「創業期以来の赤字」トヨタが危機管理に一度だけ失敗した日

1月13日(水)11時15分 プレジデント社

記者会見する日本自動車工業会の豊田章男会長(トヨタ自動車社長、左)(東京都・港区)=2020年3月19日 - 写真=読売新聞/アフロ

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新型コロナウイルスの影響で自動車業界は危機にある。だが、トヨタ自動車だけは直近四半期決算で黒字を計上した。なぜトヨタは何があってもびくともしないのか。ノンフィクション作家・野地秩嘉氏の連載「トヨタの危機管理」。第15回は「リーマンショックの悪夢」——。

※本稿は、野地秩嘉『トヨタの危機管理 どんな時代でも「黒字化」できる底力』(プレジデント社)の一部を再編集したものです。



写真=読売新聞/アフロ
記者会見する日本自動車工業会の豊田章男会長(トヨタ自動車社長、左)(東京都・港区)=2020年3月19日 - 写真=読売新聞/アフロ

■創業期以来の赤字を出したリーマンショック


トヨタの危機管理が本格的に始まったのは1995年の阪神大震災だった。その次に訪れた危機は災害ではなく、景気後退による需要の急減で、2008年のリーマンショックである。


同年9月のことだった。

アメリカの投資銀行、リーマンブラザーズが破綻した。それをきっかけに世界的な株価下落、金融不安が起き、同時不況となったのである。


自動車業界も影響を受け、トヨタは翌2009年の決算で4610億円の赤字となった。これは創業期以来のことだ。リーマンショックでは先進国の新車需要は止まり、トヨタだけでなく自動車各社は赤字になっている。GM、クライスラー、サーブは破綻し、富裕層の固定客を持つ、あのポルシェまでが苦境に陥った。


「他社に比べればトヨタはまだいい方じゃないか」


そんな声もなかったわけではない。しかし、トヨタの現場には悲壮感が漂っていた。


「不況の時、減産に対しても利益を確保できる」ことがトヨタ生産方式の特徴とされていたのに、リーマンショックではそれがまったく通用しなかったからだ。


同社の原則、トヨタ生産方式が形骸化していたことが明らかになったのがリーマンショックだった。


■人も設備も機械も増やし急成長を遂げていた


危機に至るまでの推移は次のようなものだった。リーマンショック直前までトヨタの業績は右上がりだったのである。


「2007年末時点でのトヨタの海外生産拠点(エンジンなどユニット工場を含む)は、27カ国・地域で53事業体を数え、それまで10年間の1.5倍に増加した。また、日野自動車とダイハツ工業を加えた連結ベースの世界生産台数は、2000年の594万台から、2007年には950万台へと拡大していった。7年間で356万台の増加であり、年平均で約50万台の成長が続いた。トヨタの生産拡大は海外を中心に、年産能力20万台規模の工場を毎年2〜3カ所新設するハイペースで進んだことになる」(『トヨタ自動車75年史』)

毎年、50万台の増産とは2年に一度、スバル(年産約100万台)と同じ規模の自動車会社ができるのと同じだ。人も設備も機械もどんどん増やしていって、コントロールが効かない状態になっていたのである。


そして、新設した工場ではトヨタ生産方式の指導が行き渡っていなかった。新設工場では部品在庫も完成車在庫も膨らんでいたのである。



■なぜ異常に気づけなかったのか


当時の経営目標は「生産台数で世界一になること」。経営陣が明言したわけではない。しかし、策定されていた「グローバルマスタープラン」は拡大偏重主義だった。(赤字の年に社長になった豊田章男はすぐにそのプランを破棄している)


現場では「1000万台を達成する」ために車を増産し、ヤードには車があふれ、完成車を積み込む自動車専用船の手当てに悩む状態だった。


そんな状態だったのに、誰も「止めろ」と言わなかった。


トヨタ生産方式の原則のひとつが異常の顕在化である。ヤードがあふれているのは異常だ。生産現場は自主的にラインを止めなくてはならなかったはずだ。ところが止められなかった。



写真=iStock.com/deepblue4you
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/deepblue4you

リーマンショック時のトヨタはトヨタ生産方式を忘れていた。異常を見る目を持っていなかったし、顕在化する決断もできなかった。


全社員が世界一の生産台数という目標に走っていたため、現実よりも目標数字を見ていたのである。


まさしく危機だった。では、彼らはどうやって危機へ対処し、それを乗り越えたのか。


■震災危機を経験した男の焦り


「リーマンショックの前まで、現場はイケイケどんどんだった。危機感がなかった。危機感がなかったから、危機管理なんて考えていなかった。だから、僕はリーマンショックの時の教訓はちゃんと残しておかなきゃならないと思っている。耳に痛い話を語るのが僕の仕事だから。


リーマンショックの前の危機といえば阪神大震災でしょう。震災のあった1995年からリーマンショックまでは10年以上も時間が空いていたから、危機を知らない社員が増えていた。それもまた問題だった」


当時、河合満は61歳。理事兼本社工場の工場長だった。


とにかく売り上げは伸びる一方だったから、多少、利益率が悪くなってもそれを指摘する人間はいなかった。また、河合が会議で指摘しても、その声はかき消された。


河合は言う。


「急成長している時に、危機の種は蒔かれていたんだ。そして、赤字になって、みんなパニックになった。対処といえばとにかく出金(でがね)を抑えること、それと止められるラインを止めることだった。


