「シオミさんこれも人生だよ…」脳出血の絶望にいた私にリハビリの師匠ミスター長嶋茂雄がかけてくれた言葉

2025年1月14日(火)17時15分 プレジデント社

巨人のファン感謝イベントで行われた球団創立90周年セレモニーで言葉を交わす長嶋茂雄さん(中央左)と柴田勲さん(=2024年11月30日、東京ドーム) - 写真=時事通信フォト

大病や絶望的な困難に見舞われた時、何が復活の糸口になるのか。10年前に脳出血に倒れ、それまでの日常生活を絶たれた俳優の塩見三省さんは「リハビリの先輩であり同じ病の同志でもある長嶋茂雄さんから受けた教えを、今も心に刻んでいる」という——。

※本稿は、塩見三省『歌うように伝えたい』(ちくま文庫)の一部を再編集したものです。


■同じ病の同志でありリハビリの先輩


初めてこの場所を訪れて、リハビリ室の前でソファに座っていたら、背後からその大きな背中が「イチ、ニイ、サン!」の掛け声と共に私の眼の前に現れた。


ナガシマシゲオさん。


あの人はきっとリハビリの先輩として、同じ病の仲間、同志として私に接し続けてくださったのに違いない。そうでなければ信じられないそれからの4年間であった。


半年に及んだ回復期の病院を退院後、身障者として世間に放り出され、現実に圧倒され自分を見失いかけていた私が、どうしてあの過酷なリハビリを続けられ奮い立ったのであろうか。それは週1回、長嶋さんに逢えるようになったからである。最終的には自宅から病院のある初台(はつだい)まで地下鉄を乗り継いで通うことに決めていたので、公共機関を使うというリハビリにもなっていた。毎週の素敵な時間だった。


長嶋さんだけは逢った人にしかわからない雰囲気があると思う。


「シオミさん、苦しい時には引いたらダメだよ。そういう時こそグッと前に出るんだ!」


そう力強く言ってくださった長嶋さんが、苦しむ私を再び日常社会でのバッターボックスに立たせてくれたのだ。


撮影のために私が2、3回リハビリを休むと、次の週には「シオミさん、先週はどうしたの?」とありがたくも必ず声を掛けてくださった。仕事に戻ろうとする私の意欲と執念をいつも笑顔で喜び励ましてくださった。


■勝負の世界で培われたミスターだけが持つ優しさ


関西生まれの私は巨人軍のファンというものではなかったが、それでも、昔から長嶋さんには活躍して欲しいという気持ちを持っていた。そう思っていた人は多いと思う。


初めて声を掛けていただいた時は嬉しかった。ツーショット写真も撮っていただいた。NHKの『あさイチ』金曜プレミアムトークに出演した時に有働由美子アナウンサーが、その時二人で撮った写真を紹介してくれた。長嶋さんはこういう類のプライベート写真は公になさらないらしいが、有働さんを信用されていたのだろう。快諾していただいたとのこと。


長嶋さんは倒れて2年弱で東京ドームに姿を見せられたと聞いていた。私も倒れて2年が経つ前に『あさイチ』に出て、この身体をテレビを通して全国に世間に晒(さら)した。収録後に有働さんが朝早かったからねとくださったオニギリの美味しさは忘れない。


井ノ原さんと有働さんのリードで初めて病気のこと、リハビリのことを一時間ぐらい話せた。長嶋さんがリハビリということを通して私に大きな世界を見せてくださったから、テレビの生番組で話すことができたのだろう。


その後もずっと週1回、病院で長嶋さんに逢えることにワクワクしていた。長嶋さんにとってはリハビリという感じではなく、もはやトレーニングの域である。私は少し早めに行ってその様子を拝見した。そして、長嶋さんは終わった後、帰りがけにいつも声を掛けてくださった。ずっと勝負の世界で闘ってこられた、ミスターだけが持つ優しさと微笑み。


写真=時事通信フォト
巨人のファン感謝イベントで行われた球団創立90周年セレモニーで言葉を交わす長嶋茂雄さん(中央左)と柴田勲さん(=2024年11月30日、東京ドーム) - 写真=時事通信フォト

■駄目だしの「イチ、ニイ、サン!」


ある日のこと、私はほんの少し弱音を吐いてしまった。


「シオミさん、これも人生だよ……」


長嶋さんに静かにそう返され、言われた時は堪(こら)えきれずに泣いてしまった。


すると、そんな私を館内に響きわたる大声で励ましてくださった。


「ガンバレ! ガンバレ! ガンバレ!」


私の胸の内に熱いものがいっぱいに溢れた。


ある映画が完成して、長嶋さんは公開前の試写会での私の姿をテレビのニュースか何かでご覧になったのだろうか。私の立ち姿についてこう聞かれた。


「シオミさん、あれは何分くらい立ってないといけなかったの?」
「うーん10分ぐらいです」


私がそう答えると、


「駄目だよ、10分ぐらいは頑張らないと。じゃあ見ているから歩いて!」


長嶋さんはそう言うと、いきなり私の「杖なしでの歩き」を見てくださった。私は緊張感で思うように歩けない。足もグラグラし倒れそうになりながらも、なんとか歩く! 長嶋さんも首を振りながら大声で声を掛けてくださった。


