平成皇室は「皇太子への憂鬱」から始まった——2018上半期BEST5

8月12日(日)17時0分 文春オンライン


2018年上半期、文春オンラインで反響の大きかった記事ベスト5を発表します。皇室部門の第2位は、こちら!(初公開日:2018年5月3日)。



*  *  *


 あと1年で終わりを迎える「平成」。天皇皇后両陛下が築きあげられた「平成流」も、はじめから国民の支持を集めていたわけではありませんでした。3人の識者が、平成皇室の30年間と、皇太子さまと雅子さまがどのような道を歩まれるのか、次代の新天皇皇后像について、とことん語ります( 前編 も公開中です)。



2005年10月、御所・御進講室での天皇皇后両陛下と、ご結婚を目前に控えられた紀宮さま(当時) 宮内庁提供



「皇太子への憂鬱」


河西秀哉(神戸女学院大准教授。象徴天皇制を研究) 今では「平成流」と広く呼ばれるようになった天皇皇后の在りようは、多くの国民から支持を集めていますが、最初はあんまりうまくいっていなかったんです。美智子皇后がメディアからバッシングを受けたことで起きた「美智子皇后失声症」(1993年)を、私は大きな事件だと思っています。


「昭和天皇の時代はよかった」と懐古する人たち、とりわけ保守的な立場の人からの批判が、明仁天皇だけでなく、女性という、より弱い立場の美智子皇后に向いた点が重要です。バッシングについて「どのような批判も、自分を省みるよすがとして耳を傾けねばと思います。(中略)しかし、事実でない報道には、大きな悲しみと戸惑いを覚えます」(1993年10月20日、誕生日に際して)と文書で述べたあとに美智子皇后が倒れると、世論は擁護ムードに傾きました。



S記者(皇室取材を担当して10年以上のベテラン) 天皇陛下の皇太子時代から即位された当初にかけて、国民はお二人について、どういう受け止めをしていたんでしょうか?


河西 昭和の時代から、たとえばジャーナリストの児玉隆也氏は「皇太子への憂鬱」(「現代」1973年9月号、のちに 『この三十年の日本人』 新潮文庫、1983年に収録)の中で、「皇太子に魅力がない」という意見を紹介し、皇太子は「“妻の持参金”で食べている。だが、その“貯金”はもうなくなりかけていることに、周辺は気づいていない」と批判しています。1989年に明仁天皇が即位した当時は、「開かれた皇室」と言って歓迎されましたが、やはり批判的な意見を持っている人もまだまだ多かったんです。



——皇族はストレートなご発信ができないため、特に女性皇族にとって「ファッション」は重要な要素といえそうですね。


河西 そうですね。美智子皇后が公務で身に着けている帽子から思想を読み取ることができる、という研究もあります。


S記者 美智子さまはその時々によって、お帽子のデザインについてもご希望をおっしゃると聞いたことがあります。



河西 服や帽子に、訪問国の国の色やゆかりのある花を取り入れるなど、細かい配慮がありますよね。平成になって、美智子皇后という非常にカリスマ性の高い皇后が現れたことで、女性らしさの中にも高度なセンスを兼ね備えた「発信」が増えたといえるのではないでしょうか。


 しかし、美智子皇后はあくまでも自分が明仁天皇から支えられているように振る舞い、必ず明仁天皇を立てていますよね。並び立って歩くときも美智子皇后が半歩下がって、明仁天皇の右腕を持って歩きます。少し演出のように見えなくもないのですが、これこそが平成皇室の在り方かなというふうに思いますね。



「訪れていない場所すべてに行きたい」という気迫


辛酸なめ子(漫画家、コラムニスト。毎年、新年一般参賀で皇居を訪れている皇室ウォッチャー) 天皇皇后両陛下が、日本地図にご訪問された地が分かるようピンをたくさん刺していらっしゃるお写真からは、「訪れていない場所すべてに行きたい」という気迫が感じられます。



河西 今年3月には沖縄県の与那国島も訪問しましたね。昭和の時代、明仁皇太子(当時)が福祉施設を訪れたときの新聞記事を見ると、立ったままで少しぎこちない様子に見える写真が載っています。その一方で、ベッドに横たわっている人に顔を近づけて、話しかけているのは美智子皇太子妃(当時)なんですね。


