「降りる駅をひとつ変える」ことがイノベーションにつながる理由

1月7日(火)6時0分 ダイヤモンドオンライン

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度重なる増刷が続く入山章栄氏の最新刊『世界標準の経営理論』。

800ページを超える本書の読み方は読者に委ねられる。もちろん初めから読み進めても良いが、著者が推奨するのは、読者自信が興味のある箇所から読み進めていくスタイルである。約30の経営理論を網羅する本書は、どこから読んでも良いように作られている。いわば辞書のような利用こそが、本書を最大活用する方法のひとつだ。


前回に続き、本書から「知の探索・知の深化の理論」を抜粋する。ここまでは「知の探索」を進める戦略として、オープンイノベーションやCVC投資を解説したが、続いて解説するのは、組織レベルでの取り組みだ。加えて本稿では、イノベーションを起こすためには、個々にどのような取り組みが必要かについて、具体的に解説する。キーワードは「イントラパーソナル・ダイバーシティ」だ。



USA Todayはどのようにして復活したのか


 組織レベルで「知の探索」を促すにも様々な施策があるが、なかでも典型的な施策は、組織を「知の深化部門」と「知の探索部門」に分けることだ。構造的な両利き(structural ambidexterity)と呼ばれることもある。


 この分野で多くの研究成果を残しているのは、ハーバード大学のマイケル・タッシュマンとスタンフォード大学のチャールズ・オライリーだ。彼らが2004年に『ハーバード・ビジネス・レビュー』(HBR)に発表した論文では、構造的な両利きの成功例として、米大手新聞USA Todayを取り上げている(※1)。


 1990年代に販売部数の落ちてきたUSA Todayは、「USA Today.com」というインターネット上のニュース配信サービスを立ち上げた。しかしこの新規事業部門は、当初まったくうまくいかなった。前章で述べたように「知の探索部門」は、最初から成果が出ることはそうそうない。結果、収益性の高い既存部門と比べられると、徐々に「成果が出ない」と見なされて、やがて予算も回らなくなってくる。


既存事業と別の評価軸


 そこで当時の社長トム・カーリー氏は、インターネット・ニュース配信事業を既存の(紙媒体の)新聞事業から完全に切り離し、人材も、事業方針も、ビルのフロアまでも分けることにしたのだ。さらに重要なのは、評価軸を既存事業と別にしたことだ。


 他方で、カーリー氏は「知の深化」も重視した。例えば、この新規事業の担当役員には社内でも彼と意見の近い人物を登用し、新聞部門の担当役員と頻繁に知見をシェアさせて、情報共有を促したのである。結果、USA Today.comは米新聞社のオンラインメディアで最も成功したとまで言われるようになった。


 この事例などをもってタッシュマンとオライリーは、企業が構造的な両利きを成功させるには、「(1)新しい部署に必要な機能(例えば開発・生産・営業)をすべて持たせて、独立性を保たせること」「(2)一方、トップレベル(例えば担当役員レベル)では、その新規部署が既存の部署から孤立しないように、両者が互いに知見や資源を活用し合えるよう交流を促すこと」の重要性を主張する(※2)。


日本でイノベーションを促すには「評価制度の見直し」が不可欠


 筆者がUSA Today.comの事例で特に注目したいのは、評価軸である。筆者は私見として、日本企業でイノベーションを促すためには、評価制度の見直しが不可欠だと考えている。繰り返しだが、知の探索は遠くの離れた知を組み合わせることだから、失敗も多い。その時に既存事業と同じ評価制度を使っていては、知の探索は続かない。一般に、多くの企業は人を「その期の成功・失敗」で評価するはずだ。しかし、自分が成功・失敗の紋切り型で評価されるとわかれば、人はその瞬間から失敗を恐れ、知の探索をやらなくなる(※3)。


 実際、最近のスタートアップ企業や海外の大手企業では、評価制度を見直す動きが急速に進んでいる。ドイツSAPなども導入しているノーレイティング(No Rating)なども、導入の背景の一つには成功・失敗の紋切り型の評価を避ける、という理由があるはずだ。


日本企業は「人材の多様化=ダイバーシティ」の重要性の理解が乏しい


 組織レベルの知の探索でもう一つ重要なのは、間違いなく人材の多様化(ダイバーシティ)だ。


 そもそも「知」は、人が持っている。したがって組織内に多様な人がいれば、離れた知と知の新しい組み合わせが組織内で多く起こり、新しい知が生まれやすいはずなのだ。このように、いま世間で盛んに言われているダイバーシティ経営は、経営学の視点からは、「知の探索を促し、イノベーションにつながりうる」から求められる。その意味で、ダイバーシティはイノベーションが枯渇する日本企業でこそ、真剣に検討すべきであろう。


