旅はHAWAIIに始まり、HAWAIIに終わる

11月16日(月)6時0分 JBpress

これは地方の小さな「弁当屋」を大手コンビニチェーンに弁当を供給する一大産業に育てた男の物語である。登場人物は仮名だが、ストーリーは事実に基づいている(毎週月曜日連載中)

前回の記事はこちら(https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/62817)

平成7〜10年:48〜51歳

 恭平は23歳10カ月になる年の3月に、学生結婚した。

 そして、その年の11月、父親がダイナーウイングの前身、ひろしま食品を創業。つまり、会社が創立25周年を迎える年の春、恭平夫婦は銀婚式を迎えた。

「幸せにできるかどうか判らないけど、絶対に退屈はさせない!」

 馬鹿正直とも無責任とも言えるプロポーズの言葉を信じて、恭平と人生を共にすることを決意した妻の淳子に、恭平は心から感謝している。

「今日の恭平が在るのは、ひとえに奥さんである淳子さんのお陰だ」

 耳にタコができるほど聞かされた、親しい友人たちからの常套句を、恭平は否定しない。言われるまでもなく、その通りだと認識したうえで、内心はこう考えている。

「今日の俺が在るのは、確かに妻のお陰だ。だが、その妻が今日在るのは、間違いなく俺のお陰だ。即ち、妻を称賛することは、俺を讃えていることに他ならない!」

 その屈折した感謝の想いを伝えたくて、海外旅行を思い立った恭平だったが、第三工場の建設を控えた今は限られた時間しかなく、淳子に提案したのはハワイ旅行だった。

「ハワイなんかに、何しに行くの…」

 2年前に家族で行ったイタリアとフランスをすっかり気に入って、再訪を望んでいた淳子の反応は素っ気ないモノだった。

 その窮状に救いの手を差し伸べたのは、鞆の浦で珍味屋を営む賀茂盛也だった。

 賀茂盛也と知り合ったのは2年前の錦帯橋工場竣工の直後。竣工式の挨拶状を持ち帰った招待客の一人が、何かの折に挨拶状を賀茂盛也に見せたらしい。

 その挨拶状の趣向と文面、特に最後の「グッド・ラック」が気に入った賀茂盛也は、恭平に会いたいと望み、招待客から打診された恭平は、奇特な御仁に会うことを快諾した。

 部下2人を伴って来訪した賀茂盛也を一目見て、恭平は快諾したことを軽く後悔した。

 3人はおよそビジネスマンとは程遠いスタイル、揃って角刈りに印半纏姿で現れた。

 のっけから気圧されたままの会話は賀茂盛也のペースで進み、彼が喋り疲れた一瞬の隙を捕え、恭平は唐突に年齢を訊ねた。

「失礼ですが、賀茂さんはお幾つですか?」

「歳なんか、どうでも好いじゃない!間も無く44歳よ」

「じゃあ、今は43歳!それなら私より3歳も年下じゃないか!」

 恭平は一気に敬語をぞんざいな物言いに改め、遠慮がちな態度を野放図に改めた。

 爾来、賀茂盛也は「しゃ」に強いアクセントを置いて、恭平を「社長!」と小馬鹿にしたように呼び、気の向いた時に電話を寄越し、不意を突いて訪ねてくる。

 それでも訪問の際には、律儀に自社製品を手にして来るから、恭平も無碍には断れない。

 そんな賀茂盛也にハワイ旅行の話をすると、自ら恭平の妻の説得役を買って出た。

「奥さん、昔から、旅はハワイに始まり、ハワイに終わると言われているのをご存知ですか。ハワイの何が素晴らしいか、クドクド野暮は申しません。まあ、騙されたと思って、一回行ってご覧なさい」

「社長はともかく、奥さんなら、きっとハワイの真髄を理解されるはず。そして、二度三度と行きたくなること必定です。大丈夫、私が保証いたします」

 何が大丈夫なのか、どう保障するのか、香具師顔負けの口上に乗せられた訳ではないが、恭平夫妻は銀婚式を記念して、初めてのハワイ旅行に出発した

 JALに乗って夕方に広島空港を発ち、ひと眠り。現地では早朝ながら日本時間の深夜、ホノルル空港到着後にハワイアン・エアラインに乗り換え、ハワイ島ヒロに到着。

 半醒半睡のまま空港でレイを掛けられ、ハグされて、バスに乗車。初めて来たのに何故か懐かしいヒロの街で昼食。黒砂海岸やキラウエア火山、コーヒー農園に立ち寄りつつ、2晩の宿であるヒルトンワイコロアビレッジへ。

 翌日はオプションも入れず何処へも出掛けず、広いホテルを歩き回っても疲れを覚えず、のんびりと一日を過ごした。

 さらに翌朝、再びバスに乗ってコナ空港からホノルルへ。ヒロとコナとホノルル、同じハワイなのに空気がそれぞれ微妙に違うことに驚いた。

 定番のアラモアナ・ショッピング・センターでは、子供たちと社員への土産を買うだけで歩き疲れ、ワイキキに面したホテルから望む夕陽に癒された。

 そんな4泊6日の道中、恭平はハワイの景色と妻の表情を半々に眺め、景色を愉しむと同時に妻の顔つきに安堵していた。

 帰宅して1週間を経た或る日の夕食時、清々しい表情の妻から驚愕の告白を受けた。

「恭平さん、ハワイ島に終の棲家を見つけて、老後はハワイ島で暮らしましょう」

「えっ…?」

「以前から私は、恭平さんがリタイアした後、どのように生きていくのか、全く見当がつかなかった。でも、ハワイで4日間を過ごして、答えを見つけた気がするの」

「もちろん、ハワイは素晴らしかったけど、何よりも、ハワイ滞在中の恭平さんの顔色は最高だった。ヨーロッパに行っても、東南アジアに行っても、体調を崩しがちな恭平さんにとって、ハワイこそが最適の保養地だって確信したの」

