「表現の不自由展」再開で立川志らくと竹田恒泰がそっくりな“小学生以下”妄言!「だったら殺人も核戦争も『表現の自由』か」

10月14日(月)16時15分 LITERA

『グッとラック!』でMCをつとめる志らく(番組HPより)

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 8日に展示を再開したあいちトリエンナーレの「表現の不自由展・その後」。しかし、文化庁があいトリへの助成金交付を中止し、河村たかし市長が座り込みをするなど、政治の圧力は相変わらずだ。しかも、この再開にいきりたった安倍応援団や極右文化人からは、信じられないくらい幼稚で頭の悪いいちゃもんが噴き出ている。


 その筆頭が、自称“明治天皇の玄孫”の竹田恒泰氏。11日、昭和天皇の肖像が焼かれる映像を含んだ大浦信行氏の作品「遠近を抱えて PartⅡ」をやり玉に挙げる形でこうツイートした。


〈津田大介氏は、昭和天皇の写真を焼く動画について、芸術性があるというが、ではヘイト性は無いのか?仮に一握りの人にとって芸術であっても大多数にとってヘイトなら、公共施設に展示するのは反社会的行為。氏の言うことが正しければ虐待やポルノ、殺人映像も表現の自由なのか?〉
〈昭和天皇は私の親戚である。その昭和天皇を侮蔑し名誉を毀損する展示に対して私は深く傷ついた。皇族方の多くも同じように傷ついたに違いない。一般人なら間違いなく遺族が訴訟する。皇室が起訴しないことを良いことにあの展示をしたのだろう。津田大介氏は卑怯の極み。彼は加害者である。〉


 さんざん在日韓国人をヘイト攻撃している輩が、何を言っているのかと呆れるが、それ以前に、この人、相変わらずヘイトの意味をまったくわかっていないのである。ヘイトスピーチというのは、人種、性別、民族、性的指向などの属性を一括りにして「犯罪を犯す」だの「病気」だのとレッテル貼りをし、差別を扇動する竹田のような言説を指すのだ。単なる罵倒や暴言のことではないし、国の権力や権威の象徴の写真を焼くというのは、政治的表現であって、ヘイトでもなんでもない。


 さらには〈虐待やポルノ、殺人映像も表現の自由なのか?〉って、虐待や殺人は刑法違反じゃないか。法学部出身のくせに、表現と犯罪行為の区別もつかないのか。ていうか、この反論、注意されてムキになった小学生と同じレベルだろう。
 
 しかも、噴飯ものなのが〈昭和天皇は私の親戚である〉〈その昭和天皇を侮蔑し名誉を毀損する展示に対して私は深く傷ついた〉なる発言だ。今更だが、昭和天皇は公人中の公人であり、しかも、数百万人の日本人を死なせ、周辺諸国に数千万人の犠牲を出した先の戦争の責任を問われている人物なのだ。それをまるでただの“親戚のおじいちゃん”みたいな扱いで、「名誉毀損」とか「侮辱」って、いったい天皇をなんだと思っているのか。


 だいたい、あんたみたいな無知無教養な人間が「昭和天皇の親戚」「明治天皇の玄孫」などという謳い文句を使っていることのほうがずっと皇室に対する名誉毀損だろう。しかも、竹田氏はある時期まで、“旧皇族”などというまったく虚偽の肩書で自己宣伝していた。そんな人物に、「私は深く傷ついた」などと、被害者ヅラする資格があるのか。


●韓国人ヘイト常習の百田尚樹は「人種差別やヘイトも可能になります」 どの口で言う?


 だが、こんな妄言を吐いているのは竹田氏だけではない。たとえば、すっかり“安倍応援団ジャーナリスト”となってしまった門田隆将氏も〈人を傷つけたり、尊厳を踏みにじったり、嘲笑ったりするものが芸術として税金で展示されるなら、日本は幼児ポルノでもカニバリズム作品でも何でも認められる事になる〉(10月11日)とツイート。


 こういう時には必ずツッコミどころ満載の暴言を吐く百田尚樹氏もやはり、〈芸術という看板を掲げれば、何を表現してもいいわけではありません。そんなことが「表現の自由」として認められるなら、アート作品と銘打って、人種差別や民族ヘイトなど、なんでも可能になります〉(8月9日)などと投稿してきた。


「人種差別やヘイトも可能になります」って、中国、韓国への人種差差別を口にし、犯罪が起こるたびに「在日の仕業」などとヘイト発言をしてきたのは百田自身ではないか。


 しかも、百田氏と門田氏は、9月3日の『真相深入り!虎ノ門ニュース』(DHCテレビ)で、「週刊ポスト」(小学館)が韓国人ヘイトの特集を組んで炎上した件について、「読みました。全然ヘイトでもなんでもないですね」(百田)、「日本では韓国への批判はヘイト(と言われる)。日本批判、日本を貶めるのは表現の自由という二重基準があります」(門田)などと意気投合していた。


