【ルポ・毒親介護】両親ともにアルツハイマー型認知症に——。仕事とお金、自分の人生を失う娘の悲哀。

11月24日(日)11時0分 文春オンライン

【ルポ・毒親介護】母親から父親への虐待がはじまった。壊れていく両親を看る息子の葛藤 から続く



「恨みがあっても逃げれらない!」高齢の「毒親」に介護が必要になったとき、かつて虐待を受けた子どもはどうすればいいのか? 毒親との関係に悩む人たちの生々しい声を紹介し、その実態や心の内に迫った『 毒親介護 』が発売されました。老老介護の破綻により職を失い同居することになった女性の“ケース5”をお届けします。( #1「要介護状態になった「毒親」を捨てたい──50歳の息子の葛藤」   #2「気力、体力、財力が充実した『ハイブリッド老婆』に苦しめられる長女」   #3「うつ、パニック障害を抱え、老親の年金で暮らす独身姉妹の絶望」 #4「母親から父親への虐待がはじまった。壊れていく両親を看る息子の葛藤」 より続く)



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年収600万円を稼ぐ売れっ子美容師だった


 東京湾に面した千葉県南部、駅舎からつづく商店街にはシャッターを下ろした店舗が目立つ。以前は買い物客で賑わったという通りも今は人影まばら、色あせた看板やネオンサインがいっそう寂れた雰囲気を醸し出す。


「このシャッター商店街を見るとね、自分の今の生活と重なっちゃうんですよ。あー、もう社会に必要とされてないんだな、誰も見向きもしないだろうなって。あと何年、介護がつづくかわからないけれど、終わったころには精根尽き果てて、お金も残ってないかもしれないですよねぇ」


 村本朋子さん(56歳)は薄く笑うと、荒れた手指をさすりながらため息をつく。かつてはその手指を使って、年収600万円を稼ぐ売れっ子美容師だった。それが今では化粧もヘアケアもせず、着古したTシャツ姿で介護に追われる日々。両親はともにアルツハイマー型認知症で、85歳の父が要介護1、80歳の母は要介護2だ。


74歳だった母が両手首を骨折し入院


 東京の美容サロンで雇われ店長をしていた朋子さんの生活が一変したのは6年前、50歳のときだった。当時74歳だった母が階段で転倒、両手首を骨折し入院したことにはじまる。



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 もともと朋子さんの両親は理容師で、商店街の自宅兼店舗で理容店を営んでいた。母の入院時は開店休業状態だったため当人の仕事に影響はなかったが、朋子さんのほうは働き盛りで責任のある立場だった。


「知らせを受けて、ひとまず数日のつもりでお休みをもらい、実家に戻ったんです。でも入院中の母は『家に帰る』とか、『ここにいたら変なことされる』とか、やけに興奮してわぁわぁわめいている。あとから考えれば、そのときすでに認知症がはじまっていたんでしょう。ただ私はずっと離れて暮らしてたし、過去の暴力的な態度のこともあったから、単にイライラを発散しているとしか思えませんでした」


 朋子さんが言う「過去の暴力的な態度」とは、子ども時代にさかのぼる。


竹の物差し、木製のハンガー、鉄のフライパンで叩かれていた


 父は寡黙でマイペース、一方の母は気が強くて男勝りだった。商売としてはバランスの取れた夫婦だったが、家庭の中では「無関心な父とキレやすい母」に変わった。とりわけ母はしつけと称し、幼い朋子さんにしばしば暴力をふるった。


「ご飯を食べるのが遅い、不貞腐れた顔をした、生意気なことを言った、理由はなんでもアリなんです。うちの母の場合、素手ではなくモノを使うんですよ。よくしなる竹の物差しとか、木製のごっついハンガーとか、ときには鉄のフライパン。そういうモノで太ももやふくらはぎ、背中やお尻を何十回も叩かれました」



「役立たず、近寄るな、おまえなんか死ねばいい」


 暴力だけでなく暴言もひどかった。役立たず、近寄るな、おまえなんか死ねばいい、そんな言葉を浴びせながら鬼のような形相でキレまくる。一方の父はいつも見て見ぬふり、激しく叩かれ悶絶する朋子さんの横で、平然とプロ野球中継を見るような人だった。


 そんな両親が変わったのは朋子さんが14歳のときだ。朋子さんには2歳年下の弟がいたが、中学校入学の直前に肺炎で亡くなった。跡取り息子の突然の死に落胆した両親は、ある宗教に救いを求める。そこで「自分たちの行いが災いを招いた」と告げられて以降、ずいぶん優しくなったという。


