なぜ勝谷誠彦は取り憑かれたように酒を求めたのか

12月3日(月)6時0分 JBpress

2016年、軽井沢の自宅にて

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 急逝したコラムニストの勝谷誠彦氏。彼の「伴走者」とも言える世論社の代表取締役・高橋茂氏が、前回、本サイトに寄せてくれた、最期まで酒を手放そうとしなかった勝谷氏の生き様を描いた手記は大きな反響を呼んだ(「勝谷誠彦追悼 酒と戦わずして命奪われたコラムニスト」http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/54813)。その高橋氏が、なぜ勝谷氏がそこまで酒に溺れてしまったのか、改めて綴ってくれた。(JBpress)


知事選落選は原因のひとつ

「やっぱり昨年の兵庫県知事選挙で落選したことが影響しているのでしょうか」

 勝谷の入院後、何度もこの質問をされた。これが直接の原因ではないが、ひとつの大きなきっかけになったことは間違いない。

 勝谷は2015年に鬱病を発症している。私が知るところでは初めての鬱だったが、本人が言うには、以前も一度発症していたらしい。

「俺さあ、離婚したときもたぶん鬱だったと思うんだよ。なんだか全部嫌になっちゃってさ」と言っていた。また、彼曰く「俺は、生まれてずっと躁状態だったんだって。それが50代でドーンと鬱になったというわけ」とのことだった。

 本当かどうかわからないが、変に納得したことを覚えている。鬱の間は薬と一緒に酒を飲んでいたはずだ。


生真面目で一度始めたことは決してやめない性格

 勝谷の自慢話で、「俺は一度も締め切りを破って原稿を落としたことがないんだよ。取材後に編集者と一緒に呑んでいて、少し早くホテルに戻って、編集者が帰ったときには、俺からの原稿がメールで届いていることもあるんだよ」というのがある。勝谷の周りでは有名な話だ。

 今年の8月に途切れるまで、1999年7月から1年365日毎朝8時までに更新されていた日記『勝谷誠彦のxxな日々。』は、ギネスにも申請しようとしたほど、前例の無いものだった。2007年にメルマガ化されるまでは、毎朝10時までに1000字、ウェブで掲載をし、メルマガ化してからは、日記に付属させる時事ネタへのコメントがどんどん長くなり、5000字が毎朝勝谷から購読契約者に送られてきた。

 中学高校を無欠席で通したというのもよく聞く自慢話だった。「俺は中学から呑んでいたんだよ」ともよく言っていたが、それで休まないのだから大したものだ。いや、決して褒められたものではないが。

 この手の自慢話にはキリがない。「花粉症治療で『減感療法』ってのをやっているんだけど、あれって必ず週に一回とか月に一回決められた日に病院に行って注射しないといけないんだよ。一度でも抜かすと振り出しに戻っちゃうんだから、なかなかできないことだよ。俺はそれをやってのけて、今は全く花粉症が出てこなくなったよ」とか「ボクシングは休んだことがないんだよ」とか。

 こうやって見ていると、勝谷の真面目でストイックな部分が浮き上がってくる。禁欲的ではなかったので、ストイックとは言えないかもしれないが。「求道的」ではあった。一度決めたことは、滅多なことではやめない。打ち合わせには必ず時間どおりに来る。以前、新人ライターを集めて新宿のゴールデン街にある『文壇バー』で行われたネットライブ番組の『血気酒会』では、「日記を毎日書くのは大事だよ。毎日書けば、必ず文章は上達する」と言っていた。

 このような性格が、鬱を呼び、選挙での敗戦をきっかけに酒量が増えたと言えないだろうか。本人が言っていた中学の頃からの飲酒が冗談だとしても、40年ほど休肝日のない生活をしてきて、その酒量が増えたときに、体調が悪化したからといって断酒できるものだろうか。

 勝谷の入院をきっかけに、読者の精神科医やアルコール依存症の身内を持つ方から多くの情報が寄せられた。共通して言えるのは、

・「自分は依存症ではない」と嘘をつく

・自覚をしてもなんとしても酒を飲もうとする

・酒を飲むためなら何でもやる

・10年以上禁酒ができても、1滴飲んだだけで再発する

 であった。勝谷はアルコール依存症だった。


小説家になりたかった

 これをお読みの方の中には、「なぜ、勝谷は体を壊すほど酒を求めたのか。仕事がなかったからではないか」と思った方もいるだろう。確かに、最近の勝谷はキー局のテレビやラジオへの出演は減っていた。本業である「もの書き」としての仕事依頼はあったのだが、受けなかった。特に小説。「俺は北杜夫になりたい」と漏らしていた時期もあったのに、小説に取り組むことを諦めてしまった。

 純文学作家を目指していた彼は、あまりそれを口に出すことはなかった。しかし、『ディアスポラ』『彼岸まで。』『平壌で朝食を。』といった作品に加えて、未完の大作『天国のいちばん底』がある。本当は小説家になりたかった勝谷誠彦は、『天国のいちばん底』を未完のまま休筆し、本格的に小説執筆にとりかかろうとするも、山ほどプロットメモを書きながら、書くことはなかった。