業績は急回復した。だが、黒字になったからといって、それが危機管理に成功したわけではない」



■機械の修理は決して延期しない


なぜかといえば、それは急回復させるために、設備と機械の計画保全を先送りしたからだった。計画保全とは壊れていない機械、寿命が来たわけではない設備を先々のことを考えて定期的にオーバーホールすることだ。


本来はそこまでやらなくてもいいことだけれど、トヨタの現場では高い可動率を維持するために外注保全費にも定期的に予算を使っていた。ところが、リーマンショックの時は繰り延べたのである。


「あの時は、計画保全を先延ばしにした。だがリーマンショックから3年経った時、設備、機械の修理が増えた。しかも、突発で症状が出たから、専門家に突貫で直してもらうことになる。そうなると、修理費も高くつく。設備、機械はちょっと摩耗した時に変えればいいんだ。その方がかえって安くつく。だが、いい勉強になった。以後、我々は設備、機械の修理を先延ばししたことはない」



写真=iStock.com/Yarygin
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Yarygin

■「危機管理の失敗」から学んだこと


「ただし、その後、うちは定量保全から兆候保全に変わってきている。定量とは生産量に応じて、生産量が多い時には1回、少ない時には2カ月に1回、期限を決めてやること。これが定量保全。だが、リーマンショックの後の大修理からは兆候管理にして、故障する兆候が見えたものから順次、直したり、交換することにした。さまざまなところにセンサーを付けたんです。


『電圧がちょっと高めに出てきた、どこかが摩耗して負荷がかかってるんだな。じゃあ、早めに換えよう』。時期を待たずに兆候が出たら換える。すると大修理が少なくなる。ただ、兆候を知るためにセンサーをつけるポイントが問題だ。どこでもいいわけじゃない。匠の保全マンが、ここだという場所に取り付けないとセンサーの役割を果たさない。リーマンショックは危機管理で成功ではなかった。だが、いろいろ教えてもらった。


あの時の反省として、今回の新型コロナ危機では『修理の金はケチるな』と社長も番頭も言ってくれた。現場にしてみればありがたい話ですよ」


■トヨタ生産方式は「コロナ赤字」も防いだ


河合はリーマンショックの後、急回復できたのは「トヨタ生産方式をちゃんと運用したから」と言っている。


止めるべきラインは止め、止めるべき拡張計画も止めた。原価を低減し、いい車を安く作れるようにした。そうして、経済が回っていた中国など新興国マーケットで新車の販売を伸ばしていったのである。


危機から回復するには原則を原則通りに運用する。原価を低減するとともに。出て行く費用を減らす。それを毎日やる。


今回の新型コロナ危機ではリーマンショックの反省を生かして、フレキシブルな対応をすることができた。それが赤字決算に陥ることがなかった理由だ。



河合は「あの時に比べると、うちは体力がついた」と表現する。


「リーマンショックの時は赤字が4600億。前年より1割5分も生産台数が減って、大きな赤字になった。それがコロナ禍では生産台数が前年よりも2割減ったにもかかわらず、5000億の黒字を出せることになった。合わせて1兆円ぐらいの差が出たわけだ。 なにしろリーマンショックから10年で損益分岐点を200万台くらい下げることができたのだから、大きなことだ」


■すべては現場の小さな積み重ねだ


「体力をつけるには作り方を改善するしかないんだ。商品の売値は変わらない。原材料の仕入れ値だって変わらない。企業体力をつけるには作り方を変えて安くするしかない。そして安く作るとは、少ない人数でいいものを作ることだ。




野地秩嘉『トヨタの危機管理 どんな時代でも「黒字化」できる底力』(プレジデント社)

僕ら経営側は生産性をこれだけ上げろ、総費用をこれだけ下げろという、ある程度の目標は出す。しかし、それに対して現場のみんなが自分から、よし、これぐらい改善しよう、人工(にんく=1日に働く作業量の単位)も減らそう、原価を安くしようと考えることが重要だ。


軍手1枚が汚れたら捨てるのじゃなくて、洗ってもう一回、違うところで使う。工具を入れるビニール袋を今までは捨てとったけど、そのビニール袋を他で使う。そういう小さなことの積み重ねですよ。それを一人一人が毎日、自分からやる。結果としてそれが黒字に結びついた。赤字からの回復は大きなことを1回やったわけじゃない」



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野地 秩嘉(のじ・つねよし)

ノンフィクション作家

1957年東京都生まれ。早稲田大学商学部卒業後、出版社勤務を経てノンフィクション作家に。人物ルポルタージュをはじめ、食や美術、海外文化などの分野で活躍中。著書は『トヨタの危機管理 どんな時代でも「黒字化」できる底力』(プレジデント社)、『高倉健インタヴューズ』『日本一のまかないレシピ』『キャンティ物語』『サービスの達人たち』『一流たちの修業時代』『ヨーロッパ美食旅行』『ヤンキー社長』など多数。『TOKYOオリンピック物語』でミズノスポーツライター賞優秀賞受賞。noteで「トヨタ物語—ウーブンシティへの道」を連載中(2020年の11月連載分まで無料)

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(ノンフィクション作家 野地 秩嘉)

プレジデント社

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