「即位の礼」 サービスの“平成流”から伝統の“昭和流”へ復古した理由

11月4日(月)6時0分 文春オンライン

 黒い束帯に身を包んだ2人の侍従が、高御座(たかみくら)の紫の帳(とばり)を左右に開けると、天皇がお召しになった黄櫨染御袍(こうろぜんのごほう)の深い黄色と、帳の内側の朱色が露わになった——。


 10月22日、午後1時過ぎ。天皇が即位を宣言し、安倍首相がお祝いの寿詞(よごと)を述べると、宮殿には万歳を唱和する声が響き渡った。つつがなく行われた「即位礼正殿の儀」だったが、この帳が開かれるまでには、令和皇室を担う“ご兄弟”の強いご意思があった。


◆◆◆


天皇陛下は“雨男”!?


 180以上の国・地域から集まった賓客と日本の招待客約2500人が見守る中、皇居・宮殿で、天皇の即位を内外に宣言する「即位礼正殿の儀」が執り行われた。舞台となったのは、宮殿の中でいちばん格式が高い「正殿松の間」に置かれた高御座。正殿を北に見て東側の豊明殿、南側の長和殿、西側の回廊に参列者が座する形となった。





「台風20号から変わった温帯低気圧の影響で、前夜からあいにくのひどい雨でしたが、平成の『即位礼正殿の儀』と違い、今回は屋外に参列者席を作らず、すべて屋内席にしたのが幸いしました。実は陛下は皇太子時代から“雨男”と有名で、『結婚の儀』も雨天だったくらいなので、屋外席を最初から作らないようにしたのは陛下のご配慮だったのかもしれませんね(笑)」(宮内記者)


2つある「平成と違う点」


 約30分に及んだ式典だが、平成と違う点は大きく2つある。


「一つは参列席の配置です。屋外席を作らなかった分、前回は『松の間』から死角となるため椅子が置かれなかった場所や、遠すぎるため席が置かれなかった豊明殿後方のスペースにも席を作りました。最大200インチにもなる大小30台のモニターを各所に置いているので、肉眼では見えずとも、十分鮮明に高御座の陛下の様子を見ることができました。


 しかし、より重要なのは席の配置ではなく、儀礼のあり方に直接かかわるもうひとつの“変更”のほうでした」(同前)



天皇陛下と秋篠宮さまのご意思で昭和流へと“復古”


 それは、天皇が高御座に上がられるまでのルートを平成流から昭和流へ“復古”させるというものだった。事情を知る宮内庁関係者が解説する。


「実はこの変更には天皇陛下と秋篠宮さま、おふたりのご意思が深く関係していたのです」


 9月18日に行われた皇位継承に関する式典委員会では、今回の「即位礼正殿の儀」について次のような主旨の決定がなされていた。


〈両陛下には正殿松の間の後方からお入りいただき、続けて高御座・御帳台にお昇りいただくこととした〉



 別の宮内記者が解説する。


「つまり、令和流では帳が開いて初めて両陛下のお姿が見える『宸儀初見(しんぎしょけん)』という登場方法を復活させたのです。これは昭和天皇の即位の礼まで長らく踏襲されていたやり方です。ただ、この方式では『松の間』の正面である長和殿に着席している一部の参列者にしか、両陛下のお姿は見えません」


 平成の「即位礼正殿の儀」では、式部官長、宮内庁長官に続き(当時の)天皇皇后両陛下が「松の間」の北側から出発し、「梅の間」の側面、正面の回廊を経て「松の間」に入場、先に並んだ皇族方の間を通って高御座のうしろに回り、階段を上がって帳の中に入られた。


「高御座に入る前に、中庭に面した『梅の間』の前を通ることで、正殿を取り囲むように着席していた参列者らは、どこにいても両陛下のお姿を一度は肉眼で拝見することができたのです」(同前)



“平成流”には反発も


 当時、それまでの伝統とは異なる“平成流”を巡って、強い反対も出たという。当時を知る皇室ジャーナリストはこう語る。


「戦後の憲法下で初の『即位の礼』となった前回は、国事行為となった宮中の儀式からいかに宗教色を抜くか、昭和天皇が崩御されてからの短い期間で考える必要がありました。



 また、160カ国以上の海外の賓客がお見えになったため、その対応策も練る必要があった。昭和天皇の即位礼に参列したのは28カ国で、しかも駐日公大使のみが参加しており、本国から使節を派遣された例もなかったのです」


 前例のない“海外からの賓客”を接遇するにあたり、当時の天皇(現上皇)は「せっかく来ていただいているのに見せ場が少なくては申し訳が立たない」との理由から、それまでと違うルートにされたのだという。


「当時の陛下のサービス精神の賜物です。しかし、このルート変更には、“伝統にそぐわない”と宮内庁内部からも強い反発がありました。そうした内部からの声に加え、かさばる即位関連予算を巡っても一般国民の間でデモや抗議活動が頻発していた。当時、皇太子としてこの状況を見ていた今の陛下や秋篠宮さまは、心を痛めておられたことでしょう」(当時の宮内記者)


 そうしたご兄弟の経験が、今回儀礼のあり方を考えるにあたって一助となったのは想像に難くない。



雅子さまの負担軽減のため「饗宴の儀」が減らされた


「本来、国事行為である『即位の礼』の在り方に天皇や秋篠宮さまが口を出されることは憲法違反になりかねません。しかし、その危険を冒してでも変更のご意向を示すほど、強い思いがあったものと見えます。実際、山本信一郎宮内庁長官が定例会見で述べたように、会場には技術革新によって平成初期とは比べ物にならないほどに精度の増したモニターが多く取り付けられ、『松の間』での儀式の様子はとてもクリアに見えました。そうした最新の装置があれば、平成流を踏襲せずとも儀礼が成り立つ、とお考えになったのでしょう。伝統と、平成から引き継いだ国民へ寄り添う心の折衷が今回の“昭和復古”に繋がりました」(前出・皇室ジャーナリスト)


 他にもこんな「変更」があった。


「雅子さまの負担軽減のため、『饗宴の儀』が前回の7回から4回に減らされました。また、結果的にではありますが『祝賀御列の儀』が11月に延期となったことで、22日の午後の時間にすこし余裕ができたのも、雅子さまにとってはプラスに働いたのではないでしょうか」(前出・宮内庁関係者)



美智子さまの強いメッセージ


 パレードの延期を巡っては、15日、16日と菅義偉官房長官が会見で「淡々と(準備を)進めていきたい」としていたにもかかわらず、17日になって延期が報じられた。前出の宮内記者によると、


「雰囲気が一変したのは15日に行われた宮内庁の西村泰彦次長の定例会見。ここで、20日に予定されていた美智子さまのお誕生日関連行事の中止が発表されました。『これまでに覚えがないほどの災害に心を痛められている』などの言葉とともに発表された文章からは『皇室は今回の災害を心から愁え、国民に寄り添いたいと思っている』という強いメッセージが感じられた。これを聞いた記者の間で『これは官邸サイドに“パレード延期の検討を”と暗に訴えているのでは』との見方が広まりました。実際、翌16日にはパレードの警備関連レクが中止になり、17日に延期検討をNHKがスクープしました」


 夜半から降り続いていた雨は、「即位礼正殿の儀」が始まる直前にやみ、上空には虹が現れた。伝統を大切にしつつも時代に即した変化も辞さない“令和流”を寿(ことほ)ぐかのようだった。



(「週刊文春」編集部/週刊文春 2019年10月31日号)

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