 しかし、日本企業ではこの「なぜダイバーシティが必要か」への理解と腹落ちが、極めて乏しい。加えて課題なのは、ダイバーシティには「知の探索」の効果もあるが、他方で「男性vs.女性」「日本人vs.外国人」などの属性だけに頼ったダイバーシティでは、知の探索効果が十分に発揮できないことだ。この点は、第20章「認知バイアスの理論」で解説している(※4)。


ダイバーシティは一人でもできる


 本章は、それとは異なる視点を提供しよう。それは、「ダイバーシティは一人でもできる」というものだ。知の探索・深化の理論に基づけば、ダイバーシティの本質は、知の探索を促すためにある。だとすれば、先のように「一つの組織に多様な人がいる」(=組織ダイバーシティ)ことも重要だが、「一人の人間が多様な、幅広い知見や経験を持っている」のなら、その人の中で離れた知と知の組み合わせが進み、新しい知が創造できるのだ。これを、経営学ではイントラパーソナル・ダイバーシティ(intrapersonal diversity)と呼ぶ。「個人内多様性」という意味だ。筆者は「一人ダイバーシティ」と呼んでいる。ダイバーシティは、一人でもできるのだ。これが、個人レベルの知の探索である。


 イントラパーソナル・ダイバーシティという言葉は、初めて知った方も多いだろう。それもそのはずで、ここ10数年くらいの間で、経営学で注目されている新しい概念だからだ。近年は実証研究が進んできており、そして多くの研究で「イントラパーソナル・ダイバーシティが高い人は様々な側面でパフォーマンスが高い」という結果が得られている。例えば、同分野の先駆けとなったワシントン大学のスチュアート・バンダーソンらが2002年にAMJに発表した論文では、米フォーチュン100の44企業の経営メンバーそれぞれのプロフィールデータを集め、ファイナンス、R&D、営業、マーケティングなど、様々な職能を経験している経営メンバー(=イントラパーソナル・ダイバーシティの高い経営メンバー)がいる企業ほど、業績が高い傾向を示している(※5)。


革新的な人は「イントラパーソナル・ダイバーシティ」が高い


 実際、「いま革新的なことをしている人は、ことごとくイントラパーソナル・ダイバーシティが高い」というのは、筆者の実感でもある。例えば、「日経ウーマン・オブ・ザ・イヤー2017」の受賞者の方々がそうだ。同賞はビジネス界で革新的なことを成し遂げた女性を、表彰する制度だ。


 そして、そこで選ばれる方の多くは、イントラパーソナル・ダイバーシティがことごとく高い。例えば同賞の表彰イベントで、筆者は受賞された林千晶氏、小林せかい氏、そして小島由香氏と公開対談をした。そこで気づいたのは、この3名が全員とも「全く異なる業界の間を移籍した経験がある」ことだ。例えば林氏が創業したロフトワークは、クリエイター同士をつなぐプラットフォームをつくる先進企業だが、同氏はそもそも共同通信の記者だった経歴を持つ。小林せかい氏は東京・神田で「未来食堂」を経営する社会起業家だが、元々はIBMのエンジニアだ。小島氏に至っては、現在はFOVEというVR装置を開発するスタートアップの創業者だが、元は漫画家である。


 みなことごとく、イントラパーソナル・ダイバーシティが高いのである。こういった方々が、揃いも揃ってウーマン・オブ・ザ・イヤーに選ばれるのは、やはり偶然ではないだろう。その幅広い経験が、知の探索になっているのだ。実際、例えば小島氏にお話を伺うと、同氏がFOVEのVRヘッドマウントの仕組みを思いついたのは、漫画家時代の経験に起因しているそうだ。


 筆者は、何も「日本人は全員転職しろ」と言っている訳ではない。先のWiLやローンディール、クロスフィールズのように、転職をしなくても人を動かす仕掛けはある。ポイントは、この人を動かす仕掛けが、知の探索になることだ。


知の探索に「適切な幅」はあるか


 このように知の探索は、戦略としても組織としても重要なだけでなく、個人レベルでも進めるべきといえる。


 すると興味が出てくるのは、「では、我々はどの程度の範囲まで知の探索を広げればいいのか」ということではないだろうか。図表2のイメージでいけば、どこまで矢印を縦方向(知の探索側)に寄せるか、ということだ。