「雲仙・普賢岳被災者のお見舞い」(1991年)では、はじめて天皇皇后としてひざをついて、 避難所で生活する被災者に語りかけました。この時はまだ手探りであったと思いますが、その後様々な場所への「お見舞い」を経る中で、次第に現在のスタイルが確立します。私は、お二人が一緒になって公務に取り組むうちに、だんだんと明仁天皇が慣れていったのではないかと考えています。



辛酸 ちょっと話が逸れてしまうのですが、昨年9月、天皇皇后両陛下が私的旅行で訪れられた埼玉県の高麗(こま)神社に私も行ってきたんですよ。1週間くらい後に。



河西 7世紀に滅亡した朝鮮半島・高句麗からの渡来人をまつる高麗神社を、天皇皇后が参拝しましたね。天皇は2001年の誕生日会見で「私自身としては、桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると、続日本紀に記されていることに、韓国とのゆかりを感じています」と発言しています。


辛酸 高麗神社の近くにいたおばさんたちが、「美智子さまは素敵な方よね、品があるわね」「ここを歩かれたのね」と彼岸花を見ながら話していて。ああ、こういう風に噂話が広まるのかと思ったのですが、さらに大きな声で続けて「美智子さまは飯能の合同庁舎のお手洗いをお使いになったらしいわよ」と。



S記者 すごい、そんなところまで(笑)。真偽のほどはさておき、地元の人たちからしたら興味津々だったんでしょうね。



パラオへの慰霊の旅でお召しになっていたスーツ


S記者 あの日、美智子さまがお召しになっていた白いスーツは、実はパラオへ慰霊の旅をされた折にお召しになっていたものと同じで、少しお手直しをされていらっしゃるようですね。天皇皇后両陛下が韓国ご訪問への強い思いをお持ちでいらっしゃることは、週刊誌などでしばしば報じられています。しかしお二人が実際に韓国を訪れられることは、なかなか難しいですよね。高麗神社という場所へ、パラオご訪問のときと同じお召し物を着られたというのは、最上級の慰霊のお気持ちを示されたのではないかと思いました。やはり、身につけられているお洋服には、メッセージがあります。



——最後までおっしゃらないけれども、何かメッセージを表すものとして、「歌」がありますね。


河西 歌は大きいですね。美智子皇后の御歌(みうた)は本当に上手いです。言いすぎず、でも微妙なラインをついているように思います。どちらかというと明仁天皇の御製(ぎょせい)のほうが、はっきりとメッセージを伝えています。



観音崎戦没船員の碑除幕式激しき雨の中にとり行はれぬ

かく濡れて遺族らと祈る更にさらにひたぬれて君ら逝(ゆ)き給ひしか

(皇后陛下御歌集『瀬音』より、1971年)




硫黄島

慰霊地は今安らかに水をたたふ如何(いか)ばかり君ら水を欲(ほ)りけむ

(同上、1994年)



S記者 2017年の歌会始のお題は「野」でしたが、美智子さまはこのような歌を詠まれました。



土筆(つくし)摘み野蒜(のびる)を引きてさながらに野にあるごとくここに住み来(こ)し



 関係者のあいだでは、天皇皇后両陛下がお住まいの御所がある皇居を「千代田」、皇太子ご一家がお住まいの東宮御所がある赤坂御用地を「赤坂」という通称で呼んでいるのですが、この御歌からは美智子さまが「千代田」からも「赤坂」からも出ていかれることを前提に詠まれているように思えて、「東宮御所に移られるのではなかったかしら?」とちょっと疑問に感じたんです。その後に高輪の旧高松宮邸へ一時的にお住まいになるということが報じられて、腑に落ちました。美智子さまの御歌は何かを考えさせられますね。メッセージを読み取らねば、という感じで受け取っています。