 とはいえ朋子さんのほうは、そう簡単に割り切れるものでもない。表面上はふつうの親子のようにふるまったが、心の奥では母に対する憎しみ、父への不信感を拭えなかった。


孫にはふつうのおばあちゃんだった


 美容学校への進学を機に家を出てからは、「忙しさ」を理由にほとんど連絡もしなかった。だが24歳で結婚し、翌年娘を出産してからは、実家と関わる機会も徐々に増えていく。


「美容師を天職と思っていたので、出産後もフルタイムで働いていたんです。ただ長時間勤務で休みも少ないし、保育園だけでは回らないことも多い。仕方なく娘を実家に預かってもらうことがありました。私には鬼のようだった母も、孫である娘にはふつうのおばあちゃんだったので、昔のことは胸にしまって現実を優先させたんです」



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 朋子さんは同業の夫と32歳で離婚、当時7歳だった娘と母子家庭になってからは、いっそう実家とのつながりが増えた。唯一の孫をかわいがる両親からは何度か同居話も出たが、決して首を縦には振らなかった。美容師としてのキャリアアップを目指していたし、なにより母への嫌悪を消せなかったからだ。


 両手首を骨折した母は、簡単な手術を経て2週間ほどで退院した。当初の予定どおり、数日の休みで仕事に復帰していた朋子さんだが、ほどなく娘からの緊急電話を受ける。朋子さんに代わって母の様子を見に行った娘が、「とんでもないことになっている」と言うのだ。


下半身丸出しでぶつぶつと独り言を言う母


 両手が使えない母は、食事に着替え、入浴や洗顔など生活のほとんどに誰かの助けが必要だった。箸や茶碗を持てないからご飯が食べられない、脱ぎ着をしたくても下着も服もつかめない、トイレに入ってもトイレットペーパーでお尻を拭けない、一事が万事そんな調子だ。「俺が面倒見る」、そう言った父を信じて当面任せるつもりだったが、老老介護はあっという間に破綻していた。


 娘からの一報で駆けつけた朋子さんは、実家に足を踏み入れて愕然とした。下着もつけず下半身丸出しの母が、布団の上で何事かぶつぶつと独り言を言っている。布団のまわりには食べ散らかしたカップラーメンや弁当の容器が散乱し、父は血走った目で母を罵っていた。


「自分じゃパンツも下げられねぇんだから、はかせておけねぇよ」、「食えば(排泄物を)出すから食わしたくねぇ。こんなもん、ほっときゃそのうち死ぬよな」、荒い声を上げる父の精神状態は見るからに危なっかしい。



 朋子さんは1ヵ月の休職を申請し、自宅から身の回りのものを取ってきてひとまず同居することにした。人手が足りない職場であり、店長としての責任や自分の指名客を考えれば1日の休みも惜しかった。それでも休職に踏み切ったのは、「おばあちゃん子」だった娘の言葉があったからだ。


 当時、娘は結婚したばかりだったが、「お母さんが面倒見ないなら私が見る」と言う。娘の新生活や将来を思えば、むろんそんな負担はかけられない。加えて「お願いだからおばあちゃんに優しくしてあげて」とまで懇願され、引くに引けない状況になった。


認知症ではないかと疑うも、近所の人にはにこやかに応対する母


「最初は母が回復すればどうにかなると思ってました。でも手首のケガよりも言動のほうがどう見てもおかしい。『テレビがつかない』と言うから様子を見ると、リモコンではなく懐中電灯を押して電源を入れようとしてる。『風呂に入れない』と騒がれて見に行くと、溜めたはずのお湯を全部抜いていて、しかも浴槽の中に空き缶が何個も入っている。えっ? 何これ? と引いちゃうようなことが次々に起きたんです」


 素人目に見ても、母は認知症ではないかと疑われた。ところが近所の人や理容店の馴染み客に会うと、会話も態度も今までと変わらない。新婚の娘が夫とともに訪ねてくると上機嫌でにこやかに応対する。「おばあちゃん、早く元気になってね」と言う娘に、「あんたも体に気をつけて。赤ちゃんが生まれたら私のひ孫だから、すぐにお祝いするからね」などと気遣いを見せるのだ。


 手首を手術した病院にはリハビリのために通院していた。付き添う朋子さんは理学療法士に母の様子を相談してみたが、「ケガや入院のストレスで、一時的に混乱したんでしょう」と言われる。



