「かかあ天下」の地:群馬県の由来

6月3日(月)9時52分 財経新聞

 私はいまでこそ「翔んで埼玉」の住人だが18歳までは、上州:群馬県人。そう「かかあ天下と、からっ風」で知られる?土地である。母校:前橋高等学校の校歌は「赤城颪(おろし=からっ風)に送られて」で始まっている。

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 元農林省(現、農林水産省)の役人だった父は16年前に母が亡くなったのを契機に、実家の売却など諸々の整理を済ませた後、私と弟の住処の双方から車で20分以内の場所に「アパートなりマンションを探してくれ」と言い「埼玉(所沢市)」の住人になった。

 現在は所沢市のいわゆる「サ高住」に居住している。介護度1ではあるが99歳のいまなお施設の3食をペロリとたいらげ、健康。「東京オリンピックを観て、100歳で眠るように死ぬ」が口癖。週1回、私は父を訪ねる。菓子類と東京新聞群馬版の記事をネットで拾い、群馬を懐かしむ父が喜びそうな記事をコピーし持って行く。

 過日持って行った記事は「館林の里沼が日本遺産に 独特な文化 評価を喜ぶ」という見出しのものだった。里沼とは「日本昔話の一話/分福茶釜」の題材にもなっている館林市にある茂林寺の旧池地後。舘林市は日本最初の「官営模範製糸場」として、「世界文化遺産」に登録されている。養蚕業の盛んな地だった。

 前ぶりが長くなったが、記事を読みながら父がこう切り出した。「お前は、なんで群馬に“かかあ天下”の5文字がつけられたか知っているか」。私はこう返した。「群馬は大前田栄五郎をはじめ侠客が多かった。宿場町であったことから博打場も多かった。いまもそのなごりが残っている。競輪・競馬・競艇・オートレース場からあがる利益で群馬の財政が成り立っている。群馬の男は博打に興じていた。結局、働いてまっとうな金を稼ぐのは女衆。だから“かかあ天下”なんていう冠をつけられた」。

 父は「それは俗論だ」とした。「じゃ、なんでだ」という問い返しに父は「俺が農林省時代は群馬のいたるところに桑畑があった」とした上で、こう続けた。「桑で蚕(かいこ)を飼育することはお前も知っているだろう。桑畑でクワを育てるのは男の仕事だが、桑を蚕に与え繭(まゆ)を育てるのは女衆の仕事だった。蚕には日に4回桑を与えなくてはならない。昼間の午前午後、夜の12時前と真夜中だ。男はそんな苦労も知らず一杯あおって白河夜船。そんな働き者の女衆を称して“かかあ天下”と言われるようになった。農林省の元役人の俺が言うのだから間違いない」。

 父のことは言えない。今年古希の私も歳と共に頑固さが増していることは自覚している。が、頑固さぶりは99歳の父の方が数段上。1時間近く論争?をして退室した。

 かかあ天下論争に、読者諸氏はどちらに軍配をあげるだろうか!?

財経新聞

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