若い男が突然叫び声をあげ……コーヒーショップで遭遇した“あり得ない偶然”

8月16日(金)17時0分 文春オンライン


『 13階段 』『 ジェノサイド 』など緻密でスリリングな描写が怖い! ミステリー作家・高野和明さんが、実際に遭遇し、得体の知れない恐怖に襲われた“あり得ない偶然”とは。



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 まだ幼稚園に通っていた頃、毎夜のごとく枕元に現れては、眠ろうとする私を恐怖のどん底に突き落とす女性がいた。母である。2人の息子を本好きにしたかった母は、男の子の喜びそうな話は何だろうと考え、子供向けの怪談集を選んで読み聞かせていたのであった。


 これにまんまと嵌まったのが弟のほう、つまり私だ。5歳の身空で毎夜のスリルが病みつきになり、やがて自ら小話を作るようになり、さらには本好きが昂じて書く側に回ってしまったのだから、人生、何が幸い(災い?)するか分からない。子供が何かを怖がり始めたら、それは想像力が働き始めた証拠だという。だとするなら、私は幼児期のかなり早い段階で、想像力を徹底的に鍛えられたことになる。小説家にとっては有り難い資質だが、幼稚園児の息子に『番町皿屋敷』を読み聞かせていた母は、子供をエンタメ作家にするための英才教育を施しているとは夢にも思わなかっただろう。


 三つ子の魂百まで、今でも奇談怪談の類は大好きで、幽霊、UFO、UMA(未確認生物)などは一目見てみたいと思っているのだが、未だにその願いは果たせていない。その代わり、ちょっと不思議な体験はいくつかある。一連の出来事に共通するのは、奇怪に思われるが合理的な解釈も可能という、何とも微妙な現象であるということである。


 例えば、作品の取材で青木ケ原の樹海に行った時は、私と編集者が持参したカメラが2台ともシャッターが下りなくなったし、日没後の森の中では、視界の隅にぼんやりした人影が見えたような気もした。しかし2台のカメラの調子が悪くなったのは偶然で、人影が見えたのは気のせいとも考えられる(実際、気のせいだったかも)。


 また、脚本家をしていた際、稲川淳二氏原作の怪談をVシネマ用に脚色する仕事を請け負い、原稿を書き上げて撮影前のお祓いに行こうとしたら、神社に足を踏み入れる直前でショルダーバッグのストラップが千切れるという、かなり怖い経験もした。しかしバッグは使い古された物だったから、これも偶然の一言で片づけられよう。


 次に紹介する出来事も偶然の産物で、客観的に見れば怪異とは言い難いが、自分にとっては戦慄を禁じ得ないものであった。



コーヒーショップで若い男が突然叫び声をあげ……


 今から10年ほど前、『 K・Nの悲劇 』というホラー小説の下調べをしていた時のことだ。仕事場近くのコーヒーショップで精神医学の専門書を開き、「強直間代性痙攣」という症状について調べていた。これは、脳の電気信号がうまく伝わらなくなって起こる発作で、患者は全身の筋肉を強直させて意識を消失し、しばらくすると強直と脱力が繰り返される間代期に移行する。発作の開始時に叫び声を上げる場合もあり、これを「初期叫声」という——などといった知識を頭に入れていたら、若い男の叫び声が聞こえた。その声音は、夜道で物の怪に出会ったような驚愕の叫びを思わせた。何があったのかと医学書から目を上げると、カウンター席に座っていた男性客が腰を浮かし、そのまま後方の床に倒れ込むところだった。店員も、もう一人いた別の客も、驚いてその男性を見つめていたが、やがて私は、信じ難い思いで目を見張ることになる。


 気絶した男性は両脚を突っ張り、肘と手首を折り曲げた体勢で全身を硬直させていた。強直間代性痙攣だった。たった今、書物で読んでいた症例が、突然、目の前に現れたのだ。



©iStock.com


 あまりにもあり得ない偶然に遭遇すると、思考の内部では偶然という概念が崩壊し、非合理な因果関係が作り上げられてしまう。つまり、自分が強直間代性痙攣について調べていたことが原因で、近くにいた人にその発作が起こってしまったのではないかと思えてしまうのだ。それを理性で否定しようとすると、今度は「そんな偶然が起こるはずがない」という思いから、目の前の出来事に疑念が生じてくる。現実そのものが起こり得ないはずの怪異になってしまい、これは本当のことなのかと、何度も自分の目や耳を疑ってしまうのだ。現実の認知に自信が持てなくなるというのは、得体の知れぬ恐怖を伴うことであった。


 医者と勘違いされると困るので、私は医学書をバッグにしまい、意識を失っている男性に駆け寄った。店員と別の客も集まって来たので、3人で話し合い、すぐに救急車を呼ぼうということになった。救急隊の到着を待つ間、倒れている男性は専門書の解説の通りに、強直期から間代期へと移行していった。


 とにかく、私が強直間代性痙攣の発作を目の当たりにしたのは、人生でただ1度きり、専門書を開いてこの症状について詳しく知ろうとしていた時だけなのである。こんな偶然が起こる確率は、一体どれくらいのものか。


 そして今でも、あの時、自分が医学書を読んでいなかったらどうなっていただろう、などと余計なことを考えてしまうのである。


初出:オール読物 2013年8月号「極私的エッセイ 怖い!」より全文転載



( 高野 和明 2013年8月号)

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