「単位あげない」殺人未遂事件を起こした甘えの構造

1月13日(月)6時0分 JBpress

近代的な大学の校舎

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 1月10日の夕刻、名古屋市内の名城大学「天白キャンパス」理工学部の研究実験棟で40歳の准教授がハサミで首などを刺される、殺人未遂事件が発生したことは、すでに報道されている通りです。

 犯人として、建物内にいた理工学部3年の学生(22)が殺人未遂の疑いで逮捕されました。警察の調べに対して、容疑を認めているようです。

 事件の直前、容疑者は「リポート提出が期限に間に合わないこと」を謝罪するべく、准教授の研究室を訪ねたようです。

 年明け第1週末、金曜の10日がリポートの提出期限であったらしく、その期限にリポートが間に合わないと謝罪に向かったところ、「単位をあげないと言われ腹が立ち、何度も刺した」と供述しているとのこと。

 各種報道はもとより、ネット上にも様々な記載が見られますが、アカデミアの観点から他メディアの記さないであろう内容を中心に、考えてみたいと思います。


「単位あげない」と学事カレンダー

 まず、話題になっている「単位をあげない」から、年間の学事カレンダーを考えてみます。

 正月休み明け、第1週末に提出期限を設定されたリポートであれば、まず間違いなく昨年12月以前に出題されたものでしょう。

 犯行があった建物は実験棟で、そこに居室のある先生が被害者なので、もしかすると実験実習のリポートなのかもしれません、

 つまり12月後半以前に実験の日取りがあり、終了後2週程度の猶予を与えてリポート提出期限を定めるのが普通と思いますので、それに間に合わなかったといった状態が考えられます。

 さて、1年を通じて「大学にとっての1月」が、どういう時期かを考えてみましょう。

 世間は正月かもしれませんが、大学にとって1月は、何よりも「入試」のシーズンです。これは1年の最重要行事で、いささかのミスも許されません。

 また「卒業」のシーズンでもあります。

 入試で入ってくる人がいると同時に、卒業して行く人もいる。大学院も併設されていますから、単に学部卒だけでなく、修士論文審査、博士論文審査など、個別審査も山積することになる。

 要するに、忙しいということです。

 お盆や正月は、世の中は静かですが、役所は概算要求などで死にそうになる時期ですし、大学は入試や院試、論文や学位の審査で、スケジュールが真っ黒になる時期です。

 そして今回の犯行ですが、「学部3年」のリポート提出とあります。

 これは、期限を厳守してもらわないと一番困る対象になります。

 というのも、入試とか学位とか、他に動かせない日程が山ほどあるので、その合間に採点し、単位を発給するしかありませんから、決められたルールに従って、まるで税金の申告のように、きちんと履修してもらわないと

1 教員もしっかり採点できませんし

2 教員が採点した成績は、今日通常、電子システムを通じて事務方に受け渡され、教務担当の事務職員が整理して個別の成績に直さねばなりません。

 つまり、私が採点するのは「必修情報」とか「展開科目・暗号資産」とか「ゼミナール 作曲・指揮」とか、個別の採点表で、そこには多数の学生の名が並び、それに対して平等に、ある意味機械的に成績をつけ、期限までに教務にこれを提出します。

 受け取った教務の方では、今度はそれを、個別の学生の成績に振り分け、一人ひとりの生徒の取得単位数や平均点など、個別成績を作らねばなりません。

 昨今は電算化、自動化が進み、かつてとはずいぶん様相が変わりましたが、成績ですから、神経を使う作業であるのは間違いありません。

 その結果、一人ひとりの学生について「単位が足りている、進学」「単位不足、留年 卒業延期」といった審判も下されるわけですから、十分慎重に、正確に執り行うべき事務作業が、膨大に存在しています。

 これらの成績業務と「入試業務」「学位審査・学位発給業務」が、同期して大挙して訪れるのが、大学における「春の採点」にほかなりません。

 こんな時期に3年生のリポートで、提出に間に合わないものがあれば、ルールに従って平等に、「単位発給は来季また頑張ってください」としか言いようがありません。

 というのも、ほかの学生はきちんと期限に間に合って提出しているのだから、同じ条件で出題して、間に合わなかったのであれば、自分の責任ですから、単位など出るわけがありません。

「私の履歴書」の類、つまり成功した経営者などの昔話で、スポーツに熱中して試験を受けなかったけれど、先生が温情で単位をつけてくれ、卒業させてもらったというような話を目にすることがあります。

 こうしたものは大学教員の率直な感想として、今日では、有害無益でしかない、昔話と言わざるを得ません。

 かつての「教務課」であれば、事務官が紙カードで作業しており、万年筆で成績を書き込んだりしていたので、牧歌的な「温情」も可能だったかもしれません。

 しかし、今日の成績発給システムは、ほぼすべてが電算化されており。粛々と進めていくしかない、ある意味、非人間的なプロセスになっています。

 病院で、午前中の診療受付締め切りに間に合わなかったけれど、急患なので先生どうか診てください・・・といった遅れであれば、様々な酌量もあってよいと思います。

 しかし、学部3年の平時リポートのようなもので提出に遅れたものを一つひとつ例外措置していたら、教員も事務職員も、とてもではないですが手が回りません。

「単位をあげない」というのは個人の意地悪ではなく、ルールを守って大学が動いているだけなのです。

 大きなシステムの当たり前のこと、最低限守らなければならない約束であることを背景とともにまず記します。

 そのうえで「単位をくれない」から「逆上して」「ハサミで」「首を何回も刺し」大量の出血を負わせる殺人未遂に及ぶという愚挙を検討してみましょう。


幼児化するサービス顧客

 人はどういうとき、逆上するでしょうか?

