「もう観光客が来なくなればいい」……「私道での撮影禁止」は花街・祇園のSOS

11月9日(土)11時0分 文春オンライン

 空前のインバウンド・ブームに沸く観光立国・日本。東京オリンピック・パラリンピックが開催される2020年には、日本を訪れるインバウンドは過去最高の4000万人にのぼるとも見込まれている。 それは東京という街が、そしてこの国が、これまで経験したことがないほど多くの人々に「観光される」ということを意味する。


 しかし、あなたは考えてみたことがあるだろうか。


「観光される」とはどういうことか、を。



©iStock.com


「観光される」自分たちを意識しなくてはいけない時代に


 観光産業にかかわっているわけではない多くの人にとって、観光とは非日常である。観光と聞けば、ふだんの自分の役割や生活から離れて羽を伸ばし、住み慣れたいつもの場所とはちがう土地を楽しむ……そんな、特別な時間と空間を思い起こすだろう。しかし、それはあくまでも「観光をする」側の視点である。



 そもそもインバウンド誘致の旗印として掲げられた「観光立国・日本」というキャッチフレーズにおける「観光立国」とは「観光をする国」という意味ではない。その主眼は、この国を「観光される国」へと変えてしまうことである。


 そして2015年、45年ぶりにインバウンド(訪日外国人旅客数)がアウトバウンド(出国日本人旅客数)を上回って、すでに4年。われわれは「観光」という言葉に、「観光をする」自分たちではなく「観光される」自分たちを意識しなくてはいけない時代に生きている。


「もう観光客が来なくなればいい」という祇園の本音


 そんな「観光立国」で、いまもっとも注目される観光都市が京都である。とくにここ数年は世界の人気観光都市ランキングでも第1位を獲得するなど、世界的な京都ブームを巻き起こしてきた。


 その街に関して、先日とあるニュースが話題になった。芸妓・舞妓が行き交う花街として有名な祇園で、地元自治組織が「私道での撮影を禁止」という看板を設置することになったのだ。むろん観光客に向けた警告である(写真1:祇園町南側地区協議会 提供)。



 あまり知られていないことだが、祇園の界隈というのはほとんど私有地でありメインストリート以外の細い路地も多くは私道だ。公道では写真禁止などとはいえないが私有地ならば、ということで今回の「私道での撮影禁止」が掲げられることになったのである。


 このような報道だけを見ると地元の人々が「マナーを守って」と観光客に呼びかけているように見える。しかし、この看板を立てた地元の本音はどうやら少しちがうようだ。


 祇園の本音は、「これをきっかけに観光客が来なくなればいい」である。



「よそは観光客に来てほしいけどマナーは守って欲しいと思っているのでしょうけど、うちはちがいます。そもそも観光客に来て欲しくないんです」


 このように話す地元自治組織の幹部は「祇園は観光地ではないのです」と、何度も強調した。いまや祇園ではカメラを携えて世界中から集まる観光客が絶えることがない。そのため、とくに地元以外の人間からは祇園という街は観光地だと思われていることも多い。しかし、これは大きな間違いで、もっと言えば、完全なる「事故」なのだ。


安全とプライバシーを守る「一見(いちげん)さんお断り」文化


 花街・祇園は、同じジャパネスクな景観といえど、たとえば古風な町並みを再現したおかげ横丁のような観光地とはまったく性格のことなる街である。



 すべての店がそうではないとはいえ、そもそもは格式の高さと紹介制によって安全とプライバシーを守り、こっそり「お忍び」でやってくる「お偉いさん」にも安心して遊んでもらえるという「一見(いちげん)さんお断り」文化を特色とした街である。そんな場所に観光客が押し寄せると何が起こるのか。考えてみればすぐに分かることだが、なじみの客足は遠のくばかりである。


 通りすがりの観光客はある意味で「一見さん」の最たる存在であり、花街としての祇園にとって客に成り得ない。逆にもし観光客でも気軽に利用できるようなカフェや土産物店に祇園が埋め尽くされるようなことになれば、それはもはや花街ではなくなってしまう。もちろん、舞妓・芸妓がそこにいる意味もなくなってしまうのである。


外国人観光客の「狼藉」


 そのような不本意な観光化に晒されている花街・祇園で問題になっているのは「一見さん」問題だけではない。マナー違反というにはあまりに乱暴な、観光客による舞妓・芸妓への「狼藉」である。


 祇園のメインストリートである花見小路にはこのような高札が設置されている(写真2:筆者撮影)。とくに外国人観光客にマナーを遵守するように告げる「お触書」である。



 とくに目を引くのは舞妓にのびる怪しげな手のイラスト。これはもちろん芸妓・舞妓に触れてはいけないという意味である。いくら観光地といえど、「ここで暮らす人々に手を触れてはいけない」と警告する看板がわざわざ設置されるようなことは、普通はない。しかし、ここではそうやって警告しなくてはいけないほど、観光客は彼女たちに手を触れようとするのである。



