【熊谷6人殺害】死刑判決破棄して無期懲役 ペルー人被告の想像を絶する「家庭環境」……父はDV男、兄は25人殺人犯

12月5日(木)21時50分 文春オンライン

 2015年、埼玉県熊谷市で小学生2人を含む6人を殺害したとして強盗殺人罪などに問われたペルー国籍、ナカダ・ルデナ・バイロン・ジョナタン被告(34)の控訴審判決が12月5日、東京高裁であった。


 高裁は死刑とした一審を破棄し、無期懲役を言い渡した。被告が統合失調症の影響で心神耗弱の状態だったと認定した。

ナカダ被告は被告人質問で「殺していません。もし私が6人を殺していれば、私を殺せばいい」などと発言。主文は下を向いて聞いていたという。


 最大の争点は責任能力の有無。一審さいたま地裁の裁判員裁判は、被告が統合失調症だったと認めたが、「残された正常な精神機能に基づき、金品入手という目的に沿った行動を取った」と完全責任能力を認定し、弁護側が控訴していた。一審裁判員裁判の死刑判決が高裁で破棄されたのは6件目で、判決には意見が分かれそうだ。


 事件の背景には何があったのか——。当時、事件の概要や被告の家庭環境などを報じた「週刊文春」2015年10月1日号を再編集の上、公開する。なお、記事中の年齢や日付、肩書き等は掲載時のまま。


◆ ◆ ◆


 マチュピチュなどの史跡には数多くの日本人観光客が訪れる親日国ペルー。だが、そのイメージは1人の殺人鬼により一変した。彼は無差別に児童2人を含む6人もの命を絶ち、自殺行為に及んだ。この異常な犯行の背景にあるもの、それは想像を絶する生い立ちだった。


両腕を傷つけるのは自分を強くみせるための示威行為


「お前らなんかには負けねえ!」


 包丁で自分の両腕を切り、神に十字を切って民家2階の窓から飛び降りる間際、ナカダ・ルデナ・バイロン・ジョナタン容疑者(30)の脳裏にはこんな思いが浮かんでいたのかもしれない。


 観念して自殺を図った、日本人の多くはそう思っただろう。



事件を報道するテレビ番組(日本テレビ系『NEWS ZERO』より)


 だが、スペイン語ニュースサイト「ノティシアス・ニッポン」編集長で日系ペルー人の多嘉山ペルシー氏はこう語る。


「両腕を傷つけるのは、ペルーの犯罪者や不良が自分を強くみせるために行う示威行為なんです。つまり、彼はあのとき警察官を前にして『俺はまだまだいけるぞ!』と自らを鼓舞したのですよ。自殺なんかじゃない。あの行動をペルー人が見ればすぐに分かります」


 埼玉県熊谷市の3軒の住宅で6人が犠牲になったペルー人男性による連続殺人。容疑者は事件前、電話で複数の知人に「誰かに追われていて殺される」と話していたという。


「ケイサツ、ケイサツ」「カナ、カナ」の意味


「カナ、カナ」


 熊谷市内の60代男性に、ナカダ容疑者がこう片言で語りかけてきたのは9月13日の午後1時過ぎだ。


 その男性が話す。


「近所から帰ってくると自宅敷地内に外国人男性が立っていて驚いた。言葉が通じない様子で、財布をこちらに見せ、ポンポンと叩いた後、左手を頬に当て、電話をするような仕草で『ケイサツ、ケイサツ』。『カナ、カナ』は後から考えると神奈川のことだと思います。目つきがおかしく、意思がない感じでした」


 その後ナカダは熊谷警察署で聴取を受け、神奈川県川崎市に住むペルー人の姉に電話を掛けるが、警官が通訳を呼んでくる間に喫煙に行くと見せかけ、そのまま逃走。この時、現金3000円余りが入った財布や携帯電話等を置き忘れている。



親子3人の遺体をクローゼット内から発見


 午後4時半頃には、民家の物置の中に前かがみになって潜んでいる姿が住人に発見されている。さらにその1時間後、近くの30代男性に路上で「カネ、カネ」と無心し、男性の自動車後部に回って内部を物色。


「何やってるんだ!」


 男性にこう怒鳴られるとナカダは慌てて逃げ出し、足取りが途絶えた。


 翌14日になり約1・5キロメートル離れた地点で、田崎稔さん(55)、美佐枝さん(53)夫妻が自宅で殺されているのが発見された。



 社会部記者が語る。


「田崎さん宅で見つかった遺留物からはナカダのDNAが検出され、飲食をした形跡も認められました。また16日午後には白石和代さん(84)が自宅浴槽で殺害されているのが発見された。死亡推定時刻はその前夜から未明にかけて。さらに同じ16日に加藤美和子さん(41)と美咲ちゃん(10)、春花ちゃん(7)の親子3人の遺体がクローゼット内から発見されたのですが、ナカダは母親の美和子さんを殺した後、下校まで姉妹を待って刺殺したと見られています」


 殺害現場に留まりながら潜伏を続けたナカダ。現場にはスペイン語のような“血文字”も残されていたが、解読は不能だという。


 16日午後5時ごろ、警察に追い詰められたナカダは冒頭のように加藤さん宅の2階から飛び降り、頭蓋骨を骨折。意識不明の重体となった。


以前は群馬県の食品製造工場に勤務


 ナカダは熊谷に現れる直前までは、群馬県伊勢崎市の食品製造工場に勤務していた。登録していた人材派遣会社の担当者が語る。


「容疑者から求職の電話があり、7月30日から8月3日までは所沢の工場でコンビニ惣菜の詰め込みをしていました。しかし『流れ作業の早さについていけない』と辞め、8月12日から伊勢崎市の社宅に入り、15日から現地で勤務していました」