 もしかしたら、書き出していたかもしれない。しかし、自分には素質がないと思いこんでしまった可能性はある。それは「このまま賞が取れないのではないか」という恐怖によるものだ。その証拠に、2017年の兵庫県知事選の記録『64万人の魂 兵庫県知事選記』が尾崎行雄財団ブックオブザイヤー2017の選挙部門大賞を受賞したときに、人目もはばからずに泣いていたことからも伺い知れる。彼は小説家としての賞を望んでいて、それが取れないことですっかり自信をなくしていたのではないか。だから、書くための環境を整えたことで、逆に書けなくなってしまったのだ。


昼から呑む生活

 鬱になっても、選挙期間中も決して飲酒をやめなかった勝谷は、仕事が無い日は昼、いや朝からでも呑んでいたために、ほとんどの仕事を辞めてしまった知事選後からは、必然的に昼から呑む日が増えていき、それと同時に認知症のような症状も少しずつ見えてきた。特に酒が入ると、自分がいる場所や状況がわからなくなってしまう。

 それに危機感を感じた私とマネージャの田井地君は、とにかく勝谷を外に出そうと継続的な企画を考え始めた。そして、いくつか勝谷に提案してみたものの「いいねえ」と言うだけで、なかなか重い腰を上げようとしなかった。

 呑むときは何か食べるように何度も言ったが、ほとんど食べなかった。昼はカップ麺少量またはパン。夜は、近所の居酒屋でレンコンのおひたしやひじき。あとは豆腐ぐらいか。鳥のささ身でも食べれば「今日はよく食べたね」と褒めたくなるような状況だった。

 偏食は確実に身体を蝕んでいった。「俺は酒でカロリーを摂っているんだよ」と言う勝谷は、2015年に鬱になったときに脚気(かっけ)にかかった。医者が興味津々に言ったという「まさか平成の時代に脚気の患者を診るとは思いませんでした」。勝谷は「脚気にかかってカッケー」などとつまらないダジャレを言っていた。


劣等感

 勝谷は灘中学と灘高校を卒業後、医学部進学が叶わず、早稲田大学第一文学部に入学した。これは、彼の中では大きな劣等感となっていた。「灘高の卒業生として同級生たちに胸を張れるようになりたい」。それは、教育に非常に厳しかった母の影響がかなり感じられる。「大好きな母に認められたい」という気持ちは、勝谷の心の底にずっと潜みながら、あるときは励まし、あるときは大きなプレッシャーを与えていたのだろう。そして、長男(正確には生まれてすぐに亡くなった長男がいるので次男となる)であるにもかかわらず、家業の医者を継げなかった惣領としての自覚も彼を苦しめていたのだ。

 それが、兵庫県知事選挙に出馬を決めた大きな理由のひとつだった。もちろん、兵庫県への恩返しという気持ちに嘘はない。自分だったらもっと魅力ある県にできるという自信もあったことだろう。しかし、母の遺言「誠彦、政治家と宗教家にはなるな」を破ってまで政治家になろうとしたのは、母、そして劣等感を感じ続けた灘高校の同級生たちに「立派になった誠彦」を見てもらうことが大きな理由だったのは間違いない。


そして残されたものは酒だけだった

 勝谷の生真面目でストイックな性格に、いちばん書きたかった小説での自信喪失、メディア露出が減ることでの寂しさに落選の無力感が加わり、酒量は増えていった。誰もが認めるコラムニストとしての才能は、彼にとってはもう武器ではなくなっていたのかもしれない。そして少食に加えて偏食が勝谷の身体、特に肝臓と脳を蝕んでいった。

「もういつ人生を終えてもいい」。勝谷の心の中で徐々にその気持ちが膨れてきたのが、近くにいて手に取るようにわかった。それは、自分の才能を無視するような世間に対して拗ねていたのかもしれない。毎日配信している日記には、灘高自慢や暇があることの愚痴、事件が起きると「私に話を聞きに来なさい」という記述が増えてきて、あまりの酷さに解約者数は増えていった。

「気に入らなければ購読をやめればいい」と突き放しながら、一方では読者数の減少を気にしていた。しかし、どんなに酷い状況であっても、決して購読を止めない読者が一定数いることを、勝谷は正面から受け止めることをしなかった。今の読者を大切にすることなく、「もっと増やさなくちゃ」と最期までうなされるように言い続けた。

 最初の入院で生死を彷徨っても、「次に飲んだら死ぬぞ」と言われても、生きていくことの意味を失ってしまった勝谷誠彦には、酒を断つだけの理由が無かった。「酒が無くても、お前の才能は今後の人生を十分充実させられる」と思わせることができなかったことを悔やむ。

 詩も書いていたことがあり、詩人としての勝谷を求めるファンも多かった。知事選が終わってからも「今度は詩を書いてください」と書いてくる読者が何人もいた。

 勝谷は、自分のことをどのように詩にしたためるのだろうか。

筆者:高橋 茂

JBpress

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