覚せい剤逮捕から2年半。『清原和博 告白』はなぜ生まれたのか

8月20日(月)7時0分 文春オンライン

<5月の末に、1985年夏の甲子園で優勝した時に使っていたバットが手元に戻ってきたんです。これまで甲子園歴史館に飾ってあったもので、2016年2月に僕が薬物使用で逮捕された後は撤去されて、歴史館の倉庫に眠っていました。


 バットが戻ってきた日、いろいろな記憶がよみがえりました。プロではずっと木製のバットで、それに慣れていましたから、久しぶりに金属バットのグリップを握ると、そこに巻いてある革の質感がすごく懐かしくて……ああ、これだ、そうだったな、という風に、忘れていた感覚や景色が脳裏に浮かんだんです>(『文藝春秋』2018年9月号「清原和博 独占手記」より)


発売から1カ月で累計10万部



『清原和博 告白』(アマゾンにジャンプします)


 物憂げな表情でその金属バットを手にする、元プロ野球選手清原和博氏の写真が表紙の単行本『清原和博 告白』。発売から1カ月足らずで累計10万部に到達し、大きな話題を呼んでいる。


 2016年5月に覚醒剤取締法違反で懲役2年6カ月、執行猶予4年の有罪判決を受けた清原氏。彼が幼年時代から自身の半生を思い起こし「自分の人生を振り返って、どこからおかしくなったのか、狂い始めたのか」を、薬物依存症とその治療に伴い発症した鬱病に苦しみながらも、自らの言葉で探り続けている。


清原氏の“告白の書”はどのようにして生まれたのか


「清原氏の告白を淡々と記録した点に意義がある」「全てを明らかにして懺悔し、再スタートしようという覚悟や意思は微塵も感じられない」(いずれもアマゾンレビューより)など賛否両論を巻き起こしている本書はどのように世に出、どのような想いでつくられたのか。取材・構成を担当した『Sports Graphic Number』編集部の鈴木忠平と、本書のもとになった連載が掲載された当時の編集長で、現在月刊誌『文藝春秋』編集長の松井一晃に聞いた。



◆◆◆


車のラジオで聞いた1985年夏のPL学園vs.宇部商


「話は清原さんが逮捕された2016年の春に戻るんですが、夏の甲子園で優勝した時に使用していたバットの展示が逮捕後に中止になったように、当時は“堕ちた選手”の存在そのものがなかったかのように扱われていたんです。雑誌やテレビで歴代の甲子園特集が組まれても、清原さんには全く触れないか極端に扱いが少なかった。


 確かに薬物を使用したことは悪いことですし、犯した罪は償わなければならないけれど、だからといって彼が高校時代や西武の最初の時に凄かったことは間違いない。彼がその時ファンに与えた感動までなかったことにされるのは嫌だなと思っていたんです」



 そう語る松井にも忘れられない記憶があった。1985年夏の甲子園決勝、PL学園vs.宇部商。当時高校1年生だった松井は父の車の中でラジオを聞いていた。奈良から千葉の学校への編入試験を受けたあと、結果が出るのを待つ間に流れてきたのがあの試合の中継だった。「清原がホームランを打ったら、俺も受かる」そう願掛けした松井の想いものせて、清原は2打席連続のホームランを放った。「以来、どれほど清原さんのホームランに自分は勇気づけられてきたか」と松井は語る。


「そのエピソードを松井さんから、競馬の皐月賞の取材が終わった後に入った西船橋の居酒屋で聞かされたんです。『おれ船橋の高校に行ってたんだよね』とそんな話を聞いて、僕自身は清原さんの世代ではないんですが、その話に感動して、熱を感じたんです。それで同じように清原さんを心の中に大事に思って生きている人っていっぱいいるんじゃないかと。そうやって話がどんどん進んで、たちあがったのがあの企画でした」(鈴木)



甲子園でホームランを打たれたことが誇り


 鈴木が言う「あの企画」とは同じ2016年8月に発売された『Number』の特集「甲子園最強打者伝説」だ。表紙をPL学園時代の清原和博氏が飾り、巻頭14ページの記事には彼に甲子園でホームランを打たれた相手投手たちの証言が掲載された(のちに『 清原和博への告白 甲子園13本塁打の真実 』として単行本化)。



