ゴーン氏に我慢の限界、爆発寸前だった製造現場

12月7日(金)6時12分 JBpress

東京モーターショーで、2人乗り電気自動車(EV)「ランドグライダー」を発表するカルロス・ゴーン社長(当時、2009年10月21日撮影、資料写真)。(c)Yoshikazu TSUNO / AFP〔AFPBB News〕

 11月19日、販売台数で世界第2位の自動車企業グループ、日産自動車の総帥カルロスゴーン氏が逮捕された。直接の逮捕容疑は報酬額の虚偽記載であるが、不正取引・会社私物化の疑惑があるとされる。

 一方で、実際にゴーン氏の行為が非合法であったかどうか、また、逮捕劇はゴーン氏に対する日産のクーデターだったのではないかという議論がある。

 1990年代末に瀕死に陥った日産の業績を、ゴーン氏がV字回復させた実績があるのも確かである。ゴーン氏を追い落とすためのクーデターだったとして、日産は恩知らずではないかとの声もある。

 しかし、現場、つまり日産の自動車作りに関わっている末端の声は違う。

 朝日新聞で報道された日産幹部の言葉「我慢の限界だった」に集約されているのが、実態だろう。

 これは、日産だけでなく、というよりも日産以上にこの20年間厳しいコスト削減に協力させられてきたサプライヤーの声でもある。

 自動車業界はもともとコスト削減の厳しい世界である。トヨタ自動車のムダ徹底排除を表す「乾いた雑巾をさらに絞る」という言葉は、自動車業界全体のコスト削減に当てはまる。

 先日、自動車部品メーカーに関係の深い人から「自動車部品に参入すると売り上げは増えるが利益率は減る」と聞いた。筆者も業界にいたのでよく分かる。

 ゴーン氏の手法の中核は徹底したコスト削減である。日産リバイバルプランの資料を見ると、当時の日産のコストの60%はサプライヤーからの調達費であった。

 そして、日産リバイバルプランでも、コスト削減の60%がサプライヤーからの調達で実現することになっていた。

 自動車業界の常としてコストに極めて厳しいのだが、ゴーン流の厳しさは別格だと聞かされたのは一度や二度ではない。

 筆者は10年以上前に某自動車メーカーで購買の仕事に携わっていた。部品メーカーにコスト削減をお願いする立場である。

 自動車をお客様に適正価格で届けるために、部品メーカーに協力を求めると言えば聞こえはいいが、価格引き下げを要求される側にすれば「悪魔」に見えるかもしれない。

 ある年、東京モーターショーの一角で、某日産系のサプライヤーのブースを見ていた。ついつい職業病で部品の裏側を見ていた。すると、同業他社による偵察と誤解された。

 誤解を解くべく名刺交換をしたところ、別室に連れて行かれた。

 多くの場合、こういう時に待っているのは、厳しいコスト削減要求に対する非難や抗議であり、決して心地よいものではない。

 筆者は拷問のような時間を過ごすことになるのかと思った。しかし、筆者のいた自動車メーカーに対する話は一切出なかった。

 このサプライヤーが不満に思っていたのは、ゴーン流だったのだ。

 ゴーン流に対する非難、抗議を小一時間聞くことになった。筆者のいたメーカーも相当だったはずだが、上には上がいたと知り、本気で驚いたものである。

 よくよく考えてみれば、それまでも日産系サプライヤーが筆者のいた自動車メーカーの仕事を非常に熱心にやりたがることは多く、よく売り込みを受けていた。

 しっかりした日産系のサプライヤーに新規部品を発注したことがあるが、その会社の売上高営業利益率が2%強しかなかったことが印象的だった。

 自動車メーカーはサプライヤーに対して厳しいコスト削減要求をする。しかし、一方で取引先とは共存共栄が正しいという思想も存在した。

 厳しいコスト削減を支えている現場からは、異論も多いと思うが、日本ではある程度はこの思想が機能していたと思う。

 もちろん、個別のケースではいろいろある。コスト削減要求が厳しすぎて破綻に追い込まれた部品メーカーもあるし、長年の取引関係が馴れ合いを生んでしまったこともあるだろう。

 しかし、自動車メーカーはサプライヤーの協力によるコスト削減と品質維持によって、国際的に通用するコスト競争力と世界最高水準の部品を手に入れることができた。

 そして、それが日本車の販売増と、自動車業界全体の成長に繋がってきたことは否定できない。

 全体としては、「厳しいコスト削減管理」と「共存共栄の思想」がバランスを取り、日本の自動車業界は繁栄してきた。

 言葉を変えれば、完成車メーカーの厳しいコスト削減要求を、サプライヤーの知恵と努力で達成してきたことで日本の完成車メーカーは世界から高い評価を受けられるようになったとも言える。

 自動車メーカーのサプライヤー管理を表す言葉で「生かさず殺さず」という言葉がある。とても嫌な言葉であるが、筆者の知る限り「殺さず」の方にアクセントがあった。

 バランスを取るための最後の防波堤のようなものが存在していたことは確かだ。しかし、ゴーン氏のやり方にはそれがなかった。

 実際、日産の購買担当者が「サプライヤーが潰れても仕方がない」と言っているのを直接聞いたことがある。これを言ったらおしまいという言葉を発する人がいるのには本当に驚いた。

