「ドラフト外」でも記録残した名選手 沢村賞投手、2000本安打の野手も...

9月23日(月)11時0分 J-CASTニュース

画像はイメージ

写真を拡大

プロ野球の2019年度ドラフト会議が10月17日、都内ホテルで行われる。プロ野球のドラフトは今年で55回目を数え、これまで数々のドラマを生み出してきた。ドラフト1位で指名されながらもプロでは活躍出来なかった選手もいれば、ドラフト外で入団して大記録を残した選手もいる。悲喜こもごものドラフト会議だが、今回はドラフト外で入団してプロの世界で大きく羽ばたいた選手に注目してみた。

ドラフト会議は1965年に初めて行われた。当時のシステムは、各球団がコミッショナー事務局へ事前に獲得を希望する30人の選手リストを提出し、その中から獲得するものだった。第1回ドラフト会議では、12球団のうち7球団が高卒選手をドラフト1位に指名。後に巨人の監督を務める堀内恒夫氏は第1回会議で巨人から1位指名を受けている。



現役ドラフト外選手は2012年に消滅



「ドラフト外」というワードは、すでに過去のものである。ドラフト会議の施行と同時にドラフト外での入団が認められ、1990年を最後にこの制度が廃止された。これまでドラフト外で入団した選手は663人にのぼる。ドラフト外で入団した最後の現役選手となった石井琢朗氏が2012年に引退したことで、ドラフト外入団のプロ野球選手は消滅した。



ドラフト1位で指名され、その後、プロの世界で活躍した選手は当然のことながら多く、一方でまったく活躍出来なかったドラ1選手も存在する。では、ドラフト外で入団してプロで活躍した選手はどれほどいるのだろうか。



投手からみてみると、プロの投手の最高峰の栄誉とされる沢村賞を受賞した選手が2人いる。西本聖氏(巨人→中日→オリックス→巨人)と大野豊氏(広島)だ。



西本氏は1974年に松山商から巨人に入団。高校時代はエースとして活躍したが甲子園には出場出来ず、高校3年のドラフトにはかからなかった。巨人入団後は、江川卓氏とライバル関係にあり、内角をえぐるようなシュートを武器に最多勝利と沢村賞など数々のタイトルを獲得。19年間のプロ生活で通算165勝をマークし、ドラフト外で入団した投手として最多勝利を挙げている。



一方の大野氏は、出雲商業から出雲市信用組合に就職し、3年間の社会人生活を送った。77年2月に特別に入団テストを受け合格。84年から本格的に先発に転向し、13勝を挙げた88年に沢村賞を受賞した。91年から4年間、リリーフにまわり、95年から再び先発に。通算148勝138セーブという偉業を達成した。



高校時代からスカウトがマークしていても...



野手でみると、突出した成績を残しているのが秋山幸二氏(西武→ダイエー)と石井琢朗氏(横浜→広島)だ。秋山氏は80年に八代高から西武に入団し、最多本塁打、最多盗塁などのタイトルを獲得し、通算で2157安打を記録。石井氏は当初、投手として入団したものの、野手に転向して最多安打、最多盗塁のタイトルを獲得し、通算2432安打を記録している。



ただ、秋山氏と石井氏はプロのスカウトからノーマークだったわけではなく、ともに大学へ進学するとみられていたためスカウトが指名を見送った経緯がある。結果、2人とも大学に進学しなかったことからドラフト外での入団ということになったが、高校時代からスカウトの評価が高かったといわれている。



ドラフト指名枠の拡大に伴い廃止となったドラフト外制度。ドラフトで指名された選手、そしてドラフト外で入団した選手がプロのグランドで多くの物語を残してきた。すでにドラフト外の現役選手はいなくなってしまったが、日ハムの栗山英樹監督(58)もドラフト外で入団した選手のひとり。今年は、163キロ右腕・佐々木朗希(大船渡)、甲子園準V投手・奥川恭伸(星稜)の高校生コンビに注目が集まるが、どのようなドラマが待ち受けるのか。今から楽しみだ。



(J-CASTニュース編集部 木村直樹)

J-CASTニュース

「ドラフト」をもっと詳しく

このトピックスにコメントする

「ドラフト」のニュース

トピックス

BIGLOBE
トップへ