 昨今、通りを行く芸妓・舞妓の写真を撮るためにしつこくつきまとったりする迷惑行為は「舞妓パパラッチ」として全国のメディアでも話題になることが増えた。しかし、彼女たちが被る迷惑はそれだけでは済まない。つきまといや腕や着物を引っ張られる被害だけでなく、着物の襟元へ煙草を投げ入れる、着物を破る等、刑事事件として被害届が出されたものもある。

 

 しかも、これらは店の中に入れて接待をしていた酔客の乱暴ではないのだ。通りですれちがうだけの、単なる通りすがりの観光客から受ける被害なのである。このような現状からも、なぜこの街には「一見さんお断り」の文化が必要だったのかがよく分かるだろう。


オーバーツーリズムが世界的な課題へ


 これまでは「いかに観光客を呼び込むか」ばかりが人々の関心事となってきたが、本意であろうが不本意であろうが、いちど「目をつけられてしまった」場所から観光客を遠ざけるのは、実はそう簡単なことではないのだ。


 ちょうど、観光客に悲鳴を上げた祇園が「私道での撮影禁止」を実施した10月25日、26日にかけて、北海道で開催されていたG20の観光相会合では、地域のキャパシティを超えた観光客の増加、つまりオーバーツーリズムへの対策について議論が交わされていた。いま世界各国の観光政策における主たる課題は、誘致や促進よりもむしろ、この「観光客が増えすぎる」というオーバーツーリズムをいかに制御するかにシフトしつつある。


「なんでこんなところに観光客が!?」日本の「リアル」を求める人々


 我々の社会がいま直面しつつあるのは観光を制御することの難しさである。たとえば2019年のラグビーW杯。東京新宿のゴールデン街では、押し寄せた外国人観光客で小さな店がいっぱいになり、常連客が「いつもの店」に入れないという「緊急事態」が多発したという。ゴールデン街の飲兵衛たちも「なんでこんなところに観光客が?」と戸惑ったことだろう。



 それまで外国人観光客の姿などほとんど見かけなかったゴールデン街の狭い飲み屋に外国人観光客が求めているもの。それはもちろん「飾らない」日本社会の「リアル」だろう。


 現在、観光客の興味関心はそれまで観光の対象とならなかったような、現地の生活者の暮らしそのものを観光対象として消費することへと向けられつつある。単に名の知れた観光名所を見物して満足するのではなく、現地の人々の「リアル」な暮らしに深く入り込んで、それに触れることを楽しむ観光客が増えているのだ。



観光客と観光整備はある意味イタチごっこ


 外国人観光客に対する受け入れ態勢を整えるべきといっても、そもそも受け入れ態勢が整っている場所、つまり「観光ずれ」した場所を避けて、もっと受け入れ態勢が整っていない「観光ずれ」していない場所に「リアル」さを見出して楽しもうとする観光客の嗜好の変化を考えると、観光客と観光整備はある意味でイタチごっこの関係という側面があることも事実だ。


 オーバーツーリズムと聞くと、つい観光客の「数」の問題を考えてしまうが、これまで紹介してきたような事例では、その嗜好や行動の変化という「質」の問題も重要ということがわかる。実際に京都においては観光客の総数は近年では逆に減少傾向にある。観光客は減っているのに、なぜ問題が起きるのか? それは観光客の嗜好や行動という「質」の変化と地域社会の間にミスマッチが起こっているということでもある。


観光されるあなたの「リアル」


 それまでその地域の人々からは価値や魅力を認識されていなかったものを、外からの視点で観光資源として「発掘」することは観光振興の重要な鍵である。しかし、地域の埋もれた観光資源を発掘するのは何も住民や関係者だけではない。



 ちかごろ、酔っ払って路上で寝込んでしまったサラリーマンなどが写りこむように記念撮影した外国人観光客の自撮りがインターネットにアップされているのを見かけるようになった。我々には当たり前の風景でも、外国人観光客からすると、飲酒に「寛容」な日本社会を象徴する新しい名物になりつつあるようだ。皮肉だが、これは彼らが発掘した観光資源といえる。きっと「リアル」なのだろう。


 オーバーツーリズム対策を含め、観光をいかにコントロールするかは数の問題だけではない。外から訪れた人々は、我々の社会や暮らしを見て、何を読み取り、喜び、面白がっているのか。もはや「観光される国」に暮らす我々にとって、これら外からのまなざしとの葛藤はある意味で死活問題ともいえる切実さをはらんでいくと思われる。


 たとえば「インスタ映え」で、突然あなたの家が世界中の観光客にとっての憧れの聖地になることだってあるかもしれないのだ。よそものに厳しく「一見さんお断り」だった花街が、いつの間にか世界中から観光客が押し寄せる観光地にされてしまったように。




(中井 治郎)

文春オンライン

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