河西 天皇や皇族というのは、どうしても直接的に自分の意思をはっきりと表現できないので、その意思を知るために歌を分析することはとても重要だと思います。


——そう考えると、「退位」についての天皇陛下のお言葉は相当ダイレクトでした。


河西 そうですね。「退位に関するおことば」(2016年、宮内庁HPでは「象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば」と記載)をめぐっては、かなり難しい状況があったと思います。憲法のもとでは、天皇は自分の意思を表明してはいけないということになっている。しかし伝え聞くところでは、もう数年前から「譲位したい」というお気持ちだったのが、政府との関係でなかなか事態が前に進みそうもないので、NHKがスクープするという形で公になりました。



 あの「おことば」からは「疲れたから辞めたい」というよりは、「今ある公務を減らすということは、自分が考える象徴としてのあるべき姿ではないから、それならば全部譲りたい」という心理がにじみでていたと思います。ただ、それは今の政府やそれを支える層の意向とそぐわないという事情もあったのでしょう。それから「天皇のお気持ちをNHKがスクープした」という点については、どういうプロセスを経て至ったのか、今後検証されなければならないと思います。



S記者 用意周到なシナリオでしたよね。2016年7月13日、NHKが夜7時のニュースで「天皇陛下 『生前退位』の意向示される」と報じたとき、天皇皇后両陛下はご静養で葉山にいらしたんです。皇居にはお二人ともいらっしゃらなかった。翌日両陛下は帰京されるのですが、その頃には第1報による混乱はだいたい落ち着いている状況でした。車の中から沿道の人びとに手を振られる陛下のお顔が晴れやかでしたよね。


河西 余計に、誰が考えたシナリオなのか気になるところです。明仁天皇は2019年4月30日に退位して、5月から新しい元号が始まります。



なぜ5月から新しい元号が始まるのか?


辛酸 年度なんかは関係なく、4月1日という風にきっちりと決まっていないところを見ると、陰陽道とかそういうものが関係しているんでしょうか。



河西 いやいや、そんなことはないです(笑)。「妥協の産物」と言っていいと思います。当初、政府は改元を1月としたかったようなのですが、宮内庁は年末年始の行事がたてこむ12月、1月が非常に忙しい。そうすると、年度の変わり目がよいかということになりますが、今度は政府が3月、4月は統一地方選で忙しいからダメだと。4月末で平成を31年で終え、5月から新しい元号とすることになりました。必然性はないですし、平成31年度が1カ月だけあることになります。



S記者 なぜ5月なんだろうかと皇室側の事情を考えたのですが、4月10日は両陛下の結婚記念日なんですよね。この日は、ご結婚から60年、そして即位から30年という素晴らしく美しい節目なのです。2月23日の皇太子さまのお誕生日の翌日に「在位30周年記念式典」が国立劇場で開催されるそうなので、2月から「大団円」への序章が始まります。


河西 4月29日には昭和の日もあります。4月30日に平成が終わり、5月1日に新天皇が即位する。昭和、平成、そして新時代へ。 来年はそういう形で、平成のフィナーレに向けて大きく盛り上がるでしょう。


辛酸 平成最後の一般参賀はものすごい訪問者数になりそうですね。



S記者 例年、新年一般参賀は5回のお手振りがあるんですよ。最後の年だから回数を増やすのではないかと思うのですが、来年の最終回にはサプライズを期待しています。天皇ご一家だけがお出ましになる最終回には、わりとそういうことがよく起こるんです。お手振りが終わったあと、陛下のほうへ他の皇族方が集まって、全員が寄り添うようにまた手を振られるということもありました。


辛酸 なんとかして、最終回を目にしたいものです。即位10年を祝う式典(「天皇陛下御即位十年をお祝いする国民祭典」)ではYOSHIKIがピアノを弾きましたよね。あの意味はいまだによく分かりません……。



河西 即位20年を祝う式典(「天皇陛下御即位二十年をお祝いする国民祭典」)ではEXILEが皇居前広場でパフォーマンスしましたね。このときは「天皇陛下御即位二十年奉祝委員会」と「天皇陛下御即位二十年奉祝国会議員連盟」が作られました。元首相や財界人といったおじさんたちによる、若者ウケを考えたうえでの人選なのだと思います。即位20年のときの議員連盟会長は森喜朗元首相でした。