「取材したどの人も、清原さんにホームランを打たれたことを後悔せず、むしろ誇りにしていたのが印象的でした。そして、だからこそあの事件については『なんでなんだ』というやるせない思いと、『俺で出来ることがあるなら力になりたい』という励ましの気持ちを語っていました」(鈴木)


「清原です」見覚えのない番号からの着信


 雑誌の発売から2週間ほど経ったある日、新幹線で移動中の鈴木の携帯電話に見覚えのない番号から着信があった。


「出ると向こうが『清原です』と名乗ったんです。僕は最初いたずら電話かなと思ったんですが、続けて『ありがとうございました。感動しました。ただ、それだけ伝えたくて電話しました……』と、受話器の向こうの声が震えていたんです」


 それは清原氏本人からの電話だった。鈴木が続ける。


「当時は保釈後すぐに入った病院を退院してマンションで暮らしていた時期。週刊誌にその様子を撮られたのでずっとカーテンを閉め切って部屋の中に閉じこもっている間に、僕らがアプローチしていた関係者を通じてあの特集号を渡されたそうです。


 清原さんは電話口で高校時代のことをしゃべり始めて、今は『清原和博として生まれてきたことまで後悔しています』と。でも『必ず立ち直ります』と最後は言って、20分ほどで電話は切れました。今にして思えば、その20分の電話に『告白』で語られた内容のエッセンスは凝縮されていた気がします」


上の空で『はあ』『ええ』としか答えられない状態だった


 想いは確かに清原氏本人に届いた。その電話もきっかけとなり実現したのが翌2017年6月『Number』930号に掲載された独占インタビューだった。



「当初は前年の12月にインタビューを予定していたのですが、その直前に体調を崩し、ドクターストップがかかったんです。再び体調が戻って人前で話ができるようになったのがそのタイミングでした」(鈴木)


 清原と初めて顔を合わせた日のことが松井には強く印象に残っている。


「1度延期になっていることもあり、インタビューをする前に、本人の様子を確認する意味も含めて、顔合わせの挨拶に伺ったんです。その時の様子は現役時代とは比べ物にならないものでした。恐らく、薬物依存症の治療のために使っている薬の影響なんでしょうが、何を聞かれても上の空で『はあ……』『ええ……』としか答えられなくて。1回もこちらに目を合わせようとしない。というより人の目が見られないという感じで、正直この状態でインタビューが成立するのかと不安になったのを覚えています」




「自分がどこで間違ったのか考えている」


 その挨拶からさっそく1週間後に行われた『Number』のインタビューは、たどたどしい言葉に途中何度か沈黙が訪れることもあったが、逮捕前後の清原氏のありのままの心境が語られた。再び松井が振り返る。



「インタビュー当日には、人前に出ることも、自分の負の部分を語ることもすべて心に固く決めて、ものすごいプレッシャーがあった中で、よくしゃべってくれたと思います。


 それで、インタビュー中に清原さんが『自分の中でどうしてこうなってしまったのか、どこで間違ったのかを考えている』と漏らしたんですね。それなら、自分の半生を振り返って、その答えを見つけるために、逮捕の時期だけでなく幼年期からこれまでを振り返る連載をやりませんか、と持ちかけたんです。


 清原さんを支援している関係者も薬物依存症の治療で併発した鬱病治療の意味でも、定期的に外に出て人に会う機会を作ってあげたいと思っていたようで。本人も『自分が立ち直る大きなチャンスをいただいた』と言ってくれて、連載がスタートしたのです」


アイスコーヒーを2杯がぶ飲みして、ポツリポツリとしゃべりだす


 こうして17年7月から「Number」誌上で連載「告白」がスタート。2週間に1回、鈴木が聞き手となり、都内某所にある「白い壁の店」で、清原氏が記憶にある限り、昔から現在までを振り返っていった。この連載は1年続き、それが今年7月に単行本化されたのだ。



