利用者1日600人だけ? 西日本イチの新幹線秘境駅に行ったら、実は西日本2位だった話

11月11日(月)6時0分 文春オンライン

 以前、新幹線で最も利用者の少ない駅を訪ねようということで、北海道新幹線の 奥津軽いまべつ駅 に行った。さすがの新幹線No.1秘境駅で、駅の目の前には森が広がっているようなところであった。すごいところに新幹線の駅を作るものだなあと驚かされた次第である。


 では、西日本に目を向けてみるとどうだろうか。さすがに東海道新幹線には秘境駅はなさそうであるが、もっともっと西へ走れば新幹線秘境駅はきっとあるはずだ。そうしたわけで西へ西へと探してみると、西日本で最も乗車人員の少ない新幹線駅は九州新幹線の新大牟田駅であることがわかった……。



九州新幹線「新大牟田駅」には何がある?


1年で「No.1秘境駅」が逆転していた……


 ここで詳しい方からはお叱りを受けるであろう。当初、筆者の手元にあった駅別乗車人員の資料は2017年度のもの。その時は新大牟田駅の1日の平均乗車人員が585人。れっきとした西日本の新幹線で最も利用者数の少ない駅であった。


 ところが、取材の準備を全て終え、あらためて2018年度の資料を見てみると新大牟田駅は611人。対して、(同じく九州新幹線の)新水俣駅が576人と西日本No.1秘境駅の立場が逆転していたのである……。お恥ずかしい限りではあるが、新水俣駅は肥薩おれんじ鉄道の駅も併設されていて、こちらも合わせれば新大牟田駅の乗車人員を上回るであろう。それに新大牟田駅は新幹線の単独駅。“秘境駅”というならばこちらのほうがふさわしい……ということで進めさせていただきたいと思う。



 さて、その新大牟田駅に向かった。新大牟田駅には1日に2往復だけ「さくら」が停車するほかは、すべて各駅停車の「つばめ」しか停まらない。そこで博多駅からJR九州が誇る800系「つばめ」に乗り込んで約30分。「こだま」ほどではないにせよそこそこ「つばめ」の運転本数も多いので、アクセスにはさほど不便はない。その点からしてどうやら奥津軽いまべつ駅よりは行きやすい秘境駅である。新鳥栖・久留米・筑後船小屋に続く4番目の新大牟田駅に到着した。



出張風のビジネスマンもやってくる「秘境駅」?


 奥津軽いまべつ駅もそうであったが、新幹線の駅は利用者数が多かろうと少なかろうと、周辺に何はなくとも実に立派な設えである。新大牟田駅も、高架3階部分の相対式ホームは真新しくホームドアも取り付けられている。2階の踊り場を抜けて改札のある1階コンコースまで出てもこちらも改札外に大きな待合スペースもあるほどの立派さ。さらに改札口の向かいには大牟田市の観光案内所もあるくらいで、秘境駅などと呼んでいたのが申し訳なくなるほどのしっかりとしたターミナルの装いであった。もしかすると、新大牟田駅は利用者数の少なさに反してかなり賑やかな駅なのではないか……。



 と思って駅の外に出てみたら、駅前の装いも実に立派なものであった。奥津軽いまべつ駅のように駅前に森が待ち構えているようなこともなく、むしろ住宅地やコンビニもあった。ロータリーも広々としていてバスの発着も客待ちのタクシーもある。筆者がやってきた新幹線からも出張風のビジネスマンのグループがタクシーに乗り込んでいったくらいだ。うーむ、奥津軽いまべつ駅を思い浮かべてやってきたから、正直ちょっと立派すぎるような……。




では、なぜ1日600人しか利用しないのか?


 それもそのはずで、奥津軽いまべつ駅は津軽半島の先っちょの今別町という町にある駅なのに対して、新大牟田駅はかつて三池炭鉱の町として栄えた大牟田市にある新幹線のターミナル。三池炭鉱はとうに閉山したが、今も大牟田は三井の企業城下町として賑わっているから、いくら新幹線単独の駅であっても新大牟田駅の周囲が山に埋もれた秘境であるわけがないのである。むしろ、それだけのターミナルでありながらも1日の乗車人員が600人前後ということが不思議なほどだ。じっさい、タクシーに乗り込んでいった出張ビジネスマンが去ってからというもの、駅のあたりにはまったく人影すら見られなくなった。



 そこで地図を眺めて新大牟田駅の立地を見てみると、なんとなく納得がいった。新大牟田駅は大牟田市の中心市街地に近い大牟田駅から約7kmも山側に離れている。それよりも近くには鹿児島本線吉野駅や西鉄天神大牟田線の東甘木駅があるが、それとて3〜4kmほどの距離。だからバスかタクシーに乗り継がねばならない。もともと福岡市内から大牟田に行こうとするなら在来線の鹿児島本線や西鉄天神大牟田線で1時間少々だから、わざわざ市街地から離れた新大牟田駅を使う必要もないのだろう。新幹線を使わなければならない局面が訪れにくいがゆえに、秘境化しているのだと思われる。



大仏のような迫力の「團琢磨」って誰?


 と、推察をしてみたところで駅前広場の傍らにとてつもなく大きな像が目に入った。だいたい駅前に立っている像は等身大だったりするのが普通なのだが、まるで大仏のごとく大迫力の新大牟田駅前の立像。近づいてみると、その像の人物の名は「團琢磨」とある。どこかで聞いたことがあるような気がしつつ説明板を読むと、この團琢磨さんは三池炭鉱や大牟田の街の発展の足がかりを築いた人物であるらしい(聞いたことがあるというのは血盟団事件〔1932年の連続テロ〕で殺されたというエピソードを教科書で読んだことがあるからであろう)。明治のはじめにアメリカに留学して鉱山学を習得し、帰国後には三井三池炭鉱の事務長として辣腕を振るった男。1908年には三池港を開いて石炭の輸出という道を開いている。その三池港の開港時、團琢磨さんは次のように述べたという。




「石炭山の永久などという事はありはせぬ。築港をやれば、築港のためにそこにまた産業を起こすことができる。築港をしておけば、いくらか100年の基礎になる」


 実際に三池炭鉱そのものは1997年に閉山となるが、それ以降も三池港の存在もあって大牟田は工業都市として健在である。そしてこの三池港や三池炭鉱の施設は2015年に「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の構成施設として世界遺産に登録された。彼に対する敬愛の念は今も市民の間に残っているようで、世界遺産登録施設のいくつかを訪れて地元ガイドさんの説明をきくと、必ず團琢磨の名前が登場する。「團琢磨さんのおかげで〜」と、こうなるのだ。そんな地域の誇り・團琢磨が堂々と立つ新大牟田駅前。そういう文脈で改めて1日の乗車人員600人前後というその駅舎を眺めると、なんだか駅舎もいっそう立派に見えてくるのである。そしてよくよく見てみると、駅前ロータリーの中央に立つ時計台は炭鉱の立坑をモチーフにしたデザインになっている。




 新大牟田駅の開業は2011年3月12日。三池炭鉱や三池港が世界遺産に登録されたのは2015年だから、團琢磨像や駅前時計台は世界遺産登録など関係なく立てられたということになる。秘境ともいうほどに利用者の少ない新大牟田駅であるが、大牟田の世界遺産を観光する機会があれば、あえて地域の誇りが感じられるこの町外れのターミナルをゴールに設定してみるというのも、おもしろいかもしれない。



写真=鼠入昌史



(鼠入 昌史)

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