 行き場のない怒り、不条理、あるいは、当然と思っていることが通らない、などの折に、逆上して人を殴ったり、怪我をさせたり、場合によっては刺したりすることがあるように思います。

 つまり、この犯人にとって、単位というのは「謝罪」に行けば、「当然発給されるもの」であるという、根本的な誤解と「甘え」があったのではないか、と思われるわけです。

 現実の、今日の大学での単位発給業務というのは、上記のように事務フローが確定しているのに加え、成績発効の資料保存も義務づけられており、納得のいかない成績があれば、理由の開示請求も、少なくとも私の勤務する大学では、学生に認められています。

 仮にこの学生が、実験単位がついておらず「不満だ」と申し立てをすれば、「あなたは1月10日の提出期限にリポートを提出しませんでした。よって自動的にそこで今季の単位発給はなくなります」と整合した解答があり、そこまでで終わりです。

 というのも、同様の理由で単位が出なかった人が、今までにもたくさんいるはずですから、それとの平等性も確保せねばなりません。

 報道は「警察は、リポートの提出をめぐって准教授と口論になり事件に至ったとみて、いきさつを調べています」と伝えますが、上記のような大学のメカニズムまで警察が踏み込むことはあり得ません。

 読者の方が本件、現時点で深い理解をお持ちと考えていただいていいと思います。

 つまり、この学生は単位というのは「先生が出してくれ、先生に誤りに行けば何とかなるものだ」という程度の短慮、狭い了見しかもっていなかったわけです。

「単位を出せるはずの先生が。出さないという、不合理だ」という念頭で、幼稚園児が「先生のばか ばか」と、拳で先生のエプロンを叩くのと、あまり変わらない精神構造です。

 しかし、ハサミで准教授の頸部を狙って「先生のばか、ばか」と「何度も刺した」ということだと思われます。

 先生にとって不運だったと思うのは、この科目が実験なのか何なのか分かりませんが、多分必修科目だったのでしょう。単位が出ないと留年などあり、犯人学生も逆上したのだと思います。

 必修ということは、教師も生徒も、相手を選べないということです。

 強制的に学校がアサインし、生徒はその先生に指導してもらわねばならず、先生もその学生を担当せねばならない。

 この犯人にはっきり見て取れるのは「自己中心的で幼稚な思考と、暴力的な行動との短絡」です。

 かっとなって発作的に刺したなどとの記事もありますが、前日に「その目的」で、はさみを購入などという活字も目にします。つまり、今後の捜査を待つべきかと思いますが、ろくな話でないのは間違いありません。

 近年見られる「学生の幼稚化」は、少子高齢化に伴う「教育のサービス産業化」が、明確にその背景に指摘することができます。

 親は、高い授業料を払っているのだから、入学した子供は卒業して当然程度に思っている。

 スポンサーである親の了見は、そのまま子供の意識になりますから、「授業料払ってるのだから、単位ちゃんと出してください。ちょっとくらい遅れたからって意地悪しなくてもいいじゃないか」といった本音が垣間見えます。

 つまり、子供の考えで、ハサミを逆手に大学教授相手の殺人未遂にまで及んだという、まさに、世も末な事態としか言いようがありません。

 幸か不幸か、私はもう必修は担当しておらず、私を志望してやって来てくれる学生を母集団からセレクションして指導するケースしかありませんが、こういう本質的な「心得違い」の根治は、非常に難しいような気がします。

 今回の犯人の「子」の「甘えの構造」の背景には、この学生の親御さんということではなく、社会全般の「教育はお金で買えるもの」というプロト・モンスターペアレント的な錯覚、勘違いがあります。

 日本の大学の学費を値上げするべきか、という議論があります。

 米国では年間数百、数千万円という学費の一流大学が決して少なくありませんが、そういう大学でも、期日までにリポートを出さなければ単位などつくわけがありません。

 しかも、容易に学籍を失いますし、その際、あらかじめ払った数百万円、数千万円はフイになります。でもそれは、明らかに自己責任です。

 これが日本なら「数千万円も取っておいて、単位を出さないのか」と逆上する親が出ても、およそ不思議でありません。

 今回の「リポート遅れ、単位あげない殺人未遂」事件。私たち大学教員には、およそとんでもない事件としか言いようがありません。

 その背景には、学生ならびに学費出資者の「顧客意識」が根深く存在しているように思われてなりません。

(つづく)

筆者:伊東 乾

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