「愚将」牟田口廉也 “不適材不適所”を生んだ組織の病とは何か?

8月13日(月)7時0分 文春オンライン

 毎年夏になると、各メディアではアジア太平洋戦争(当時の日本での呼称は大東亜戦争)をテーマにした特集が組まれる。この記事もその例に漏れず、日本の戦争について振り返っていきたい。


失敗した「インパール作戦」とは何か?


 毎夏の戦争特集のなかで、日本の戦争の失敗例としてよく取りあげられるのが、インパール作戦だ。これは、1944年3月、ミャンマー(当時の国名はビルマ)を占領していた日本陸軍が、インド北東部の都市インパールを攻略する目的で始めた戦いであった。ミャンマーは5月頃から雨季に入るため、作戦期間は雨季前の1ヶ月間と設定された。


 しかし、インパールまでの道のりは、2000〜3000メートル級の山々が連なる密林地帯で、わずか数キロ先ですら容易に進めないことが多々あった。



インパール作戦 行軍する日本兵 ©時事通信社


 インパール作戦で日本軍が敗れた決定的原因のひとつとなったのが、戦いに向かう日本軍将兵に充分な食料を補給しなかったことだった。短期間で作戦を決着させるため、将兵らは険しい道のりを素早く踏破できるよう、できるだけ軽装にさせられ、食料も最低限の量しか渡されなかった。


 将兵が持てなかった荷物は、彼らの後方をついてきた羊や牛などの家畜に背負わせた。そして、もし将兵の食料が足りなくなったら、その家畜を殺して食べてもよいとされた。


 インパール作戦は、誰が聞いてもむちゃくちゃな計画だった。案の定、実際に作戦が始まると、進軍に手間取り、なおかつ、前線指揮官が作戦途中に更迭されるという前代未聞の事態まで起きた。前線の将兵は食料が尽きると、戦うことなく次々とその場に倒れ亡くなった。インパール作戦での日本軍の戦死者数は、総兵力約9万人の3分の1にあたるおよそ3万人だったといわれている。このなかには、多くの餓死者も含まれていた。



SNS上に現れた「牟田口的」という批判


 この敗北の結果、現地でインパール作戦を計画実行した牟田口廉也軍司令官は厳しい批難を浴び、戦後、「愚将」という不名誉なレッテルが貼られた。


 また、最近になって、SNS上では東京オリンピックにまつわる話題のなかで、牟田口のことに注目が集まっている。それは、オリンピック開催中、猛暑が予想されているにも拘らず、再検討をしない小池百合子東京都知事や、森喜朗JOC会長を名指しし、彼らの考えを「牟田口的」であると批判する書き込みが現れたからだ。これは、無理な計画を推し進めた「愚将」牟田口のイメージが今でも残っているといえるのではないか。



 実は、私は牟田口が「愚将」であったかどうかはどちらでも構わないと思っている。それは、たとえ牟田口を主観的に「愚将」と見なしたところで、歴史学的に何ら意味をなさないからだ。


 問題とすべきは、インパール作戦の失敗を取り出して牟田口を評価することが、はたして適切かどうか。実は、牟田口は日中戦争勃発のきっかけとなった盧溝橋事件の当事者のひとりであり、また、太平洋戦争で真珠湾攻撃よりも早く始まったマレー作戦でも、師団長として部隊を指揮していた。すなわち、軍人牟田口の足跡を見ていくことで、アジア太平洋戦争の歩みをたどることができる。このような観点は、インパール作戦だけで牟田口を評価している限り見えてこない。



キャリア軍人の「左遷」が生んだもの


 今年7月に刊行した拙著 『牟田口廉也 「愚将」はいかにして生み出されたのか』 (星海社新書)は、インパール作戦を含む牟田口の一生を追い、アジア太平洋戦争のなかでいかなる役割を果たしたのかを探るとともに、牟田口が「愚将」と評されるに至った日本陸軍の問題点はどこにあったのかということに着目した。


 拙著では、牟田口の置かれた状況を「不適材不適所」ということばで表した。これは、「適材適所」という四字熟語をった私の造語である。ここでは、ひとまず適切でない人材が適切でない地位や任務に就いてしまったという意味としておく。



 もともと、牟田口は陸軍大学卒業後、陸軍中央の部局で実務にあたった、今でいうキャリア官僚のような軍人だった。しかし、1930年代なかば、牟田口は陸軍内の派閥抗争に巻き込まれ、一転して、中国の前線部隊の司令官に「左遷」された。そこで起きたのが盧溝橋事件だった。指揮官の経験がない牟田口は、命令を二転三転し、現場を混乱させた。


牟田口が証明した「不適材不適所」


 牟田口は、マレー作戦で自ら先頭に立って勝利を手にした。しかし、その結果、牟田口のなかに「イギリス軍は弱い」という意識が芽生えてしまった。牟田口がインパール作戦を強行したのも、そのような意識が根底にあった。


 牟田口は、しばしば感情によって方針を決定することがあり、変化する状況に対し、合理的判断を要求される軍司令官の職には不向きだった。彼のことを「不適材不適所」と称したのはそれが理由である。そして、その結果が「愚将」というレッテルではないだろうか。


 このように組織内の人間関係が人事に影響を及ぼすことは、今日でもよくある。たとえば、経営者の周りが「イエスマン」ばかりとか、何か不祥事が起きても、その責任者がなぜか懲罰を受けることなく、いつのまにか昇進しているとか。そのような組織は、いつしか誰かが「不適材不適所」となるのではないか。もし、そうなった場合の結果は、すでに牟田口が証明している。


 次はあなたが「牟田口」となって、前線に行かされるのかもしれません。




(広中 一成)

文春オンライン

「戦争」をもっと詳しく

「戦争」のニュース

トピックス

BIGLOBE
トップへ