安楽死反対のフランスで始まる「ソフトな安楽死」

5月21日(火)15時0分 JBpress

フランス・ランスの病院に到着したバンサン・ランベールさんの両親。10年にわたって植物状態にあるバンサン・ランベールさんに対し、5月20日、担当医師は生命維持装置を停止した(2019年5月19日撮影)。(c)FRANCOIS NASCIMBENI / AFP 〔AFPBB News〕

「新しいぶどう酒を古い革袋に入れる者はいない。そんなことをすれば革袋は破れ、ぶどう酒は流れ出て、革袋もだめになる。新しいぶどう酒は新しい革袋に入れるものだ。そうすれば、両方とも長持ちする」。(『新約聖書』マタイ9-17)
 オランダ、ベルギー、ルクセンブルク、スイスという自由な小国の狭間で、ヨーロッパの大国、フランスとドイツが新酒を古い革袋に入れようと悩んでいる。


「安楽死ツーリズム」

 昨年末、フランスに関するこんな報道があった。医療のグローバル化により、患者が海外へ渡航して医療処置を受けることがトレンドとなったように、海外からベルギーへ安楽死を求めて訪れる「安楽死ツーリズム」が増加傾向にあるのだという(2018年12月24日付け『The Telegraph』)。ちなみに、安楽死が認められているオランダは、その対象を自国民に限定している。そのため、安楽死を希望する外国人は、ベルギーに向かうのだ。

 2016年と17年には、23人の外国人がベルギーに安楽死をしに来たそうだ。2017年の10月には、運動神経元性疾患を患っていたフランスの高名な作家がベルギーで安楽死した。安楽死を希望してベルギーにやってくる人々の中で、特にフランスからの希望者は年々増えているとのこと、また患者を連れてフランス人の医師がベルギーへ来て安楽死を行っていること、このままではベルギーはフランスのドレイン(排出口)になりかねないので、フランス人は1年に12人に制限することなどが報ぜられていた。

ベルギーで販売される、一般医が患者の自宅で安楽死を行うための「安楽死キット」(2005年4月18日撮影、資料写真)。(c)AFP/BELGA/ETIENNE ANSOTTE〔AFPBB News〕

 一方、ドイツでは、安楽死の権利を求めてこの4月16日に憲法裁判所が開催されたというニュースがあった。現在のドイツの「業としての介助自殺の可罰性に関する法律」が患者の安楽死の権利を侵害していると訴えられている(ZDF)。

 このように「安楽死」に対する議論が活発なヨーロッパで、また新しい動きがあった。日本の終末期医療の問題にもかかわる、また「ソフトな安楽死」としての「持続的な深い鎮静」の問題にも関わるニュースである。フランスで起きた「バンサン・ランベール事件」である。


フランスを騒然とさせたバンサン・ランベール事件

 10年以上、ほぼ植物状態にあるバンサン・ランベール氏(42歳)の生命維持装置が近く取り外されるとの連絡が家族に通知された、との報道がこの5月13日にあった。生命維持装置の取り外しを、ランベール氏の両親は望んでいない中での通知だ。

 AFPなどの一連の報道をまとめると以下のようである。

 2008年に、ランベール氏はオートバイの交通事故で脳に重度の障害を負い、ほぼ植物状態(遷延性意識障害)となった。彼の意識は最低限の意識状態で固定されていて、適切に飲み込むことができず、人工的に栄養を静脈内に注入している。

 2014年に、ランベール氏の担当医と妻や兄弟たちが、2005年成立のレオネッティ法(いわゆる「尊厳死法」)に基づき、水分補給や栄養の静脈投与の中止を決めた。

 しかし、カトリック教徒である両親やほかの兄弟たちは、ランベール氏には回復の可能性もあると主張し、一貫してこの決定に反対した。

 争いは法廷闘争となり、一審では生命維持停止を認めない判断が下されたが、フランスの最高行政裁判所である国務院は2014年6月、回復の見込みが全くない患者の治療を中止することは合法との判断を下した。ランベール氏の両親はこれを受け、欧州人権裁判所に訴えを起こした。