 勤務は午前5時から午後2時までで、野菜を切って容器に詰める作業の担当だった。時給1000円で、社宅の家賃は3万円台。事件直前は夜勤のペルー人男性と2DKの部屋をシェアしていた。


「彼とは話したこともないし何も知らないんだ」(同居のペルー人男性)


 近隣の日本人女性の証言。


「よく近くのコンビニに食事を買いに行くのを見かけました。工場で働く外国人は、普通は声を掛けるとみんな片言でも挨拶するのに、彼は俯き加減で目が合うだけで顔を背け、後ずさりするような感じ。『怖いな』と思いました」


 職場には日本人の他にペルー人、パラグアイ人、ブラジル人などが勤務していた。パラグアイ人の夫と勤務する同僚の日本人女性は報道陣に対しこう語っている。


「彼に朝、『おはよう、ジョナタン』と声を掛けても『こんにちは』と返すだけで、後は1日中口をつぐんでいる。みんなで一緒に食べる食事の時もたいてい背を向けて1人で食べていた。誰とも話をしなかった」



ペルーでの苛酷な生い立ち


 熊谷署から逃走した前日の12日朝、ナカダは派遣会社の担当者に電話で突然、「背広を着た人に追われていて工場に行けないので辞めます」と告げ、以後、連絡がつかなくなった。


 ナカダは05年に来日後、関東、中部、関西、九州など各地で自動車部品工場や食品製造工場などの仕事を転々としていた。日本には兄2人、姉2人がいるが、ペルーの現地報道によれば、「バイロン(ナカダ容疑者)は孤独で、恋人はおらず、兄弟が一緒になることもなかった」という。


 10年間も日本に滞在していながら、日本語の習得もままならなかった。凶行に至った背景に言語の壁による孤独があったことは想像に難くないが、それ以上に注目すべきは、ペルーでの苛酷な生い立ちだろう。


 1985年8月29日生まれ、身長164センチ。本国で発行されたナカダの身分証に記載されている出生地は首都リマ郊外の「エル・アグスティーノ」という地区だ。


 ここは南米の貧困地域として知られる「ファベーラ」で、痩せた赤土の荒涼とした丘の上に、掘っ立て小屋のようなボロボロの家がいくつも立ち並んでいる。


 ペルーに在住経験のあるジャーナリストが語る。


「貧しい家ほど丘の高い場所に住み、電気、ガス、上下水道も通っておらず、住人が勝手に電線を引っ張って来たりする。水はたまに来る水売り業者から子供が買いバケツで運んできます。大勢が狭い家にひしめき合っているような環境で、何年か住んでいるうちに土地の所有権が認められます」


“死の使徒”と呼ばれたシリアルキラーの兄パブロ


 ナカダは11人きょうだい。そのうちの1人、兄ペドロ・パブロ・ナカダ・ルデーニャ(42)は過去に25人を殺害した“ペルー最悪のシリアルキラー”として知られている。


「兄パブロは、ペルーでは“死の使徒”とあだ名されています。05年1月から06年12月まで殺人を繰り返し、立件されたのは17人で懲役35年の刑に服しています。本人は『25人殺した』と自供している。殺した相手はゲイやホームレス、売春婦、犯罪者で、拳銃で頭を撃ち抜くやり方。本人は『自分は掃除人だ。神が俺に命じた』と語っています」(多嘉山氏)



 今回の日本での殺人を受け、ペルーでは「兄弟あわせて31人を殺した」と連日トップニュースで報じられている。


 ナカダの父・ホセはアルコール中毒で、家庭内暴力が酷かった。母や殺人鬼の兄パブロ、ナカダ本人も鉄の棒で殴られたりしていたという。きょうだい11人のうち、上の姉2人だけは父親が別だ。



兄パブロは性的虐待を受けていた


「地元報道によればパブロは、6歳のときに姉に犯され、上の兄にはオーラルセックスを強要されていた。まともな教育も受けられず、凄惨な家庭環境だったため、兄弟がまとまることはなかったようです。パブロは逮捕後の精神鑑定で、妄想性の精神病と診断されているが、母も双極性障害を患い、性格がコロコロ変わっていて周囲に信用されなかった。また姉の1人は統合失調症を患い入院歴があるうえ、別の姉は“うつ”で自殺しています」(別のジャーナリスト)



 今回、現地で取材に動いたある報道関係者も地元の警察から、「身の危険に注意するように」と警告を受けている。


『ペルーで自分の家や工房を建てたい』と語っていたナカダ容疑者


 現在はエル・アグスティーノに隣接する新興開発地域アテ地区で生活する長姉のエレナ・エスペホ・ルデーニャに電話で話を聞いた。


「バイロンは子供の頃はどこにでもいる普通の子でした。6歳のころ、一度に両親を亡くしたため、父親が違う2番目の姉が、他のきょうだいとは別に彼を引き取った。13歳のときから日本に行くまでは私が預かりました。彼はウチがやっている家具工房で椅子の背もたれを貼り付ける組み立てなどの仕事を手伝い、それをとても気に入っていた」


 ナカダの来日は、兄パブロの大量殺人事件とは無関係だという。


「彼が日本に行ったのは、兄や姉たちがその随分前から日本に行っていたからです。『日本に行って金を稼いで、ペルーで自分の家や工房を建てたい』と夢を語っていました。ですが5年経って一度帰ってきたときには、かなりやせ細っていた。パブロが殺人を犯したのを知ったショックで統合失調症のような症状が出たようですが、実際、顔を見ることもなかったし、電話も一切かけてこなかった。事件の被害者には何と言っていいのかわからない」



 ナカダの容態は危機的状況を脱したと見られている。彼の口からどんな犯行動機が語られるのか。



(「週刊文春」編集部/週刊文春 2015年10月1日号)

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