 実は、これは筆者が講演をした際に、よく聴衆の方から尋ねられることでもある。知の探索は確かに重要だが、「あまりにも自分が持つ知とかけ離れたところまで探索しても、それは離れ過ぎて意味がないのではないか」という疑問なのだ。筆者は長い間この質問に対して、「そんなことは考えず、まずは知の探索をしましょう!」と、回答になっているような、なっていないような対応をしていた。いま思えば、筆者自身もこの点に明確な思考の軸がなかったのだ。


イノベーションの2つの成果:技術的ブレークスルーと経済的価値の創出


 この疑問に対して一つの視座を与える、興味深い研究があるので、ここで紹介しよう。それは、トロント大学のスター研究者サラ・カプランらが2015年に『ストラテジック・マネジメント・ジャーナル』に発表した実証研究である(※6)。


 余談だが、この論文は実証分析手法としても興味深い。なぜなら同論文は経営学で機械学習(machine learning)を取り入れた、パイオニア的な研究の一つだからだ。人工知能(AI)が社会に浸透する中で、近年の経営学では、機械学習を実証研究に取り入れることが、普通に行われるようになっている。章末コラムでは、神経科学のアプローチも取られていることを紹介しているが、このように世界の経営学は最新の実証手法を貪欲に取り入れているのだ。カプランの論文は2015年に発表されたから、類推しても遅くとも2010年代初頭には、彼女は機械学習を自身の研究に取り入れていたことになる。


 この論文でカプランが指摘したのは、イノベーションには少なくとも2種類の異なる成果があることだ。一つは、「極めて技術的な、ブレークスルーなアイデア」を生み出すことだ。例えば、当該分野で革新的な技術を生み出す、などがそれに当たる。そしてもう一つのイノベーション成果は、「経済的な価値を生み出すアイデア」だ。両者の違いは重要だ。生み出された技術がいかに画期的なものでも、それが「価値」に変わらなければ意味がない。両成果とも重要だが、ビジネスにおいて最終ゴールは後者になる。しかしその実現のためには、前者も欠かせない。図表3はそれを図示したものだ。



 そしてカプランは実証研究のために、ナノチューブに使われる分子に関する技術に注目し、同分野の特許データを大量に収集した。そして、機械学習の中でもトピックモデリングというテキスト解析手法を使って特許文書を分析し、そこから「ブレークスルーなアイデアを生み出した特許」と「経済価値を生み出した特許」を抽出したのである。そして統計分析を行った結果、「前者を生み出すのはやや狭い範囲の知の探索で、後者を生み出すのは広い範囲の知の探索である」という結果を得たのだ(図表3参照)。


経営者の知の探索は広く、広く


 この結果を追試した研究を筆者は知らないので、カプランの研究結果がどこまで普遍的なのかは、まだわからない。しかし仮にこの結果が様々な分野に当てはまるとすると、それは興味深い示唆を持つ。「適切な知の探索の幅はどこか」という問いに、一つの視座を与えるのだ。


 まず、ブレークスルーなアイデアを出すためだけなら、実は知の探索はそこまで極端に広くなくていい、ということだ。例えば、製薬メーカーの研究者が経済や歴史を学んでも、それが斬新な医薬品の開発に結び付くとは思えない。知と知が遠すぎるのだ。それよりは、低分子医薬を研究していた人が抗体医薬を学ぶ(これでもかなり遠いかもしれないが)程度の、やや狭い探索の方が効果的ということだ。


 しかし、いかにブレークスルーな技術が出てきても、ビジネスである以上それを価値に変えなければならない。「技術を価値に変える」のは研究所の所長かもしれないし、マーケティング担当者かもしれないし、そして何より経営者になるはずだ。こういう人たちは、やはり可能な限り、広く、遠くの知までを探索する必要があるということだ。図表4はそのイメージである。



 実際、筆者の周りでも、世の中に革新的な価値をもたらしているイノベーティブな「経営者」は、ことごとく、非常に広範な知の探索をされている方が多い。その筆頭は、ネスレ日本CEOの高岡浩三氏だ。同氏は、大ヒットしたキットカットのキャンペーンに始まり、ドルチェグスト、アンバサダー制度など、革新的なビジネスを提示してきたイノベーターだ。その高岡氏は「イノベーションとは、認知の範囲にあるお客様の問題を解決すること」と述べる。まさに、知の探索の発想である。そして高岡氏にお話を伺うと、同氏が幅広い認知視野を持てたきっかけは、ネスレのグローバル環境を経験した部分が大きいと言う。ネスレは言うまでもなく世界中から人材が集まり、ダイバーシティが極めて高い。結果、日本の「常識」にとらわれず様々な意見を周囲からぶつけられ、それを契機に狭い認知での常識にとらわれない発想ができるようになったのだ。


