「即位の礼」から祝賀パレードへ……天皇陛下と雅子さまの姿に見る“日本と皇室の29年間”

11月10日(日)6時0分 文春オンライン

 今回の「即位礼正殿の儀(即位の礼)」と前回(1990年11月12日)の「即位の礼」を比べて強く印象付けられたのは、皇室を取り巻く内外の環境の大きな変化だ。29年という歳月を考えれば、変化はある意味当然のことだが、静かに、しかし劇的な形でそれがもたらされていることに改めて感慨を覚えるのだ。


 10月31日、「即位の礼」に合わせて同22日から宮中で始まった「饗宴の儀」の、最後の4回目の饗宴が午後3時から立食でもたれた。「春秋の間」と「豊明殿」に合わせて約800人の招待者が招かれ、天皇は皇后と共に二つの広間を行き来して、祝賀へのお礼のお言葉を述べられた。このうち約300人の駐日各国大使夫妻が詰めた「春秋の間」では、天皇のお言葉に続いて外交団長であるコートジボワールのジェローム・クロー・ウェア大使が各国大使を代表して祝詞を述べ、全員で乾杯が行われた。



4回目の「饗宴の儀」で乾杯される両陛下 ©時事通信社


「即位の礼」と「饗宴の儀」を無事にこなされた両陛下


 この10日間、天皇にとっては儀式だけに専念していればいいという状況ではなかった。「饗宴の儀」2回目の午餐会が持たれて約1時間半余り後の午後2時半過ぎから、経済産業相を辞任した菅原一秀氏の後任の梶山弘志元地方創生担当相の閣僚認証式があわただしく皇居で行われた。


 また台風19号の被害に対し「被災された方々の生活が1日でも早く元に戻ることができるよう心から願っています」との「お気持ち」も発表している。お祝いを受けながらも、両陛下は被災地のことが頭を離れなかったはずだ。



 しかし令和になって半年、両陛下は最大の山場だった「即位の礼」と「饗宴の儀」を無事こなされた。健康不安のあった雅子皇后にとっても自信になったのではないだろうか。


前回は「過激派によるゲリラ」が都内で34件も起きた


 この10日間、「即位の礼」を妨害するような過激派のゲリラ事件は一件も起きなかった。警備当局は東京に厳戒態勢を敷き、過激派の封じ込めを図ったが、その効果があったということだろうか。そうではないだろう。もし過激派がゲリラ事件や騒ぎを起こそうと思えば起こせたはずだ。コトの本質は、過激派にとって天皇制や皇室はもはや標的たりえない存在になったということではないか。


 前回の時のことを思い起こせばよく分かる。当時の新聞の縮刷版を繰っていて、気付くのが過激派のゲリラ事件が実に多いことだ。「即位の礼」の当日だけでも「過激派によるゲリラ」と断定された事件が6都県下で40件、うち都内で34件起きている。



「即位礼正殿の儀」や祝賀パレードに合わせ、14発の迫撃弾が皇居方面に向け発射された。迫撃弾といってもいずれも途中で落下する代物だった。命中させるのが目的ではなく、華々しく「天皇制・皇室反対」をぶち上げる示威行為として使われたのだ。地下鉄や映画館や神社でも発火装置によるボヤが起きている。「即位の礼」当日から11月末までの19日間にゲリラ事件は全国70件に上った。



 当時、中核派などの過激派には幾つかの闘争目標があり、それをよく表しているのが「天皇即位儀式粉砕」「大嘗祭反対」「自衛隊海外派遣反対」の3つのスローガンだ。これらはバラバラの闘争目標ではなく、天皇制と大嘗祭と自衛隊海外派遣は一体のものとして捉えられている。天皇制の下で軍部が中国や東南アジアを侵略した過去は、自衛隊の海外派遣という形で復活しつつあり、かつての国家神道は、政府による大嘗祭の執り行いという形で芽吹いている。そしてこの中核にあるのが皇室——と彼らは見たのだ。


この29年間で定着した「平和主義の皇室」というイメージ


 過激派だけでない。市民団体も天皇制や大嘗祭に反対して、活発にデモや集会を開いている。「天皇の代替わりを利用した天皇制強化を許すな」のスローガンもあり、天皇制や皇室への強いアレルギーが一定程度、存在していた。