辛酸 即位30年では三代目 J Soul Brothersなんかが出てきて、踊りまくるんでしょうか。



「乾通り」は歴史的に見ても、限られた人しか入れなかった


——「皇居の乾通り年2回公開」(2014年〜)にも多くの人が詰めかけましたね。


辛酸 私は初年度のときに乾通りを歩いて、本当に感動したんですよ。今までずっと閉じられ、秘められていた庭園にやっと入れた。花、草、木にはものすごいエネルギーがありましたし。でも去年行ったとき、水には藻が生えていて、紅葉もそれほど鮮やかな色合いではなくなっていたんです。一般人を入れすぎて、空気というか、波動が悪くなっちゃったのかなと。


河西 私も初年度に行きましたが、すごく混んでいましたね。たまたま私が行った日に、宮内庁の庁舎から天皇皇后がその様子を見ていたと報道があって、お二人にとっては皇居を一部開放することで国民が喜ぶ姿を見られるのは、とてもうれしいことなんだなと思いました。



S記者 通常、一般の人が訪れることのできる限界線は皇居前広場までだったのが、もう一段階内側へ入れるようになったわけですから、大きな変革だと思います。


河西 そうですね。特に乾通りというのは、歴史的に見ても本当にごく限られた人しか入れない場所だったんですよ。ちょうど天皇皇后のお住まいのエリア(吹上)との境目でもあるので、なかなか入ることができませんでした。一般の人でそのあたりまで入ることができたのは、皇居内を清掃する勤労奉仕団の人たちぐらいでしょうか。


辛酸 皇居内といえば、「天皇陛下がタヌキの糞を調査される」というトピックも外せないですね。天皇陛下が、何年も何年もタヌキの糞を採取されて、タヌキの食性の長期的な分析を試みられました。しかも糞に含まれる種子を、種または属まで識別され、その数は58に及ぶそうです。2016年には5年間のデータを蓄積したアップデート版の論文も発表されています。


河西 天皇家は、代々いろいろなものを研究しています。昭和天皇の場合はヒドロゾアが研究対象でした。



辛酸 昭和天皇は「雑草ということはない」「どんな植物でも、みな名前があって、それぞれ自分の好きな場所で生を営んでいる」とおっしゃったことがあるそうです(入江相政編 『宮中侍従物語』 TBSブリタニカ、1980年)。小さい存在にも目を向けていらっしゃる。


S記者 さかなクンにも目を向けられました。天皇陛下は2010年の誕生日会見で、絶滅したと思われていた淡水魚のクニマスが発見されたことを受けて「東京海洋大学客員准教授さかなクン始め多くの人々」と言及して功績を称えられたんです。


 また最近では 『日本魚類館』 (中坊徹次【編・監】、小学館、2018年)という図鑑の解説を、陛下が他の魚類学者と分担して執筆されたそうです。陛下ご自身が和名を付けられたハゼ科のシマハゼ類2種類と、種類を分類されたチチブ類3種類について計4ページを担当されました。2016年の夏に依頼があって、公務の合間を縫ってお書きになったそうです。


 皇太子さまは水問題のご研究、秋篠宮さまは家禽類のご研究を続けていらっしゃいますね。



新天皇皇后は、どのような道を歩まれるのか


——お代替わりまであと1年。あまり実感がわきませんが、新しい天皇皇后両陛下はどのような道を歩まれるのでしょうか。


S記者 私は、今後雅子さまのお出ましが増えることを前提として、東宮女官が増員されていると思います。やはり女性皇族の「発信力」は絶大で、現状では雅子さまが病気療養中ですから、皇太子さまがどういう方なのか、国民が深く知る機会は限られていたように思うんですよ。



 今上陛下が象徴天皇として国民から受け入れられているのは、美智子さまが常に左隣にいらっしゃって行動を共にされていることも大きいのでは。美智子さまの柔らかい雰囲気が陛下の威厳とミックスされて、両陛下ならではのいい雰囲気を生み出してこられたように思います。美智子さまは国民とのクッション役を果たされていて、平成皇室が国民からの絶大な支持を得た基盤となっていると言っても過言ではないと思うんです。それを考えると、これまで皇太子さまはお一人で苦労されたと思います。