 もちろん、日産でもそのようなやり方をさせられるのはたまらなかった方も多いだろう。だから、「我慢の限界だった」という声が出てくる。

 日産の不正検査問題は、現場の疲弊の現れの一つに見えるが、これに限らず、現場の疲弊を訴える末端の声は多い。

 例えば、部品メーカーや金型メーカーであまりに割に合わないので後継者がいないといったことである。

 仮に現在繁栄しているように見えても、現場やサプライヤーを疲弊させれば、自動車作りは崩壊していく。日本車の品質が世界で評価されているのは、日本に世界最高のサプライヤーが揃っているからだということを忘れてはならない。

 現場やサプライヤー網がしっかり維持できてこそ、自動車メーカーの経営者としては適格であると言える。

 違法行為や日産の私物化以前に、この時点ですでにゴーン氏の適格性については疑いがかかる。

 そんなゴーン流の結果、ゴーン氏は高額報酬を受け取っていた。サプライヤーにとって、はるか昔から我慢の限界だっただろう。買う側・売る側の力関係で、それでも我慢し続けることを強要されていたのに過ぎない。

 欧米では、ゴーン氏の高額報酬は目立つほどではない。日本でもITで成功した経営者は高額な報酬を受け取るだろう。しかし、自動車業界はそうした業界とは成り立ちが違う。

 自動車は3万点以上といわれる部品の品質がすべて揃って成り立つ。自動車メーカーから出荷される自動車の価値のうち、7〜8割はサプライヤーが作っていると言われる。完成車メーカーは部品メーカーの努力の上に成り立っているのだ。

 金融業界のように、個人の才覚で何百億円という利益を手にするような業界ならいざ知らず、何十万の自動車業界に属する人々が、1円、2円の部品まで高品質に作り、10銭、20銭というコストダウンを地道に行い、それらの成果の集まりで成り立っている自動車業界のトップが同じような高報酬を要求するのはいかがなものか。

 日産のV字回復も、ゴーン氏だけの手腕でない。ゴーン氏が逮捕されても日産の工場は止っていないが、仮にどこかのサプライヤーが部品を作れなくなれば、日産の製造ラインは止る。これが、自動車業界がどう支えられているかを物語る。

 厳しいコスト削減で末端では仕事がきつく待遇が悪くなり、一方でゴーン氏が突出し過ぎた報酬をもらう。何が世界標準なのか知らないが、サプライヤーの意欲を削ぐのは間違いない。

 厳しさもあるが最後の防波堤は存在した自動車業界で、その防波堤を破りサプライヤーを追い詰めるほどのコスト削減を要求する。

 一方で、そこから得た利益から高額報酬を得る。これは、自動車業界人としてやってはいけなかったことだ。

 経営者の報酬が諸外国より低すぎるという議論のある日本。その日本の自動車産業が、世界で最も高い評価を得ていることは偶然ではないというのが筆者の意見だ。

 そんな高額報酬でもまだ足りなかったのか、ゴーン氏には私的な費用を日産に払わせていた疑惑がある。それらの違法性にはまだ議論がある。

 しかし、ゴーン氏に切られた従業員やサプライヤーは違法行為をして切られたわけではない。日産という会社を守るために必要だという理由だけで切られたのだ。

 そうして守った日産に対する一連の私物化は、仮に法の網を潜り抜け合法であったとしても、許されるべきではないだろう。少なくとも、日産を地道に支えてきた人々は絶対に許さないだろうと思う。

 今回の逮捕劇は、日産のゴーンやルノーに対する恩知らずだという声がフランスや米国から上がった。しかし、今や収益や利益でルノーを支えているのは日産である。すでに恩は返して余りある。

 また、そういう声を上げる人々は、ゴーン氏の「成果」を日本の現場が支えていたことや、ゴーン氏のやり方がその現場を疲弊させていたことは理解していないだろう。こうしたことは、日本として海外に主張していくべきだと思う。

 日産の今後の発展を考えれば、トップが法外な報酬を受け取りつつ、サプライヤーが生きていけないようなコスト削減要求を出し続ける経営は、終わりにしなければならない。

 そして、ルノーとの提携関係を考え直すいい機会だとも言える。

 ケイレツによる長年の取引が、一部で馴れ合いを産んでいたことも事実だろう。また、利益に対する意識を外国人経営者が変えたこともあったと思う。

 日本型経営の悪い面を変えることに外国人経営者が良い刺激を与えたこともあったかもしれない。

 しかし、疲弊する現場がある一方で、高額な報酬を19年間ももらい続けて君臨する正当性はどこにあるのか。

 「世界標準の報酬」という言葉が何の裏打ちもなく飛び交っているが、自動車メーカーの底力は現場力であることを考えれば、日本以下の車を作る国の「世界標準」ではなく、廉価で高品質の日本車を本当に支えてきたものを尊重するべきであろう。

筆者:渡邊 光太郎

JBpress

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