フィリピンの海底で戦艦山城・扶桑ら「西村艦隊」5隻発見

12月8日(金)15時9分 おたくま経済新聞


 マイクロソフトの共同創業者ポール・G・アレンさん率いる株式会社バルカンのプロジェクトが、フィリピンのスリガオ海峡の海底で、1944年10月25日のスリガオ海峡夜戦で沈んだ日本の戦艦「山城」「扶桑」をはじめとする5隻の軍艦を発見したと発表しました。

 ポール・G・アレンさんは、私費を投じて第二次世界大戦の沈没した軍艦を捜索したり、貴重な軍用機や戦車などを蒐集し「フライング・ヘリテージ・コレクション」として一般公開しており、ミリタリーファンには知られた存在です。

 コレクションの中にはフォッケウルフFw190D-13(JG26司令フランツ・ゲッツ機)や一式戦闘機「隼」I型乙(キ43-I乙)といった、現存唯一の機体(どちらも飛行可能なコンディション)もあります。また飛行可能なMiG-29UB(元ウクライナ空軍機)や、2017年秋アニメ『少女終末旅行』に登場するケッテンクラート(Sd.Kfz.2)も。

 ここ数年、アレンさんのプロジェクトはフィリピン近海で戦没した各国の軍艦を次々と発見しています。2015年には戦艦武蔵、2017年8月には、アメリカの巡洋艦インディアナポリス(原爆の部品を輸送後、日本の伊58潜水艦の雷撃により沈没)が見つかり、今回はスリガオ海峡で1944年10月25日未明に発生した「海戦史上最後の戦艦同士の砲撃戦」、スリガオ海峡夜戦で沈んだ日本海軍の艦船を捜索していました。

 調査船ペトレル搭載の無人潜水艇により、2017年11月22日から11月29日にかけて行われた海中捜索で発見されたのは、レイテ沖海戦(捷一号作戦)に参加した、西村祥治中将が指揮する第一遊撃隊第三部隊、通称「西村艦隊」に所属する第二戦隊の戦艦山城(旗艦)、戦艦扶桑、第4駆逐隊の駆逐艦満潮、駆逐艦朝雲、駆逐艦山雲の5隻。フィリピンのスリガオから35海里ほど離れた、スリガオ海峡の水深200mから600mの海底でした。

調査船ペトレル(Photo credit:Courtesy of Paul G. Allen)調査船ペトレル(Photo credit:Courtesy of Paul G. Allen)

無人潜水艇(Photo credit:Courtesy of Paul G. Allen)無人潜水艇(Photo credit:Courtesy of Paul G. Allen)

無人潜水艇での調査風景(Photo credit:Courtesy of Paul G. Allen)無人潜水艇での調査風景(Photo credit:Courtesy of Paul G. Allen)

 公開された画像や動画によると、戦艦山城は直径3.5mのスクリュー部分、そして艦首部分が映っています。上下逆さまに着底しており、艦首の菊の御紋章は失われていました。また、上部2階層分の甲板も失われていたといいます。

山城のスクリュー山城のスクリュー

山城の艦首部を底側から見る山城の艦首部を底側から見る

 扶桑は戦闘中、艦中央部にある第3・第4砲塔の弾火薬庫が誘爆し、前後真っ二つに割れて別々に沈没したためか、公開された映像では、後から沈んだ艦尾部分だけが映っています。沈む前から転覆していたのですが、そのままの状態で沈んでいったらしく、2つのスクリューと舵が確認できました。

扶桑のスクリューと舵扶桑のスクリューと舵

 父親が第二次大戦に従軍したことで、戦争についていろいろ調べるようになったというアレンさんは、戦死者に敬意を払う人物です。今回発見した5隻の戦艦・駆逐艦についても、むやみに引き揚げをはかるのではなく、そのままそっとしておくようです。1500名ほどが乗艦していたとされる山城の生還者は10名、同じく扶桑も数名しか生還せず、スリガオ海峡夜戦での日本側犠牲者は4000名を超えるとされます。これからも多くの御霊を抱いて、これら5隻は海底で眠り続けることでしょう。

Photo credit: Courtesy of Paul G. Allen

(咲村珠樹)

おたくま経済新聞

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