 広範な知の探索を、明確にアクションに落とし込んでいる方もいる。ゴーゴーカレーの創業者社長・宮森宏和氏だ。ゴーゴーカレーは、日本第2位のカレーレストラン・チェーンに上り詰めただけでなく、いまやレトルトカレーや学校給食にも進出している。その宮森氏の座右の銘は、「創造性は移動距離に比例する」というものだ。まさに広範な知の探索の行動である。実際、宮森氏は日本中・世界中を飛び回っており、ゴーゴーカレーは米ニューヨークにも進出を果たしている。


「知の探索」は個人が小さな仕掛けで慣れることから


 そして、最後に先のWiL創業者の伊佐山元氏である。筆者は伊佐山氏を、早稲田大学ビジネススクールの授業にゲスト講師としてお呼びしたことがある。その授業で伊佐山氏は、当校の社会人学生から「変化を起こすには、まず何をすればいいか」という質問を受けた。そして伊佐山氏の答えは「まずは今日、あなたが帰る時に降りる駅を、一つ変えましょう」というものだったのだ。


 伊佐山氏の答えを筆者なりに解釈すれば、「知の探索はまずは小さな仕掛けからでいい。ただそれを繰り返して、探索に慣れることが重要だ。やがて、それを続けていけば広範な知の探索もできるようになる」ということだと考えている。知の探索は、どうしても大事のように見えてしまう。企業の戦略レベルならオープン・イノベーションだし、組織レベルはダイバーシティなど、様々なコストも伴う。しかし同時に、知の探索は続けなければ意味がない。だとすれば我々に今日からできることは、まずは個人で小さな仕掛けからでも始めて、それを続けていくことではないだろうか。


 ちなみに筆者のオススメは「目をつぶって書店に入り、どこかわからない本のコーナーに行ってから、最初につかんだ本を絶対に買って最後まで読みきる」というものだ。読書も重要な知の探索だからだ。ただし辞書だけはつかまないでほしい。


※1)_O’Reilly C. A. & Tushman, M. L. 2004. “The Ambidextrous Organization,” Harvard Business Review, Vol.82, pp.74-81.(邦訳「『双面型』組織の構築」DHBR2004年12月号)


※2)_さらにタッシュマンとオライリーは、2010年に『インダストリアル・コーポレート・チェンジ』に掲載した論文 “Organizational Designs and Innovation Streams” の中で、チバ・ビジョン、HPスキャナーズ、ポラロイド、ファイアストンなど米13企業へのインデプス・サーベイを行った結果として、イノベーションを生み出すための組織デザインを4つに分類した。そして、やはり新しい部署にすべて機能を持たせて独立させる「両利きの組織」(ambidexterial organization)の構造を持った企業が、その後のイノベーション成果が高いという結論を得ている。


※3)_INSEAD(欧州経営大学院)のスンキー・リーらが2017年に『オーガニゼーション・サイエンス』に発表した研究では、知の探索・知の深化の理論を前提に「短期成果がそのまま報酬に直結する仕組みを辞めると、人は知の探索を進める」という仮説を立てた。韓国企業の営業マン47人の30カ月にわたる営業行動データ(観測数1万6652)による統計分析から、リーらは仮説を支持する結果を得ており、特にこの傾向は日頃から業績の高い営業マンに顕著であることを明らかにしている。


※4)_この問題については第20章で詳細に説明しているので、関心のある方はそちらをお読みいただきたい。また、日本企業がダイバーシティの目的を深く考えずに導入してしまっている背景については、第30章をお読みいただきたい。


※5)_Bunderson,J. S. & Sutcliffe, K. M. 2002.“Comparing Alternative Conceptualizations of Functional Diversity in Management Teams: Process and Performance Effects,” Academy of Management Journal, Vol. 45, No. 5, pp. 875-893.


※6)_Kaplan,S. & Vakili,K. 2015. “The Double‐Edged Sword of Recombination in Breakthrough Innovation,” Strategic Management Journal, Vol.36, pp.1435-1457.

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