 しかし皇室を取り巻く環境はいま大きく変わった。皇室を狙ったゲリラ事件は一件も起きなかった。「大嘗祭は政教分離の原則から憲法違反」という批判はあるが、これは大嘗祭に公費を支出する安倍政権に対する批判であって、皇室に向けられたものではない。



 この29年の間に「平和主義の皇室」というイメージがすっかり定着し、中道派から左にとって皇室はむしろ憲法を逸脱しかねない安倍政権に対する防波堤となっている観さえある。先の天皇、皇后が果たしてきた象徴としての役割、慰霊の旅などに人々が信頼を高め、共感し、薄皮をはぐようにアレルギーが取り払われてきた結果といえるだろう。


前回の「即位の礼」は湾岸戦争のさなかだった


 前回の「即位の礼」は時代の端境期に当たった。前年11月に「ベルリンの壁」が崩壊し、冷戦終結のプロセスは緒に就いたばかりで、その間隙を突くようにイラクのフセイン大統領はクウェートに軍事侵攻し、湾岸危機が勃発した。1990年8月、「即位の礼」の3カ月前だった。「即位の礼」は世界の元首、首脳、祝賀使節を迎え、華やかに執り行われたが、その舞台裏で日本は新しい時代にどう対応するか四苦八苦していた。


 湾岸危機で日本は国際社会から財政支援と人的貢献を求められた。財政支援は最初10億ドルを決めたが、米国の不満に押される形で小出しに積み上げ、最終的に130億ドルになった。もう一つの人的貢献では、自衛隊の海外派遣を視野に置いた国連平和協力法案は「即位の礼」の直前に廃案となった。過激派が「自衛隊海外派遣反対」を掲げたのはこの国連平和協力法案のことだった。



 日本にとってトドメとなったのは、クウェートが自国の解放後に米紙に載せた感謝広告に日本の国名がなかったことだった。この湾岸危機・戦争での一連の出来事は“外交敗戦”として関係者にトラウマとなって続くことになった。



 今回の「即位の礼」にあって、国際社会における日本のパフォーマンスは29年前の比ではない。昨年12月には日本の主導で環太平洋パートナーシップ協定(TPP、日本など11カ国)を発効し、今年2月には日本と欧州連合(EU)の経済連携協定(EPA)を発効した。日本は自ら主導して、保護主義に対抗する二つのメガ自由貿易協定(FTA)を持ったのだ。



両陛下はどんな日本を“象徴”していくのか?


 また先進民主主義の中級国家群の中で、日本はEUと共に人権、民主主義、自由貿易、多国間開放体制の価値の擁護者として存在感を示している。2年前、トランプ米大統領が登場した後のフォーリン・アフェアーズ誌(5・6月号)で、リベラルな国際秩序を理論化した米プリンストン大学のジョン・アイケンベリー教授は、リベラルな国際秩序のため各国指導者の奮起を促した中で、「多くが安倍晋三首相とメルケル独首相の肩にかかっている。リベラル国際秩序を支えるために重要な2人だ」と指摘した。この論文はメルケル首相が指導力を失う前で、現在に置き換えると安倍首相とマクロン仏大統領となるだろうか。


 もちろん国際社会への貢献という点で、日本はまだまだやるべきことがある。政府開発援助(ODA)の増額、国連平和維持活動(PKO)へのさらなる貢献はその典型だろう。しかし「国際社会が血を流して平和を守っている時、日本は自分の経済的利益だけを追求している」(ミッテラン元仏大統領)と批判された90年代初めごろまでの日本ではもはやない。



 新天皇と皇后は共に外国暮らしを体験し、経験に裏付けられた豊かな国際感覚をもつ。両陛下の登場は、どこか日本の歩みと歩調があっているように感じるのは私だけだろうか。日本が国際社会の中に深く錨を下ろし、両陛下が真摯に国際親善と友好に取り組まれる時、日本は世界の中で新しい地位を獲得するように思われる。


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 天皇皇后によるこれまでの国際親善を振り返り、令和の時代の「皇室外交」の「核」になるものは何かを分析した、ジャーナリストの西川恵氏による「 雅子皇后の『おもてなし』 」は「文藝春秋digial」に掲載されている。



(西川 恵/文藝春秋 2019年11月号)

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