眞子さまが小室圭さんと自由に結婚できない3つの理由——2018上半期BEST5

8月12日(日)17時0分 文春オンライン


2018年上半期、文春オンラインで反響の大きかった記事ベスト5を発表します。皇室部門の第1位は、こちら!(初公開日:2018年3月9日)。



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2017年9月3日に行われた眞子さまと小室さんの婚約内定会見 ©JMPA


 2月6日に宮内庁から発表された秋篠宮眞子内親王と小室圭さんの「結婚延期」は、1ヶ月が過ぎた現在もメディアで大きな話題となっている。たとえば、「週刊現代」2018年3月10日号の「『私、絶対に結婚するから!』 一途な眞子さまに秋篠宮夫妻が下した決断」では、これまでの週刊誌報道を受けても小室さんとの結婚に強い意思を示す眞子内親王に対し、両親である秋篠宮夫妻がそれをとどめようとしている姿を紹介している。この記事の真偽自体はここでは置いておくが、問題はこの「結婚延期」がまるで現代版の「ロミオとジュリエット」のように、「自分たちの意思だけでは自由に結婚できない眞子内親王の存在」を前提としている点である。本当に、眞子内親王は自由に結婚できないのだろうか?


天皇や皇族は「国民」とは見なされない


 実は、日本国憲法と天皇・皇族の関係性がこの問題の背景にある。日本国憲法第24条には「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立」すると書かれている。本人同士の意思があれば結婚できると憲法が定めているように、私たち国民には多くの基本的人権が認められている。ところが、天皇や皇族は「国民」とは見なされない。


「結婚延期」が宮内庁から発表された翌日、「日本経済新聞」の皇室担当である井上亮編集委員は、今回の事態を憂慮する解説を掲載した。小室圭さんの家族への「バッシングともいえる報道」が、「『皇族の結婚相手としてふさわしくない家柄』というレッテルを貼る空気を助長する」ことだとして、結婚には「これ(※憲法第24条)以外の要件は何もない」と強調した(「日本経済新聞」2018年2月7日)。



 新聞メディアにおいて、秋篠宮眞子内親王と小室圭さんの「結婚延期」はやや扱いにくい話題だったようで、他には評価を含んだ報道がほとんどなかった。この井上氏の解説はその中では異彩を放っているが、「これ以外の要件は何もない」という指摘は問題の本質を突いていて、重要な見方である。皇族の結婚は、いまだに「憲法第24条の枠外」にあることを示したのが、今回の「結婚延期」という事態だった。


 そもそも、天皇と皇族には私たちと同じ「戸籍」がなく、宮内庁が保管する「皇統譜」という帳簿に「身分に関する事項」が登録されていて、国民とは異なる待遇を受けている。天皇・皇族と国民を分けた背景には、戦前からの連続性という部分が大きい。一般国民とは異なる存在と見られていた戦前の意識を持ちながら、「象徴天皇制」という制度が作られたため、天皇・皇族と国民との待遇が異なるという「ねじれ現象」が起きた。



眞子さまが初めて「国民」になるとき


 また、皇族は生まれながらにして皇族であり、職業選択の自由も制限される。皇族の身分を離れることは容易ではなく、皇室典範に規程がある。皇室典範の条文を見てみると、第11条で「年齢十五年以上の内親王、王及び女王は、その意思に基き、皇室会議の議により、皇族の身分を離れる」とある。皇室会議を経なければ自由に皇族の身分を離れることもできない。なお、第12条で「皇族女子は、天皇及び皇族以外の者と婚姻したときは、皇族の身分を離れる」とあって、女性皇族は民間人と結婚すれば自動的に皇族の身分から離れることになる。ここでは、結婚すれば強制的に皇族の身分から離れることが求められているのである。それによって皇統譜から記載が削除され、一般の国民として名前が戸籍に記される。ここで「国民」となるのである。



天皇陛下が二人の結婚を認める「裁可」という不思議な言葉


 もともと、昨年9月3日の婚約内定の時にも、不思議な言葉がメディアを飛び交った。「3日午前、天皇陛下が二人の結婚を認める『裁可』を行い」という言葉である(「朝日新聞」2017年9月4日など)。この「裁可」とは何だろうか。辞書的に言えば、「君主(天皇)が臣下が持ってきた議案などを裁決し、判断すること」を指す。戦前、大日本帝国憲法下において天皇は国の「元首」で「統治権ヲ総攬」する立場にあったため、議会で審議された法案や予算案を「裁可」し、それによって法律などは成立することになる。このように、国の方向性を決める重要な政策決定事項は、形式上でも天皇の「裁可」=許可という判断がなければ効力を持たなかった。それだけ、戦前の天皇の権限は強かったことを示している。



“戦後になりきれていない”平成の皇室


 今回、秋篠宮眞子内親王と小室圭さんの婚約にも、天皇の「裁可」という形式が採られた。つまり、皇族の家長でもある天皇が結婚を許さなければ、その結婚は認められないという構造になっている。しかし、現在の天皇は「象徴」であり、戦前のように「元首」ではない。天皇には先に述べたような権限はないはずである。ところが、「裁可」という戦前以来の形式を採ってしまえば、孫娘にあたる眞子内親王の結婚も、戦前の法律などを決めるのと同じ位相(国の方向性を決める重要な政策決定事項と同じ?)に置かれてしまうことになる。



 現在の日本社会において、制度上、家長の許可無くしては結婚が認められない、ということもないだろう。それだけに、天皇の「裁可」=許可が必要であったという事実は、自分の意思だけでは自由に結婚できないという眞子内親王の存在を浮き彫りにしたと言える。ここは戦後になりきれていないのである。



借金の補填に「一時金」が使われるのでは、という疑念


 もう一つ、見方を変えると、別の大きな問題も浮かび上がる。皇室経済法は第6条第7項で、皇族の身分を離れる者に国から一時金を渡すことが規定されている。その根拠は、「皇族であった者としての品位保持」のためである。それまで皇族であった者が結婚後の生活で品位を保持するために税金が支出される。眞子内親王の場合、1億数千万円が予定されていた。こうした支度金とも言えるお金の存在もまた、単なる両性の合意による結婚と、皇族の結婚は異なるのだという印象を与えるだろう。



 そして、この一時金の支出が、今回の秋篠宮眞子内親王と小室圭さんの「結婚延期」にも大きく影響したと思われる。婚約内定後の週刊誌報道では、小室さんの家族の金銭問題が強調され、そうした借金の補填に一時金が使用されるのではないかという疑念も浮上した。だからこそ、二人の結婚に疑問を持つ人々が出てきたのではないだろうか。世論はこの問題が解決するまで、二人の結婚に厳しいかもしれない。



 このように、今回の秋篠宮眞子内親王と小室圭さんの「結婚延期」には、皇族が国民とは異なる存在として扱われること、結婚に天皇の「裁可」=許可がいること、そしてそこに税金が投入されること、という3層に分かれた問題が存在していることがわかる。しかし、そのこと自体、皇族は自分たちの意思だけでは自由に結婚できない存在であり、私たち国民とは切り離された存在である、ということをさらけ出していることに他ならない。


 そしてその問題の根幹には、憲法の精神と「象徴天皇制」はダブルスタンダードになりかねない、という危険性をはらんでいると言えるだろう。



(河西 秀哉)

文春オンライン

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