 欧州人権裁判所は2015年6月5日、植物状態にある男性の生命維持中止を認めたフランス裁判所の判決を支持する判断を下した。世間の関心は、いつ中止されるかに向けられたが、ランベール氏の両親の側の激しい抗議が続いた。ランベール氏を検察の手にひき渡し安全な場所で保護するために病院から誘拐するという考えまで飛びだし、世間を騒がせたりし、こう着状態がずっと続いた。

仏ランスで延命治療を受けるバンサン・ランベールさん(2015年6月3日撮影)。(c)AFP/COURTESY OF THE FAMILY〔AFPBB News〕

 2019年1月ついに、医師が水と栄養の静脈内投与の中止を決め、フランスの裁判所がこの決定を認め、国務院もこの決定を支持する判断を下した。そしてランベール氏の担当医が、「5月20日の週にランベール氏の生命維持装置を外す」と家族に告げたという。

 これに対して国連の「障害者の権利に関する委員会」が障害者の権利条約25条を盾に、栄養と水分補給が障害者であるランベール氏から取り除かれてはならないと、介入するなど反発も相次いだ。

 こうした中、ランベール氏の担当医らは、夫人や親族の意向を踏まえて、5月20日、ついに延命治療装置の停止に踏み切った。

 ところがその数時間後、パリの控訴院は、ランベール氏の生命を維持するため、「あらゆる措置を取るよう」命じたという。こうしてランベール氏への延命措置は再開されることになった。

 各機関の判断の違いにより、ランベール氏に対する措置が二転三転しているのだ。果たして植物状態となっているランベール氏の運命はどうなってしまうのか。事態は混迷を深めている。

 この事件は「フランスのシャイボ事件」と言われる。シャイボ事件とは、すでに10年以上も前にアメリカ、カトリックの強いフロリダ州で起こった事件である。それは政治家、大統領、果てはローマ教皇も巻き込んで国を二分する議論を巻き起こし、ABCを始めアメリカのテレビ局ばかりか、外国でもそのニュースが連日報じられるような大事件だった。

「テリー・シャイボ事件」を手短に説明しよう。

 フロリダ州に住む女性、テリー・シャイボさんは、1990年摂食障害から心臓発作を起こし、重い脳障害のためほぼ植物状態(遷延性意識障害)となった。それは通常の植物状態とは異なり、時々は目を見開いている、「あー」などの声を立てる、目の前で風船を動かすと後を追う、など意識があるような症状も示していた。

 だが、1998年シャイボさんの夫は、「テリーは無意味な延命よりも尊厳死を望んでいた」として、生命維持装置の取り外しを決意し、テリーさんの後見人として、フロリダ州の裁判所に申し立てを行った。それに対して、娘の回復を信じるテリーさんの両親はこれに反対。「テリーは植物状態ではなく、回復の見込みがあり、本人は治療停止を望んではいなかった」として、真っ向から対立した。

 2000年に始まった審理では夫が勝訴。州の二審、最高裁でも一審が支持され、2003年9月に生命維持装置の取り外し命令が出て、10月に取り外しが行われた。

 ところが、ブッシュ州知事(ブッシュ大統領の弟)もこの尊厳死の阻止に動きだし、州知事の発令により、装置が再挿入。

 そこで今度は夫が州知事を訴え、それに対して州知事が連邦裁判所に上訴するという事態に発展。そして2005年、連邦裁判所は知事の上訴を受理せず、再びテリーの生命維持装置の取り外し命令が下された。この結果を受け、その年の3月18日、テリーさんは栄養と水分の補給が断たれる。13日後の31日、テリーさんはフロリダ州のホスピスで息を引き取った。

 4月15日には、テリーさんの治療に当たっていた専門家チームが記者会見し、「植物状態を否定する証拠はなかった」と述べた——(以上ABCなどのニュースに基づいて)。


 二つの事件の共通点は、①ほぼ植物状態で、②本人の「事前指示書」がなく、③後見人(代理人)の意見が分かれたという点である。

 このシャイボ事件と同じように、フランスで起きたランベール事件も、10年以上の長期にわたり国を二分する議論を呼んだ。しかしいたずらに10年が過ぎたのではない。この事件を通して、「事前指示書」、「代理人」などの制度が議論されてきたのだ。今回はこの事件の最中にフランスで成立した新法について注目したい。


