若き最優秀アジア新人監督が映す「パラレルワールド」#NEXT_U30

1月9日(水)17時19分 Forbes JAPAN

Forbes JAPANでは、次世代を担う30歳未満のイノベーターにインタビューを行う「NEXT UNDER30」をスタート。2018年8月に、Forbes JAPANが開催した「30 UNDER 30」特集。そのときに取り上げきれなかった、知られざる若手イノベーターたちを継続的に取り上げていく。

「不寛容さが目立つ時代に、他者の人生を身近に感じられるような作品を作りたくて」そう話すのは、映画監督の清原惟。劇場デビュー作である「わたしたちの家」は、PFFアワード2017グランプリを受賞し、2018年1月にはベルリン国際映画祭への正式出品も経験。18年6月には、中国最大の映画祭「上海国際映画祭」で最優秀アジア新人監督賞受賞。香港や台湾、チリ、ブラジルなどの国際映画祭にも参加するなど国際的な評価も高い。

そんな若くして活躍する映画監督に、映画の道を志したきっかけや、作品づくりに懸ける想いを聞いた。



──大学院の修了制作として撮影された「わたしたちの家」は、国内外の映画祭などで多くの人の目に触れました。17年末のPFFアワードのグランプリ受賞を機に飛躍の1年だったと思いますが、振り返っていかがですか?

「わたしたちの家」は、いわゆる分かりやすい娯楽映画ではないので、人によってはどう観たら良いのか分からないと思うかもしれないし、どのように観ていただけるのか不安はありました。でも結果として、作品に対する感想や意見は賛否両論あるにせよ、自分が想像していたよりも「良かった」と言ってくださる方が多かったです。

「分からない部分があるけど、それが心地よかった」「難しかったけど、おもしろかった」など、「分からないこと」をストレスとしてではなく、心地よさとして感じてくださった方が多くいた事は自分でも驚きでした。「分かること」ばかりが映画の面白さではないということを、多くの人と共有できたことは、とても嬉しいことでした。

──国内と海外で、反応に違いはありましたか?

日本よりも海外の人の方が、はっきりとした回答を得たい気持ちが強いように感じました。

──というと?

ネタバレしちゃうのであまり詳しく言えないですが(笑)、「わたしたちの家」は、ストーリーの中で観ている方が知りたいであろう謎が、謎のまま終わってしまいます。その部分に対して、海外では上映後の質疑応答で「あれの答えはなんだったの?」と必ず聞かれたんです。

対して日本の上映会では、あまり聞かれなかった。分からないものや曖昧なものに感じる美学は、日本的な感性なのかもしれません。

──曖昧さの受容は確かに日本的かも知れませんね。

実は本作のテーマの一つで「境界線」があります。古い家を舞台にしているのですが、それは、昔の家は生活の境界線が曖昧だから。壁ほどはっきりと空間を区切っていない障子や、「靴で歩ける室内」という意味でちょっと外のような、でも内側の空間でもある土間があったり。

家という小さな空間の中で2つの世界がパラレルワールド的に進んでいく映画なのですが、パラレルワールドが交差する、2つの世界の境界線が曖昧になる瞬間があります。それを、古い家を舞台にすることで視覚的にも示しています。



──現実世界に目を向けると、インターネットの中での人格と、現実世界の人格が異なるなど、テクノロジーの進歩によってあらゆる境界線が曖昧になっています。

作品に社会的なテーマを直接持ち込むことはしていませんが、複数の世界がある世界観は、インターネットが存在する現実世界からもインスピレーションを受けていると思います。

今回複数の世界が同時に進行していく映画にしたのは、「他者への想像力」を描きたかったから。なぜなら、私は社会の不寛容さを、インターネットを通してより強く感じるようになったからです。

例えば、赤ちゃんを連れたお母さんが電車に乗ってきた時の心無い反応や、マイノリティに対する理解のない発言など、もちろんそればかりではないにせよ、インターネットによって人々の不寛容さが表出してきたように感じています。

確かに現実社会での「世界は一つ」ですが、それぞれ見ている景色は人によって全く違うから、それぞれが捉える感じ方も全く違う。つまりそれは、同じ空間にいてもそれぞれ「別の世界」を生きているのではないか、そう私は考えています。

自分の世界以外に、他者の世界も存在していることを意識できないことが不寛容さに繋がる。だからこそ、「全く違う世界に身を置く他者を、身近に感じる」映画を描こうと思いました。

──そもそも、清原さんが映画に興味を持たれたきっかけはなんだったのでしょうか。

高校生の時に、ロシアの映画監督であるアンドレイ・タルコフスキーの作品を観たことがきっかけです。

それまでは、実写映画ではなくアニメーションが好きでした。特に押井守監督が好きでよく観ていたのですが、ある時テレビか雑誌かで、押井監督はもともと古い映画が好きで、特にタルコフスキーに影響を受けていると聞いたんです。「それは見なければ!」と、地元のレンタルショップでタルコフスキーの作品を探しました。

初めてシネコンでかからないような芸術性の高い映画を観て、「自分が好きな映画を見つけた」と感じました。そこから、ミニシアターで上映されているような昔の映画にハマり、ヌーヴェルヴァーグ(編注:フランスで1950年代末にはじまった映画運動)の映画なども観るようなっていきました。

──初めて映画を撮られたのも、高校生の頃だと伺いました。

当時観ていた映画は、「私にも映画が撮れるかもしれない」という気持ちにさせてくれました。高校生の私にとって、ヌーヴェルヴァーグの映画などは、手持ちカメラを街に持っていって、友達みたいな女優さんを好きなように撮っているように見えたんです(笑)。そこで、友人と「遊びで撮ってみよう」と映画を撮ったのが最初の映画製作でした。

撮影はとても手応えを感じました。それは、誰かから作品を評価されたからではなく、撮っていて、とても楽しかったという意味で。この経験から「もっと映画を撮りたい」と考えるようになり、映像を学べる大学に進学しました。

──東京藝術大学大学院の映画監督コースでは、黒沢清監督、諏訪敦彦監督の授業を取っていたと聞きました。どんな影響を受けましたか?

映画製作において、「制作過程」が作品に与える影響の大きさを学ばせていただきました。

東京藝大の大学院では、いわゆる教科書的な「プロの制作方法」で映画を作ることを学ぶ場でした。とても合理的な方法で勉強になったのですが、一方で教授である諏訪さんの制作方法は独特で、脚本を使わないんです。既に確立された方法で撮りたいものを撮るのではなく、作り方から映画の内容を作っていくのが映画製作なんだ、とその時学びました。その影響は、いまも強く受けていると思います。

──これからの目標はありますか?

自分が本当に撮りたい映画を、撮り続けていきたいです。当たり前のように聞こえますが、これはすごく難しいこと。

自主映画にスポットライトが当たる機会が増えてきているとはいえ、日本の商業映画という舞台で、新人監督がオリジナル企画を撮ることは現状はとてもむずかしい。商業映画と芸術性の高い自主映画が分裂してしまっている問題と向き合いながら、自分が本当に撮りたい映画を、仕事として撮り続けたいと心から思っています。



きよはら・ゆい◎1992年東京生まれ。武蔵野美術大学映像学科卒後、東京藝術大学大学院映像研究科に進み、黒沢清、諏訪敦彦両監督に師事。藝大の修了作品として制作された「わたしたちの家」は第39回ぴあフィルムフェスティバル(PFF)、「PFFアワード2017」のグランプリを受賞し、2018年2月に開催された第68回ベルリン国際映画祭に正式出品。

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