8月16日は「女子大生の日」 日本第1号・黒田チカの足跡とは

8月16日(金)14時0分 J-CASTニュース

国立科学博物館に展示された黒田チカのレリーフ(Momotarou2012さん撮影、Wikimedia Commonsより)

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本日、8月16日は「女子大生の日」。なぜかというと、1913年のこの日は、東北帝国大学(現・東北大学)が女子受験生3人の合格を発表し、日本で初めて女子大生が誕生した日なのだ。

当時の大学は、旧制高校を卒業した男子学生のための学校という位置づけであり、女性が大学に入学することはまったく考えられておらず、画期的な出来事だった。



そのうちのひとりが"黒田チカ"という、後に日本初の女性理学博士ともなった女性だ。黒田チカさんとは、どんな人だったのか。母校・お茶の水女子大学の公式サイトに掲載された伝記を参考に、ざっと生い立ちを振り返ってみたい。




女性が大学に進学できなかった時代



黒田さんは、1884年佐賀県に生まれた。「これからは女子にも学問が必要な時代がやってくる」と考えていた進歩的な父親のもとで育てられた。


 

17歳で佐賀師範学校を卒業して、1年間の義務奉職の後、当時の女子にとって最高学府だった東京の女子高等師範学校理科(お茶の水女子大学の前身)に進学した。黒田さんは、文系、理系どちらの勉強も好きだったが、理科の実験は学校じゃないとできないと考えて、理科系を受験し、見事合格を果たした。



師範学校を卒業する際、化学が一番好きになり、もっと勉強したい気持ちがありながらも、当時の帝国大学はそもそも女子が受験すらできない状況だったので、どうしようもできなかった。




現代にも影響を及ぼすその足跡



その後、女高師の助教授を7年間つとめていた黒田さんは、ようやく女子にも門戸が開かれた東北帝国大学理科大学化学科を受験し、合格。



1913(大正2)年、合格当時29歳だった黒田さんは、有機化学が専門である真島利行教授のもとで指導を受け、天然色素の構造について研究を始めた。



3年後の16年、32歳のとき、東北帝国大学化学科を卒業し、日本女性初の理学士となった。その2年後には、"シニコン"と命名した色素の構造を世界に先駆けて、論文を発表する。



21年には、イギリス・オックスフォード大学に2年間留学し、帰国後は、恩師の真島教授と一緒に理化学研究所の嘱託を兼ねながら、紅花の色素に関する研究などで業績を上げた。59年には紫綬褒章を受章し、68年に84歳でその生涯を終えた。



東北大学理学部は1999年に優れた研究成果を挙げた女子大学院生に対する賞として、「黒田チカ賞」が設けた。2019年7月には、出身校である東北大学とお茶の水女子大学が黒田さんの縁にちなんで、包括連携協定を結ぶなど、その足跡は今も影響を及ぼし続けている。



内閣府がまとめた「男女共同参画白書」(2018年版)によれば、大学(学部)への女性の進学率は49.1%に達し、男性の55.9%と比べても大きな差はない。「女子大生」の存在は、すっかり当たり前のものになった。



けれども、つい100年前までは女子大生はゼロ。そのような時代に一人の優秀な女性研究者がいたのである。

J-CASTニュース

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