【お寺の掲示板57】他力の信心の核心

10月7日(月)6時0分 ダイヤモンドオンライン

恩栄寺(石川) 投稿者:@tamakony [2019年8月5日] 

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仏様の前で赤ん坊になること


 今回は石川県加賀市にある恩栄寺の掲示板です。以前、NHKEテレの人気番組「チコちゃんに叱られる!」の決めぜりふ「ボーっと生きてんじゃねーよ!」という掲示板を紹介しましたが、今回はその正反対ですね。


 こちらは浄土真宗のお寺ですが、私も浄土真宗のお寺に生まれ、小さいころからお説教を本堂で聞く機会が数多くありました。昔、お説教に来られていた深川倫雄和上が、いつも「この場で聞いて忘れて、眠っていてもよいですよ」とおっしゃっていたのをよく覚えています。


 仏さまがいる本堂で眠るなんて!と思われる方もいるかもしれませんが、どうしてこのようなことをおっしゃったのでしょうか?


 明治期に活躍し、近代日本仏教に大きな影響を与えた清澤満之(きよざわまんし/浄土真宗僧侶)は、絶筆となった『我信念』の中で、このように述べています。


 無限大悲の如来(阿弥陀仏)がどのようにして私に心の平安をもたらすか、それは他でもなく、阿弥陀仏が一切の責任を引き受けることによって、私たちを救ってくださることである


 浄土真宗で最も大切とされることは「阿弥陀仏の救いにおまかせ」することです。それを「他力の信心」と呼びますが、昨年亡くなられた大峯顯(おおみねあきら/浄土真宗僧侶・大阪大学名誉教授)は『永遠と今』(本願寺出版社)の中で、上の清澤満之の言葉が「他力の信心の核心」であり、「如来さま(阿弥陀仏)を信じるということは、如来さまの前で一人の赤ん坊になること」だとおっしゃっています。


 母親に一切の責任を任せている赤ん坊は寝たいときに寝ます。赤ん坊のように何も考えず「ボーっと生きている人」を救うのが阿弥陀仏の救いであり、そこに条件はありません。その身そのままで救ってくださるのが阿弥陀仏なのです。また、赤ん坊が親(阿弥陀仏)の前でかしこまることはありませんし、とりつくろうこともありません。


 昔、讃岐に庄松(しょうま)という妙好人(浄土真宗の篤信な信者)がいて、彼が本堂の阿弥陀仏の前でごろっと横になったりしたそうです。周りのひとたちはそれを見て、おかしくなったのかと思っていたら、庄松は「あなたたちは義理の親の所へ来たから、そのようにかしこまっているが、わたしは本当の親の前だから何の遠慮もしないのだ」と言ったというエピソードがあります。


 まさに親(阿弥陀仏)の前の赤ん坊ですね。筋は通っていますが、現在本堂の仏様の前でこのようなことをすると、ほとんどのご住職が怒ると思いますので、まねをするのはやめた方がいいでしょう。


 また、阿弥陀仏がすべて責任を取ってくれるから何でもしてよいのかというと、決してそうではありません。親鸞聖人は門弟に宛てたお手紙の中で、「薬あればとて毒を好むべからず」としっかり戒められておられます。


「ボーっと生きてもいいんだよ」と「ボーっと生きてんじゃねーよ!」。


 正反対のことを言っているこの両方が決して間違いでないところが、仏教の教えの奥深いところです。人間はずっと頑張って生きていくわけにはいきません。ボーっとしていてもそのままで救ってくださる有り難い仏様がいるということを、忘れないでいただければと思います。



今年も7月1日より「輝け!お寺の掲示板大賞2019」がはじまりました。全国のお寺の掲示板作品を10月31日までお待ちしております!


なお、当連載をまとめた書籍『お寺の掲示板』が9月26日に発売されました。お手に取ってご覧いただければ幸いです。


(解説/浄土真宗本願寺派僧侶 江田智昭)

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