<発掘調査>流水庭園 織田信長が「石と水」でおもてなし

12月8日(金)14時44分 毎日新聞

上流(左上)にある庭園から流れてきた水が、指の先の部分でたまり(池)になり、右下の排水施設に向かう。たまりに敷かれた石が小さいことがわかる=岐阜市千畳敷下の居館跡発掘現場で2017年12月7日、高橋龍介撮影

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 織田信長は流水庭園で客人をおもてなし−−。岐阜・金華山のふもとにある織田信長居館跡の発掘調査を行う岐阜市教育委員会は7日、これまでに確認された庭園の遺構から新たに水路の跡が見つかり、複数の庭園が水路でつながれていることを確認したと発表した。上流の庭園から流れてきた水がたまり(池)となり、池の底には色の付いた小さな石を敷き詰めて美しさを演出していたとみられる。市教委は、信長が石と水の物語をつむぐ庭園美で訪問者のおもてなしに心を砕いたものと考えている。


 今年7月から進めてきた調査で判明した。池は居館跡の7庭園の一つで、東西4メートル、南北1.8メートル、深さ約20センチ。現場付近にない長径2〜3センチの青、黄色を帯びた白、黄の丸い石を敷き詰めている。形状から川原の石とみられ、付近の長良川から運ばれた可能性もある。


 山側からゆるい傾斜をつけて水が流れるよう設計されたことも新たに分かった。池の脇には景石と呼ばれる大きな岩も配置され自然の情景を模している。


 水の流れは2カ所でそれぞれ二つの庭園を結びつけており、あふれた水は地下に浸透させる構造だったことも判明した。


 このような工夫について市教委では「京都訪問のたびに庭の観察を重ねた信長が庭園文化を岐阜に移植しようとした可能性もある」と話している。


 今回の発見について、京都造形芸術大の仲隆裕教授は「池と池が色石を敷き詰めた優美な流れの庭によって結ばれていたことがほぼ明らかとなったことは、庭園の配置が綿密な計画のもとで行われていたことを示している。排水を庭園として活用し、水路網により下段の園池の水源にする技術は注目される」とコメントしている。


 2007年度から始まった発掘調査はこれでいったん終了する。当初から関わってきた市教委の高橋方紀係長は「恐らく軍事施設だろうとの思いで始まった発掘だったが、庭が見つかるなど、信長の繊細さとおもてなしの心を発見した。驚きの連続だった」と述べた。今後は約7万5000点の瓦や中国製陶器破片などの出土品の分析を進め、成果を報告書にまとめるほか、発掘現場の公園整備も検討する。


    ◇


 市教委は9日午前10時から正午まで一般向けに現地説明会を開く(小雨決行)。10時にロープウエー乗り場南側で担当者による約20分間の説明会を予定。問い合わせは同委(058・214・2365)。当日の問い合わせは午前8時半から正午まで発掘案内所(058・264・4480)。【高橋龍介】

毎日新聞

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