にするほどのこともないはずだ。

 むしろ、歴代の内閣ができなかった多くの懸案を解決してきた政治力と勇断は尊重に値する。しかし、多くの新聞やテレビなどのマスコミはこうした功績を一向に伝えない。他方で、支持率低下で倒閣を目指しているかのような報道ばかりである。

 放送法の中立性に違反していると言ってもおかしくない報道が多い。

 これでは議論を積み上げて練られた輿論(Public opinion)ではなく、面白おかしくワイドショーで語られた世論(Popular sentiments) が主力となって、日本の針路を誤まるのではないだろうか。

 日本の損失であり、ましてや日本から言論の自由などが奪われてから、「しまった」と気付いても後の祭りでしかない。

筆者:森 清勇

JBpress

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