71歳で急逝 三菱自動車の“天皇”を支えた「30歳年下妻」と「カルロス・ゴーン」

9月15日(火)7時0分 文春オンライン

 三菱自動車で約16年間、経営を指揮してきた益子修前会長(享年71)が8月27日、心不全で死去した。病気療養で同7日に会長職を辞したばかりだった。


 1972年に三菱商事に入社した益子氏。三菱自の海外営業で頭角を現し、「自動車のエース」と呼ばれた。2004年、リコール隠しで経営不振に陥った三菱自の再建役として派遣され、翌05年に社長に就任。相次いで海外工場を閉鎖するなどコスト削減を進める一方、新興国市場で稼ぐ戦略で収益を改善させ、次第に社内で「天皇」と呼ばれる存在になっていく。



電気自動車「アイ・ミーブ」の開発などを主導 ©共同通信社


 私生活では社長就任時は独身だったが、11年、三菱グループの会社で受付嬢だったこともある30歳年下の女性と結婚。自身と同い年くらいの妻の母親が経営する小料理屋で、社員の慰労会を開くこともあった。


 三菱自が再び苦境に陥ったのは16年4月。軽自動車で協業していた日産側の指摘を受け、開発部門が約25年間も燃費データを改竄していたことが発覚したのだ。益子氏は当時、「週刊文春」(同年5月26日号)の取材にこう答えている。


「社長になってからいろんな問題が起きているけど、全部開発関係。営業系は(三菱)商事の人が来たからすごく良くなった。品質系は(三菱)重工から来た人が3年で劇的に変えた。でも、開発には外の人を入れることができなかった。これだけ会社が潰れそうになっているのに、少なくとも(社員が)ウソはつかないだろうと思っていました」



益子氏がすがったカルロス・ゴーン


 開発部門への不満を繰り返し、自身は改竄を「知らなかった」と主張。経営危機に追い込まれる中、益子氏がすがったのが、当時の日産会長、カルロス・ゴーン氏だった。三菱自は日産からの出資を受け入れ、同社の傘下入りを決める。


「週刊文春」の取材には「(会長職の続投は)あり得ません。ゴーンさんにも『それは駄目です』と言いました。なんでお前が辞めないのか、となりますから」とも語っていた益子氏。しかし、ゴーン氏たっての慰留で益子氏は「続投」する。


 危機を乗り切ったかに見えたが、日産・仏ルノー・三菱自の「三社連合」の経営は18年11月、ゴーン氏の逮捕で“急ブレーキ”。コロナの影響も直撃し、直近の決算では三社とも赤字に転落した。そうした中で「三社の調整役を担ってきた」(日産関係者)益子氏を失ったことは、アライアンスの先行きにも深刻な影響を及ぼしかねない。


「週刊文春」の取材に「会社を変えられなかった」と自嘲気味に漏らした益子氏。あれから4年余り、三菱自という会社の形は大きく変わってしまった。


(森岡 英樹/週刊文春 2020年9月17日号)

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