 と書くとスムーズに聞こえるが、取材は常に順調だったわけではないという。実際に1年にわたって取材を行った鈴木が語る。



「清原さんはインタビューの日の直前まで、何度も何度も『今日は延期してもらおうかな』と思ったそうです。ただ、実際に延期したのは23回の連載のうちたった1回だけ。いつもアイスコーヒーを2杯立て続けにがぶ飲みして、またコーヒーを飲みながらポツリポツリとしゃべりだす。僕は余計なことはせず彼の言葉の『記録者』であろうと思って、インタビューしていました。


 連載を始める前に、今の清原さんの状況があって、それでも過去を振り返ることに意味があるという話をしていたんです。だからその日の状態や、話している時の様子、表情などを、本文中に加えるようにしました」


 鈴木が言うように『清原和博 告白』では、各章の冒頭に過去を振り返ろうとする清原氏の現在の様子が描写される。例えば第8章の書き出しは次のように始まる。


<清原氏が白い壁の店にやってきた。黒いTシャツに黒いジャージ。服装はいつもと変わらないが、この日は、どこか血色が良くなっているように見えた。感情の起伏が見えにくい、いつもの沈鬱で重い瞼ではなかった。>



「“堕ちた英雄”として断罪することが目的ではない」


 連載を通しての狙いについて松井がこう続けた。



「今回の連載は清原さんを“堕ちた英雄”として断罪することが目的ではなかったんです。もちろん、なぜ薬物を使用したのかも聞いてはいますが、まずは薬物依存と日々戦う、過剰なまでに強さと弱さを持った人間の記録として、本人の言葉をそのまま記録していこうと。清原さんがそう思っている真実をそのまま書くことが、つまずきの原点を探るうえでも重要だと考えて、鈴木もあえて語ったままを載せています。


 だから、そのありのままの言葉をどう捉えるかは読者それぞれに委ねられていて、そんな甘い奴だからこんなことになるんだという人もいれば、ここまで純粋だったから最後はクスリに付け込まれてしまったんだと思う人もいる。そこは各自が考えることなんだと思うんですね」


 そんな狙いで綴られた連載が単行本になり、冒頭で紹介したアマゾンレビューのように「清原氏の告白を淡々と記録した点に意義がある」「全てを明らかにして懺悔し、再スタートしようという覚悟や意思は微塵も感じられない」と議論を巻き起こしている。


読者からの手紙に目を落としてずっと読んでいた


 清原氏自身は読んだ人たちからの温かな反響を喜んでいるという。再び鈴木が振り返る。



「連載のときに読者からの手紙が来るんです。プロ野球選手に持っていっても、なかなか読まない人も多い。でもあるとき、ためしに清原さんに持っていってみたんです。そうしたら、手紙に目を落としてずーっと読んでいて。『清原さん、それ、どうしますか』と聞いたら、『持って帰ります』っておっしゃって。それからは読者の手紙は全部渡しています」


清原氏の“闘病”は今も続いている


 発売中の 『文藝春秋』9月号 には、逮捕からこの2年半の闘病の日々を綴った清原氏本人による手記が掲載されている。松井は最後にこう語った。


「読者にわかってほしいのは、清原さんはまだ薬物依存の治療中で復帰に向けて少しずつ歩んでいるということ。薬物を使用することは確かに罪ですが、その後、薬に支配されてしまい薬物依存症になってしまうのは、もう病気なんです。本人の努力だけではどうしようもない部分があり、適切な治療が必要になってくる。


 ダルビッシュ選手が『告白』が発売されたときにツイッターで『(清原さんに)セカンドチャンスを』とつぶやいていました。それはアメリカではコカイン中毒などに陥った選手が周りの支援を経て治療を終え、再び復帰したという実例を目の当たりにしていることもあると思うんです。薬物依存は治療しないとほんとに治らない病気で、清原さんはそこからなんとか這い上がろうとしている、病気に勝とうとしている現状にあるということが『文藝春秋』の手記には克明に記されています」


 清原氏の半生を振り返る連載は単行本の刊行とともに終了したが、彼の“闘病”はいまなお続いている。


写真=杉山拓也







(「文春オンライン」編集部)

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