中曽根康弘101歳大往生 安倍晋三と似て非なる首相像を知るための“3つのポイント”

12月3日(火)6時0分 文春オンライン

「中曽根康弘元首相、101歳大往生」を新聞はどう伝えたか。翌日(11月30日)の各紙を読んでみた。



中曽根康弘元首相 ©︎文藝春秋


各国首脳との記念写真でセンターをゲット


 まずこちら。「サミット写真 中央に立てた秘策」(産経)


 この見出しの意味、若い方はよくわからないだろう。説明しよう。


 1983年(昭和58年)にアメリカでおこなわれたサミット(先進国首脳会議)で、中曽根首相は各国首脳が並ぶ記念写真でレーガン米大統領と「中央に収まった」のだ。



 ただそれだけのエピソードなのです。


 しかし、これが「驚きをもって国民に歓迎された」のである。


 日本の首相はそれまで端っこに写るのが常だったから、記念写真でセンターに立てただけで大騒ぎ。日本もここまで来たかとオヤジジャーナルが興奮していたのを少年だった私は覚えている。


 後年、中曽根氏が語った秘策が書かれていた。


「私はサミット前から首脳の記念撮影で中央に写ることを狙っていたんです。そうすることで日本の国際的地位が上がったことをアピールできるからね。そのためにはどうすればいいかをずっと考えていた。思いついたのがレーガンと話し続けながら撮影会場に入ればいいということだった。(略)『そのネクタイはいいね』と話しかけたんだ」(産経ニュース11月29日)


 まんまとこの作戦でセンターをゲット。この逸話からも中曽根氏のしたたかさがわかるだろう。「風見鶏」という異名の意味も。



訃報を伝える紙面によく出ていたキーワード


 訃報を伝える紙面でよく出ていた言葉が「戦後政治の総決算」。


 なかでも内政では、


《「聖域なき行財政改革」に取り組み、国鉄、電信電話、専売の3公社の民営化を断行した。》(読売・社説)


《経済や国民の暮らしを伸ばす意義があった。》(産経・主張)



 毎日新聞は一方の声も詳しく伝えていた。


《民営化に反対した国鉄労働組合(国労)などの組合員がJRに採用されずに解雇され、「リストラの原点」と捉える声もある。》(「行革推進、『弱者』生む」


《国鉄、電電公社の分割民営化で、社会党支持の総評を形成する有力労組は弱体化した。55年体制崩壊への糸口を作ったのは行革だった。》(評伝)


 当時の仇敵だった社会党の力を弱める意図もあったというのだ。えげつなく、したたか。


 東京新聞は「原発推進の道 主導」という見出しを一面に大きく入れていた。これも忘れてはならない中曽根氏の「仕事」である。東京新聞のこだわりが感じられた紙面だ。


各紙、安倍政権との比較が多かった


 各紙読んで気づいたのは安倍政権との比較が多かったこと。



《自ら前面に立つ「大統領型」を意識したスタイル》


《ブレーンを集めた審議会を多用したトップダウンは、その後の経済財政諮問会議などを通じた首相官邸発の政策決定としてすっかり定着した。》


小泉純一郎元首相や安倍晋三首相の政治手法の源流となったと言える。 》


 これらは朝日の一面で書かれていた。


 毎日にも《「官邸官僚」を重用して権限集中を高める「1強」体制の源流は、中曽根政権にあると言える。》とあった。



亡くなる1週間前に「中曽根と安倍政権」について指摘


 実は、中曽根氏が亡くなる1週間ほど前に「中曽根と安倍政権」についてすでに指摘していた人がいる。訃報を聞いたとき、私はすぐにこの記事を思い出した。


「(問う 最長政権:1)安倍政権は『ビルになったそば屋』」(朝日11月22日)


 このなかで近現代史研究者の辻田真佐憲氏は安倍政権を過去と比べ、


《あえて似ているというなら、中曽根政権。安倍首相は「戦後レジームからの脱却」、中曽根氏は「戦後政治の総決算」を掲げた。と言いながら両氏とも対外政策は米国一辺倒だった。政権を維持するためのリアリズムを重視するあまり保守はほとんどファッションと化している面もある。》


 さらに現政権の《憲法改正もどこまで本気なのか。首相の周りで支える保守系の文化人も、ビジネス保守というか、真剣に歴史を語っているのかどうか、疑問に思う事例がいっぱいある。》という指摘が印象的だった。



意見が異なる人間も大事にした“すごみ”


 中曽根元首相の「政権運営のすごみは人事の妙」と書いたのは政治ジャーナリスト角谷浩一氏(日刊スポーツ)。


 87年夏、中曽根氏や外務省はイラン・イラク戦争で機雷がまかれたペルシャ湾の安全航行確保のため「自衛艦の派遣」を強く主張したが後藤田官房長官が拒否したので断念というエピソードを紹介し、


《官房長官が政権の柱であることがよくわかる。また、第二次内閣からは宏池会の護憲派、栗原祐幸氏、加藤紘一氏と防衛庁長官をハト派に任せた。改憲論者ながら要には考えの違う人材を置く人事も政権の足をしっかりと固定していたといえる。》


 意見が異なる人間も大事にしたのが“すごみ”だとし、《どうしても現政権との比較になるが、その差は大きい。》と結んだ。



 そんななか私が注目したのはこちら。中曽根氏を偲びつつ「今」を語っていたのが石破茂氏である。


「ものすごく政治に緊張感があった。長期政権であるが故に緊張感が失われる、というのは違う」(毎日)


 ああ、こんなにハッキリとした“匂わせ”も珍しい。石破氏、また粗末に扱われそう。


 あ、もしかしたら石破氏の扱いに着目するだけで中曽根政治と安倍政治の違いが今もわかるのかも。


 以上、過去からの読み比べでした。



(プチ鹿島)

文春オンライン

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