「森永、黒はないだろう」ニッポン放送の部長が激怒…森永卓郎(66)がラジオ局から干された“まさかの理由”

2024年7月11日(木)12時0分 文春オンライン

〈 連載本数は常に20本以上…森永卓郎(66)を作家としても“売れっ子”にした「ある先輩ライターの教え」 〉から続く


 長年、テレビコメンテーターや作家として活躍する森永卓郎さん。しかし若かりし頃は、ある失言がきっかけでラジオ局から干されたことも…。問題となった「乳頭なぞかけ事件」の真相を、新刊『 がん闘病日記 』(三五館シンシャ)より一部抜粋してお届けする。(全2回の2回目/ 前編 を読む)



森永卓郎さんがラジオ局から一時期、干された理由とは…? ©文藝春秋


◆◆◆


ラジオという自由の大地


「ニュースステーション」出演の効果は大きく、それから私は多くのテレビやラジオに引っ張りだこになった。とくにどっぷり浸かったのがラジオだ。ラジオはテレビより自由度が高いからだ。


 ニッポン放送で「ショウアップナイターニュース」という番組を松本秀夫アナウンサーと一緒にやったとき、番組宣伝のために、直前に放送されていた笑福亭鶴光師匠の番組に乗り込んだ。鶴光師匠がなぞかけを出題してきた。


「アスパラガスとかけて」


 松本秀夫アナウンサーは「アシスタントの小野礼子さんと解きます」


 その心は「まっすぐすくすくと育っています」。


「なんや、ふつうやな」と鶴光師匠。「森永、やってみい」


「アスパラガスとかけて乳頭と解きます」と私。


「マヨネーズをかけると美味しく食べられます」


 それが気に入られて、私は鶴光師匠の弟子にしてもらった。笑福亭呂光(しょうふくて〜ろこう)という名前だ。「しょうふくてエロこう」と名前にエロが潜んでいる。


 いまでも、どんなお題でも乳頭で解くという日本唯一の「乳頭なぞかけ」を得意技にしているのだが、残念ながらニーズがほとんどない。ただ、似たようなことをずっとラジオでやり続けた。


盟友・垣花正との出会い


「ショウアップナイターニュース」は、プロ野球のシーズンオフに放送される番組だったので、私は夕方に新番組として放送されることになった「垣花正のニュースわかんない!?」に毎日コメンテーターとして出演することになった。そこで垣花正アナウンサーと出会うことになった。


 私はすぐに彼の才能を見出した。垣花アナ自体が面白いわけではない。彼の最大の持ち味は、脳みその瞬発力だ。どんなに私が暴走したコメントをしても、しっかりと受け止めて球を返してくる。だから、垣花アナが一番輝くのは、隣に頭のおかしなコメンテーターを置いたときだ。もちろん、その代表格は私だった。


 当時から私は「垣花正は、未来のみのもんたになる」という予言をしていた。その予言はある程度当たった。彼はいまニッポン放送で「垣花正 あなたとハッピー!」という帯番組のMCと、TOKYO MXで「5時に夢中!」という帯番組のMCを担当している。テレビとラジオの帯番組のMCを並行してやっているのは、日本で彼だけだろう。


 私は、垣花アナとともに「垣花正のニュースわかんない!?」という夕方の帯番組で活動したあと、それが2004年に「森永卓郎の朝はモリタク!もりだくSUN」という番組に発展し、初めて自分の冠番組を持つことになった。そして、2005年に番組タイトルが「森永卓郎 朝はニッポン一番ノリ!」に変わり、2006年からは再び垣花アナをパートナーとして迎えることになった。


ニッポン放送から干された理由は「甘え」


 ただ、私は垣花アナの守備力に甘えていたのだと思う。なぞかけのコーナーで、お題が「電話」だった。私は例によって「電話とかけて乳頭と解きます」。その心は「赤とピンクと黒があります」。


 生放送中にニッポン放送の部長が怒鳴り込んできた。


「森永、黒はないだろう」


「あのう、黒い人もいるんですけど」


「原因はそれだけではない」と言われているが、私はそれがきっかけで、しばらくニッポン放送から干されることになった。


 それから4年後の2011年、私は山手線の車内で垣花アナとばったり出会った。


「もう一度一緒にやりませんか」。彼の誘いで、私は「垣花正 あなたとハッピー!」のコメンテーターとして復帰することになった。


 それから13年、彼との共演を続けるなかで、自由に発言させてもらっているが、私も少しだけ進化した。それは朝からエロネタをあまりやらなくなったことだ。


(森永 卓郎/Webオリジナル(外部転載))

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