 つまり、彼らに言わせれば、「韓国人への差別を扇動する言説」はヘイトスピーチではなく「表現の自由」であり、逆に「日本の権力や権威への批判」がヘイトスピーチになるらしい。


 なんという倒錯。こいつらは、表現の自由が民主主義を成立させる基盤として生まれた権利であり、自国の権力や権威に対して自由に批判できることこそが本質であることをまったく理解していないのだ。いや、理解していないのでなく、わざと混同させて、権力や為政者に対する批判を「不敬」「権威を傷つける」という理由で取り締まることのできる、戦前のような国家に戻したいのだろう。


 まったくタチが悪いとしか言いようがないが、それでもヘイト雑誌『WiLL』(ワック)や『Hanada』(飛鳥新社)常連の極右論客がほざいているだけなら、まだ「こいつらバカか」と呆れるだけですむ。問題は、地上波の情報番組MCを務める人間までが、この連中とそっくりな幼稚な妄言を口にしていたことだ。


立川志らくは自分が批判されると「私の意見だって表現の自由」と被害者ヅラ


 他でもない、落語家の立川志らくのことだ。本サイトでは先日、志らくがあいちトリエンナーレを巡って、『グッとラック!』(TBS)で津田大介氏と討論し、そのなかで“子どもの虐待映像を見せるのも表現の自由なのか!”などと食ってかかったうえで、「政府がまだ認めていないものを芸術だって言い張っちゃう(のはダメだ)」と“独裁国家の検閲官なみの芸術観”をひけらかしたことを伝えた(https://lite-ra.com/2019/10/post-5018.html)。


 この志らくの発言には、SNSでも多くの批判が集まったが、志らくはその後も懲りることなく、自身のTwitterでこんな反論をしたのだ。


〈演劇でもなんでも国からお金をもらうというのは大変なこと。連中は都合が悪くなると表現の自由だと騒ぎだす。〉
〈表現の不自由展なんか認めない!という私の意見だって表現の自由だろうに。なんで自分たちは非難されるとそれを攻撃してくるんだ?トンチンカンも大概にしろ。税金使わず勝手にやりゃあいい。文句があるなら仲間だけで愚痴り合えばいい。〉(11日)


 もちろん、志らくが「表現の不自由展なんか認めない」と発言するだけなら表現の自由だ。しかし繰り返すが、志らくは政府が認めていないものを芸術というな、などと、権力の表現への介入や圧力を正当化する、まるで独裁国家の検閲官みたいなことを言い出したのである。だから、多くの良識ある視聴者がやはり表現の自由に基づき、「こんな発言はありえない」と批判した。それだけのことじゃないか。


 自分が表現の自由への圧力を正当化しておいて、自分が批判されると被害者ヅラ。こんなことで文句を言うなら、それこそ情報番組のMCなんてやめて、安倍応援団仲間と愚痴ってろって話だ。


 あげく、志らくはこんなツイートまで繰り出している。


〈煽り運転の運転手が煽るのが俺の表現だ!路上で下半身をさらけ出すのも表現だ!激辛カレーを教師に食べさせるのも表現だ!殺人も表現だ!戦争も核兵器投下も表現だ!と言い始めたら?世の中めちゃくちゃになります。〉(11日)


 先に〈虐待やポルノ、殺人映像も表現の自由なのか?〉とツイートした竹田恒泰のことを「小学生の屁理屈」レベルと言ったが、志らくも見事に同じ発想(笑)。と言うか、志らくの場合は、〈戦争も核兵器投下も表現だ!と言い始めたら?〉などと、個人でなく国家の行為まで持ち出しているから、「小学生以下」と言ってもいいかもしれない。


 しかし、問題は、連中の頭の悪さや悪質なすり替えそれ自体ではない。少し前なら、一笑に付されたようなこんな妄言が堂々と地上波で流され、一定程度の支持を得ていることだ。


 歴史が証明しているように、公権力は、一足飛びに人々の自由を弾圧しようとはしない。まずは大衆の“自主規制”を誘導し、自分たちの意思で自由を制限しているように錯覚させる。そうして与しやすくしたうえで立法権や行政権を濫用し、政府に批判的とみなした人々をじわじわと締め上げていくのだ。


 だからこそ、わたしたちは鋭敏に反応し、その都度、反論の声をあげなければならない。まちがっても、表現の自由を抑圧する言説を歓迎してはいけないのである。本サイトは今後も、竹田恒泰や立川志らくのような人たちが拡散する言説の誤りを徹底的に追及してゆくつもりだ。
(編集部)


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