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 そう言われればそんなものかと思い、なにより自分自身がそう思いたかった。なんとしても仕事に復帰したい朋子さんには、現実逃避のバイアスが働く。母の混乱には目をつぶり、ケガの回復にめどがついたところで実家を引き上げることにした。


サロン経営者からの退職勧告——今度は父が緊急入院


 休職してから1ヵ月、当初の予定通り職場に戻った朋子さんだが、待っていたのはサロン経営者からの退職勧告だった。「中途半端に休むより、1度退職して身辺整理をしたほうがいい。落ち着いたらまた戻ってくださいよ」と言われてしまう。自分のいない間、店を切り盛りしてくれたスタッフは味方になってくれたが、負担が増えている様子は見て取れた。


 これからもみんなに迷惑をかけるかもしれない、退職しろと言われてまでしがみつくのもどうだろうか、そんな気持ちが募り、朋子さんは復帰から2ヵ月後に職場を去った。


 そのタイミングに合わせたかのように、今度は父が腸の病気で緊急入院する。再び実家に駆けつける羽目になった朋子さんは、あらためて母の言動に異変を覚えた。


「そのころ母は元気になっていたので、家事や身の回りのこと、入院中の父を見舞うとか、一見すると一通りのことはできている感じでした。だけど言うこと、やることが所々おかしいんです。たとえばご飯の支度をはじめると、途中で急にやめちゃう。『疲れた』と言うから私が代わると、『あんた、何やってんの!』と急に怒り出したり。スーパーに買い物に行くと、あれも食べたい、これも食べたいってどんどんモノを買って、食パンを一袋、バナナを一房、いきなり全部食べちゃうとかね」



父が退院し自宅での療養がはじまるも、失禁、大声…


 父の主治医に母の様子を話してみると、かかりつけの病院で診察を受けるよう勧められた。朋子さんもそのつもりでいたが、当の母は「お父さんが退院してから」、「私はどこも悪いところはない」などと言うばかりで一向に動こうとしない。


 そうこうしているうちに父が退院し、自宅での療養がはじまる。経過は思わしくなく、下痢と便秘を繰り返してげっそり痩せ、次第に精神状態も不穏になった。おまけに下痢のときにはトイレが間に合わず、ときどき失禁してしまう。その失敗がさらにストレスを招くのか、急に大声を張り上げたり、モノを投げつけたりする。


 やむなく朋子さんは住んでいた都内の賃貸マンションを引き払い、本格的な同居生活をはじめた。


「長期戦になるかもしれないと思いながら、そのときはまだ前向きな気持ちでした。美容師としての技術と経験には自信があったし、フルタイムは無理でもパートなら働けると。親への感情は決していいものではなかったけれど、だからこそ早めに介護体制を作って、できるだけ他人に任せようと思ったんです」



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 寂れた街での再スタートに不安はあったが、自分ひとりが食べていく程度はできるだろうと考えた。そもそもなにかしらの手段で収入を得なければ、今後の生活が立ち行かない。


 実家に戻れば近所の人や古くからの友人など顔見知りも多く、地元の介護情報も手に入りやすい。実際、友人から地域包括支援センターに相談するよう教えられた。


調査員との面会も病院での診察も頑なに拒む母


 朋子さんは早速出向いて両親の今後について相談した。その結果、介護保険の申請をするよう勧められ、必要な手続きについて説明を受ける。説明を要約したパンフレットも渡されたが、目を通しながらその内容の一部が気になった。〈介護認定調査員が本人の心身状態や生活状況を訪問調査〉、〈主治医の意見書〉などの文言に嫌な予感がする。予感は的中し、母は調査員との面会も病院での診察も頑なに拒んだ。


 それからしばらく経った夜、朋子さんは母と殴り合いのケンカになり、ケガを負わせてしまう。母はケガの治療のため病院を受診し、思わぬ形で「主治医の意見書」を手にすることができた。何度かの軋轢がありながら調査員との面談もクリアした結果、母は要介護2、同時に申請手続きを進めた父のほうは要介護1と認定された。


 とはいえ、介護認定が出てからも次々とトラブルが生じた。母はデイサービスの利用を拒み、「ゴキブリがいる」などという理由で電化製品を壊す。一方の父は使用済みのオムツパットをトイレに流し、配水管を詰まらせた。


 トラブルのたびに出費がかさむが、両親の介護に追われる朋子さんは仕事を再開できない。右肩下がりで減っていくお金、社会から取り残されるような孤独感、自身の老後への不安、さまざまな葛藤を抱えながら介護生活はすでに5年が過ぎている。




(石川 結貴)

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