雅子皇后「日本文化」に誇りを持ったハーバード大学時代

7月10日(水)17時0分 文春オンライン


令和の皇后となられ、ご成婚時の輝くような笑顔を、取り戻されつつある雅子さま

新皇后の半生を徹底取材した決定版『 皇后雅子さま物語 』(文春文庫)から、新皇后の「あゆみ」を特別公開します。



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ハーバード大学にご入学 机の奥には妹からの励ましの手紙


 1981年9月、ハーバード大学経済学部国際経済学科に入学した雅子さんは、モスクワに旅立った家族と離れ、「セイヤーハウス」という寮で暮らすことになった。初めての一人暮らし。新しい生活への期待と緊張でいっぱいだったことだろう。


 引っ越しの荷物の中から取り出した辞書類と経済の専門書を机の上に置いて、その横に額に入った家族の写真を並べた。そして、机の引き出しの奥には、妹たちからの大切な手紙をしまったという。手紙には、別れて暮らす寂しさや、姉を慕い励ます文章が綴られていたそうだ。



マサチューセッツ州立の名門・ベルモントハイスクール卒業した後、ハーバード大学に進学された 宮内庁提供



 当時、雅子さんは授業の後で立ち寄ったスーパーマーケットで、レジの横に並んで売っている、1ドルにも満たない生活雑誌「ファミリー・サークル」をよく購入したという。高校生の頃にも自宅で定期購読していたことから、料理ページや家庭生活の知恵などを読むことが息抜きだった。なかでもお菓子作りのページに目が止まり、優美子さんや妹たちと作ったケーキやパイを思い出しながら写真を眺めていたに違いない。



初めてのダンスパーティーに参加


 その年の冬、大学では恒例のダンスパーティが開催されようとしていた。男性はタキシード、女性はドレス姿で出席して、バンド演奏でワルツを踊る。雅子さんは皆から誘われたが、ワルツは踊ったこともないし晴れがましい場所は苦手だといったん断った。ぎりぎりになってようやく決意して、現れたという。青いドレス姿の雅子さんは、友人の後ろに隠れるようにしていた。まず、初めてワルツを踊る人のために簡単なステップのコーチを受ける時間があり、何度も失敗しながらいざ本番へ。雅子さんはリラックスする余裕もなく口元をきゅっと結んでいたが、堂々と踊って見せた。寮生たちから「初めてにしては、中々、上手だった」と褒められたが、はにかみながら笑うと、また友人の後ろに戻ってしまったそうだ。



図書館に夜遅くまで残り、勉強をする常連だった


 大学2年からは、煉瓦造りで鐘つき塔のある別の寮「ロウウェルハウス」に移った。同室のプエルトリコ人の医学部生、オーウェン・ベーカーさん(通称ジージー)と中国系アメリカ人のリーサさんと映画や買い物などにも出掛けた。


 そんな息抜きはたまのことで、雅子さんは、1日8時間以上も勉強をする日を続けていた。寮の図書館で夜遅くまで勉強する常連だった。図書館では毎週ティーパーティが開かれており時折出席した。寮で起こっている問題から社会情勢まで、多様な議題で寮生たちと交流を深めた。




ドイツ、オーストリア、イタリア……様々な国へ家族で旅行


 82年6月から約2カ月、雅子さんは西ドイツ(当時)南西部の街・シュトゥットガルト近郊のゲーテ・インスティテュートで、本格的にドイツ語を学んだ。講習を終えた雅子さんは、モスクワから合流した家族といっしょにオーストリアのウィーンやイタリアのベネチア、フィレンツェ、スイスのアイガーを旅行した。アイガーでは、恆さんを先頭に登山電車に乗って登り、ユングフラウなどの山々が雄大にそびえ立っている眺めに感動した。




 19歳になった雅子さんは、同じ年の冬休みには、ジージーの実家があるプエルトリコで10日間を過ごした。雅子さんはすっかり日焼けして健康そうだった。



「日本文化クラブ」で芽生えた「日本人の誇り」


 大学3年になると、日本人や日系人で作る「日本文化クラブ」の会長に就任し、学内で日本人によるコンサートを開催。『さくらさくら』を手始めに、名曲をピアノで演奏した。当時はまだあまり知られていなかった「日本文化」に親しんでもらう企画として、日本の言葉や伝統、習慣を説明し、音楽や伝承遊びなどの文化を紹介、自ら海苔巻やお茶を振る舞った。


 これまで、学級委員や班長など“長”の付くものはやりたがらなかった雅子さんだったが、「日本文化クラブ」は、まるで使命感があるように率先して行ったのだった。かつて私の取材に、同室だったリーサさんは雅子さんのことをこう振り返っている。


「日本に興味を持って質問する学生には、写真やガイドブックなどを見せて説明を怠(おこた)りませんでした。恥ずかしがりやのマサコが前に出て、通る人たちに声を掛けている姿を見たときには、日本人として誇りを持っていることが良く分かりました。当時、私も日本について、良く知らなかったのですが、彼女の説明を聞いているうちに興味を持つようになったのです。なかでも日本人には、心の奥ゆかしさや慎み深さというものがあって、主張だけでなく相手の心を思いやるということができると語っていたのを思い出します。



 また、マサコは大変な努力家で、人との関係はどんな状況でも平等でありたいと願っている人でした。とてもピュアで、そんなところがアメリカ人から好感を持たれるのだと思っていましたが、それは日本人にもきっと届くであろうと思っています。マサコはハーバード大の学生のように教育を受けた者こそ、世界に自国の文化などを伝えていかなくてはいけないと言っていました」


 雅子さんが皇室に入ることを決意された理由の一つにこうした気持ちもあったのかもしれない。それは、海外に暮らしたからこそ芽生えた「日本人の誇り」だったのだろう。




(友納 尚子)

文春オンライン

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