 銀婚式を迎える今日まで、およそ食べ物以外での物欲を見せたことの無い淳子だった。

 1カ月前には、「ハワイなんかに、何しに行くの…」そう言っていた淳子だった。

 そんな淳子からの唐突で無謀な無心に、恭平は戸惑い、返す言葉を失った。

 しかし、2人が相互の顔色を窺っていたことを知るに及んで、奇妙な感慨に耽りながらも、恭平は同じ夢を追いかけたいと考え始めていた。

 その日を境に、淳子の枕元には「ハワイ本」が置かれるようになり、数か月後には書棚に「ハワイ本」コーナーができた。

 1年後、2人でハワイ島を再訪した際に、淳子は1冊の本を持参していた。著者は世界中を旅した末に、ハワイ島コナに居を求め、1年の3分の1をコナで暮らしているとか。

 好奇心からレンタカーを走らせ、著者宅を訪ねてみたが、日本に帰国中だった。

 留守宅の植栽を手入れしていたガーデナーと遇って話すうちに、著書に紹介されていた良心的な不動産業者、モーリス木村は彼の恩師だと教えられ、会うことを勧められた。

 モーリス木村は山口県周防大島町出身の日系3世で、中学校の校長先生をリタイアした後、友達と一緒に不動産会社を経営しており、人々からの尊敬を集める地元の名士だった。

「お〜、ホンカワさん。私がモーリスです」

 指定時間にコンドミニアムのフロントに現れたモーリスは、初対面とは思えぬフレンドリーな笑顔と悠揚たる大声に黄色いポロシャツ姿で、とても20歳年長には見えなかった。

「さて、今日は何処にご案内しましょうかの」

 黒いリンカーン・コンチネンタルの助手席に同乗して直ぐ、山口弁でモーリスに訊かれ、

「家を買うお金は無いけど、将来のためにコナの住宅事情を教えてもらえますか」

「お〜、大丈夫。高いノモ、安いノモ、たくさん見せてあげますよ」

 恭平のリクエストに応え、モーリスはほぼ1日をかけて20件余りを案内してくれた。

 日常生活と懸け離れたホテルのような豪邸では、淳子は掃除の心配などして落ち着かなかったが、行く先々の住宅は、思わず午睡をしたくなるような心地好さだった。

 翌日恭平は、モーリスからゴルフに誘われた。

「ゴルフは年に2回、春と秋の会社のコンペだけしかしないから…」

 躊躇する恭平だったが、折角のチャンスだからと淳子に背中を押され応諾した。

 初めてのハワイでのゴルフは、スコアは年齢差ほど開いたが、実に爽快だった。

 プレー中のモーリスは、会心のプレーには大声で笑って歓び、思うようにいかないと 本気で悔しがった。素直に己の感情を露わにするモーリスは、まるで少年のようだった。

 不本意なスコアを嘆く恭平に、得意然とモーリスが言い放った。

「大丈夫よ。あと30年したら、私に勝てるよ。30年したら、私も100歳だから」

 カートに便乗して景色と珍プレーを愉しんだ淳子は、余程気に入ったのか、「日本に帰ったら、私もレッスン始めようかな…」などと言い出す始末だった。

 その日の夕食は、モーリスの姉であるアルフリーダ邸でのファミリー・パーティーに招待された。

 驚いたことにアルフリーダ邸は、恭平たちが滞在しているコンドミニアムの直ぐ隣で、アルフリーダは恭平の母方の祖母に瓜二つだった。

 一気に親しみを覚えた恭平は、人見知りを忘れて寛いだ気分になった。性格まで祖母に似て世話好きなアルフリーダは、恭平たちと同じテーブルに座り、何かと声を掛けてくれた。

 兄弟姉妹それぞれの家から持ち寄った料理は、どれもが美味しく、中でもアルフリーダの煮付けは昆布とイリコの出汁が利いて、懐かしい祖母の味だった。

 食事が一段落した頃、モーリスの弟のウォルターがウクレレを片手にハワイアン・ソングを口ずさみ始めた。

 追い掛けるように歌い出したモーリスの声に、恭平と淳子は顔を見合わせた。低く、甘く、包み込むような低音に聴き惚れる2人に、アルフリーダが囁いた。

「モーリスはの、学校の先生を辞めて歌手になりたい言うて、お母さんに怒られたんよ」

 すっかり木村ファミリーの人柄に魅了された恭平たちは、ハワイ島の土地柄に傾倒を深めていった。

「定年退職後に海外移住した夫婦のほとんどは、まず2〜3年で日本に帰ってしまう。何故なら、齢を取ってからでは現地の人と接するのが億劫になり、狭い日本人社会に閉じこもって窮屈なのよ。本当に海外生活を楽しみたいなら、まず現地の人と仲良くすることね」

 ハワイから帰国直後の同窓会で、ご主人のオーストラリア転勤に伴い数年間の赴任経験を持つ、高校の同級生からのアドバイスが、妙に恭平の耳に残った。

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筆者:惣才 翼

JBpress

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