持続的な深い鎮静法

 2016年2月、フランスで新法が成立した。それが『クレイス・レオネッティ法』で、終末期の患者に「ソフトな安楽死」、つまり眠らせたまま死に着地させるということを世界で初めて許容した法律である。

 栄養や水分の静脈内注入をしているランベール氏からそれらを外し安らかに死に尽かせるためには、ランベール氏に「持続的で深い鎮静(セデーション)」をかけて、深く眠らせる、ということなのである。

 この法律の意義は大きい。実はオランダでも現在、「持続的で深い鎮静」の問題がとりあげられようとしている。というのも、これまで、「持続的で深い鎮静」は、緩和医療などの一環であり、それで患者が死に至ったとしても、オランダでは特別に調査の対象とはされていなかった。手続きの正否が問われていたのは、致死薬の注射で意図的に死に至らせる安楽死だけだった。というよりも、オランダではそもそも緩和医療はそれほど積極的に取り組まれてはいなかった。

 ところが、2002年にオランダで安楽死法が成立して、それまで暗黙のうちに行われていた安楽死が法的に認められるようになるのと同時に、安楽死を実施した医師には、詳細な「記録」を残す義務が課せられるようになった。その手順があまりにも煩雑なために、最初の年である2002年は安楽死の数が激減した(3500件から1800件へ)。

 そして安楽死の代わりに増えたのが、緩和医療、特に持続的な深い「鎮静」だったのだ。終末期の耐えがたい苦痛を緩和することを目的とし、鎮静剤を投与して意識水準を下げる鎮静は、オランダでは通常の医療の範囲内にある。そして鎮静の際には、栄養チューブなども抜かれることが多いため、「ソフトな安楽死」とも呼ばれる。だがこの場合は、特別に報告する必要も、罪を問われることもないのだ。

 そのため現在、オランダの調査委員会はこの持続的な深い鎮静に注目し始めている。なぜなら、この件数が増大しているからである(2001年7800件から、2015年2万6900件へ)。


死に至るまでの「深く持続的な鎮静」の新たな権利

 一方フランスは、これまで国をあげて安楽死に反対し、患者の意思を尊重しながら、緩和ケアを施し、自然死を迎えさせるという方向で進んできた。1999年、患者に検査や治療を拒否する権利を認めた「緩和ケア権利法」、2002年には,苦痛軽減のために緩和ケアを受ける患者の権利を認める「患者の権利法(クシュネル法)」、2005年の過度の延命を拒否する権利を導入した「レオネッティ法」、つまり、事前指示書、代理人の意見、医師チームによる合議に基づいて、治療の中止を認め、モルヒネなどの鎮痛剤を用いての緩和ケアを施し、自然死を迎えさせる法律、いわゆる「尊厳死法」というように、安楽死へと向かわない方向で法を整備してきた。

 しかし、2016年2月あらたな法律により、新しい権利を作り出し、方向を転換することになった。新法の「クレイス・レオネッティ法」は、終末期の患者のために、「死に至るまでの深く持続的な鎮静の新たな権利」を是認する法律である。

 その目的は患者の苦痛と過度の延命治療を避けることである。そして鎮静の措置が可能なのは、患者の求めがあり、重篤で治療不可能な患者で、「その余命が短期と定められていて、治療を受け付けられないほどの苦痛がある場合」と、「治療しても短期の余命を余儀なくされ、耐えがたい苦痛を与える治療の停止を患者が求める場合」である。

 さらに、自らの意思を表すことができない状態の患者について、新法は「持続的な深い鎮静」を行うことを合議の上で医師に認めた。というのは、医師は過度の延命治療の拒否の名において生命維持治療の中断を決めているので、そこから生じる患者の苦痛を避けるためである。

 この法が、5月20日朝に、ランベール氏に適応されたのである。「持続的な深い鎮静」の実施とともに、生命維持装置が取り外されたのである。ランベール氏を過度の延命治療から解放し、苦痛なく死につかせるためには、ソフトな安楽死としての「鎮静」を患者の権利として認め、しかも「偽装された安楽死」と非難されないためには、医師に(死を意図した)鎮静を行うことを許容する法律の制定が必要だったのである。

参考:世界の終末期医療の最新データー2019.04.12
https://www.maruzen-publishing.co.jp/info/n19241.html

筆者:盛永 審一郎

JBpress

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