「イチ、ニイ、サン!」


長嶋さんのノックを受けたのは、おそらく監督をなさっていたあの頃のジャイアンツの選手以外では初めてだろう。


失敗を恐れず、ささやかな進歩を喜び合える関係。ここにまぎれもなく私の居場所があった。


■「勝つ」とは「精一杯生きろ!」である


2017年の春、ジャイアンツの宮崎キャンプの限定品の帽子を長嶋さんから頂いた。ツバのところには「長嶋茂雄 3」とサインを書いてくださった。もう嬉しくてそれからはリハビリで外出する時には必ずこの帽子を被っていたら、夏の暑さもあり汗でサインの字が滲(にじ)んで消えかかってしまった。


夏が過ぎ秋口に、長嶋さんに思い切って打ち明けた。


「スミマセン、この帽子のサインが……」


そうしたら今度はYGのロゴが入った色紙に「勝つ 長嶋茂雄 3」と書かれたサインをくださった。すぐに神保町の文房堂で額装してもらった。長嶋さんの「勝つ」は「精一杯生きろ!」ということだと思い、一緒に撮っていただいた写真と共に今でも部屋に飾っている。


リハビリテーション病院での長嶋さんは車椅子の人にも腰を屈め、視線を相手の人に合わせて笑顔で話される。この病気では腰を屈めてキープすることは大変なのである。長嶋さんは日本のスーパースターであるけれども、あくまでもこの居場所では、同じ病と闘っている人たちと同じ立場で目線を交わされる。温かく、そしてジェントルな人であった。


1962年撮影の長嶋茂雄(画像=『虹をかける男 実録小説長島茂雄』/PD-Japan-organization/Wikimedia Commons

■一生懸命やれば開ける3つの道


長嶋さんの言葉、「一生懸命にやればできるようになり、もっと一生懸命やれば楽しくなる。そしてもっともっと一生懸命やれば、誰かが助けてくれる!」を心に刻んでいる。


2018年の夏頃に体調を少し崩されたようで、リハビリに行っても逢えなくなり寂しく感じていたが、ニュースで伝え聞く快復の報せに安堵して、毎週この病院でミスターを待った。


2019年、外来でリハビリに通っていた私は、国の決めた規則でHリハビリテーション病院に通えなくなった。長嶋さんにお礼が言えなかったことだけが心残りであった。


それから2年経って、長嶋さんにはテレビで逢えた。東京2020オリンピックはコロナ禍で2021年に延期され始まった。私はオリンピックにはあまり気持ちが向かなかったが、ただ聖火ランナーとしての長嶋さんだけは気になっていた。最後にお会いした頃には聖火を掲げ走ることに一心で、まるで「走る」ようにリハビリで鍛錬(たんれん)されていた長嶋さん。


開会式で両腕を抱えられた姿には、私と別れた時とのあまりの違いに驚いた。しかし夢を叶えられた長嶋さんは一点の曇りなく笑っておられた。


■「師匠! 俺です、シオミです……」


新国立競技場に入ってこられたときの笑顔は、あの日々、小さなリハビリ室で、懸命のリハビリの間に私に向けてくださった笑顔と少しも変わらなかった。どこであっても長嶋茂雄さんで在ることが格好良く、胸打たれたのだった。


「師匠! 俺です、シオミです……」テレビに向かって呼びかけた。



塩見三省『歌うように伝えたい』(ちくま文庫)

リハビリの世界でも、勝つか負けるかの闘いに身を投げてこられた長嶋さん。4年間、週に1回ご挨拶をして、少しお話しするだけであったが、私の心に突き刺さるものがあった。弱音を吐くな!


今もどうして長嶋さんと出逢えたのかわからない。


時期や曜日、時間帯が少しでもズレていたら……。


あの4年間は奇跡であった。いつも同じ態度で明るく、向き合ってくださったあの出逢いのことはエピソードとしてしか書けていないが、長嶋さんが私と同じ症状を抱えていらしただけに誰よりも説得力があり、リハビリの師匠であった。


写真=iStock.com/ImagineGolf
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/ImagineGolf

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塩見 三省(しおみ・さんせい)
俳優
1948年京都府生まれ。演劇を志し、中村伸郎、岸田今日子らと伴に別役実や太田省吾の舞台作品、つかこうへい作・演出の「熱海殺人事件」他に出演。その後、映画「12人の優しい日本人」「Love Letter」「ユリイカ」「血と骨」「アウトレイジビヨンド」、NHK連続テレビ小説「あまちゃん」「パンとスープとネコ日和」他、多数の映像作品に出演。2014年に病に倒れるが、2017年、北野武監督の映画「アウトレイジ最終章」(第39回ヨコハマ映画祭助演男優受賞)で復帰。「劇映画孤独のグルメ」など。近年は、エッセイや脚本、書評も執筆し、著書に『歌うように伝えたい』がある。
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(俳優 塩見 三省)

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