辛酸 お代替わりされたら、雅子さまがすごくお元気になられるのでは、という説もありますね。


S記者 お元気にならざるを得ないんじゃないかと思うんですよ。「即位礼正殿の儀」で、皇后は十二単をお召しになって御帳台へお立ちになります。そして「大嘗祭」でも装束をお召しになりますし、伊勢神宮へのご参拝にもいらっしゃる。雅子さまは宮中祭祀がお苦手だと言われていますが、数々の儀式が続きますから「皇后さまのご体調が整いません」というわけにはいかないのではないでしょうか。



河西 私は、国民からの支持を得ている「平成の在り方」を否定はできないと思うんです。今年3月、静養のために長野県を訪れたとき、雅子皇太子妃が長野駅でまっさきに車椅子の人へ声をかけた一幕があったそうですね。「国民の中に分け入る」というのが平成の在り方だとすれば、こういった行動はまさに「平成の在り方」そのものなんですよね。



S記者 そうですね。皇太子ご一家の公務の3本柱は環境問題、障害者・高齢者の福祉、戦争慰霊だと私は考えています。


 特に環境問題は皇太子ご一家のご活動のカラーが出てくるものになるのではないでしょうか。環境問題は、国内のみならず世界的なテーマです。皇太子さまは水問題のご研究に取り組まれていて、国連などで何度も講演されています。しかし、いきなりとってつけたように環境問題にご関心をお持ちになったわけではなく、大きな自然災害が起きると被災地に足を運ばれて被災者を見舞ってこられた両陛下のなさりようがベースになっているのではないかと思っています。


河西 美智子皇后は、ちょっと超人的な方なので……。すべてを真似することはできないと思いますが、新しい天皇の代の皇后の行動はソフトランディングするのではないでしょうか。雅子皇太子妃は、国際親善など、対外的に出ていくことをどんどんやっていかれたらいいと思いますね。


辛酸 やはり雅子さまは、ご自分の時代が来た、という内側から湧き上がってくる力をお感じになっているのでしょうね。


S記者 最初のうちは、「平成の天皇皇后両陛下とは違う」と比較されて、批判されると思うんですよ。でも、私は現場で雅子さまがフランクに国民とお話しになるご様子をたくさん見てきました。一昨年の岩手県行啓では、雅子さまが「どちらからいらしたんですか?」とお尋ねになると、「あんたはいつから?」みたいな感じで答えているおばあちゃんがいてびっくりしたんです(笑)。「昨日からです」とお答えになると、「病気は治ったの?」とか聞いちゃうんですよ。



——雅子さまはどんなご反応なんですか?


S記者 「ご心配おかけしまして」という風におっしゃっていましたよ。お二人は、国民にとってより身近な天皇皇后両陛下になられると思います。皇太子さまが、気さくにセルフィーに写られるほどですもんね(笑)。


河西 「天皇皇后写真ツイート炎上」(2014年)はまだ4年前のことです。女子高生が、天皇皇后の写真をツイッターにアップして、不謹慎だと批判を浴びました。天皇皇后が私的旅行で栃木県小山市を訪れたときに撮影されたもののようです。あの頃に比べても、「皇室」に対する国民の受け止めはずいぶん変わったなと思います。桜を見に、皇居の外を歩く天皇皇后を、皇居ランナーがスマホで撮影することは今や普通ですよね。


辛酸 そして気になる新元号。どんな漢字が選ばれるのでしょう。新元号の候補をメディアで取り上げると、それはもう使えなくなると聞いたことがあります。竹田恒泰さんがネット番組でそれっぽい新元号を予測していましたが、さすが深い知識をお持ちなだけあってあり得そうなものばかり。政府は使える数が減ってしまって困っているのでは、と心配です。


河西 平成がどんな形で幕引きをして、次はどんな時代を迎えるのか。これからも変わらずに注視していきたいですね。



写真=釜谷洋史/文藝春秋



(「文春オンライン」編集部)

文春オンライン

「皇室」をもっと詳しく

「皇室」のニュース

トピックス

BIGLOBE
トップへ