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徹底研究!小池百合子「カイロ大卒」の真偽〈4〉

1月15日(水)6時0分 JBpress

昨年9月、楽天ファッションウィークのレセプションパーティーに登場した小池百合子・東京都知事(写真:つのだよしお/アフロ)

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(黒木 亮:作家)

 これまでたびたび週刊誌などでも取り上げられながら、決定的な証拠を突き付けるまでには至らなかった小池百合子・東京都知事の「学歴詐称疑惑」。アラビア語やエジプト事情に疎い日本のメディアは小池氏の学歴詐称疑惑の追及に消極的で、このままでは、この疑惑は、永遠に疑惑のまま終わってしまうかもしれない。

 小池氏の「お使い」レベルのアラビア語を聞けば、カイロ大学卒業という学歴は即座におかしいと分かる。筆者はアラビア語を学び、エジプトの大学(カイロ・アメリカン大学大学院中東研究科)を卒業した者の責務として、複数回の現地取材を含む調査で疑惑を徹底検証した。その結果、小池氏がカイロ大学の卒業要件を満たして卒業したという証拠、印象、片鱗は何一つ見出せなかった。

 これまで他のメディアが報じてこなかった小池氏の「学歴詐称」を徹底検証するレポートの第4弾をお届けする。

(前回記事はこちら)
徹底研究!小池百合子「カイロ大卒」の真偽〈3〉 エジプトで横行する「不正卒業証書」
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/58857


編入に厳格な規定を設けるエジプトの国立大学

 小池氏は著書などで1972年10月に1年生としてカイロ大学に入学したとしている。しかし、石井妙子氏による『小池百合子「虚飾の履歴書」』(「文藝春秋」2018年7月号、以下『虚飾の履歴書』)では同居女性が、「小池氏が入学したのは1973年10月で、2年生への編入だった。小池氏は『父がハーテム氏(筆者注・当時エジプト副首相兼文化・情報相)に関西学院の数ヶ月間とカイロ・アメリカン大学の数ヶ月間を足して1年間とみなしてくれと頼んで認められ、授業料も入学金も無料になった』と喜んでいた」と証言している。これは同居女性の1972年11月19日付の手紙に綴られているそうである。

『虚飾の履歴書』では、当時別の大学に通っていた日本人女性も小池氏が1973年10月にカイロ大学の2年に編入したことに驚いたと書かれており、筆者が取材した複数のカイロ大学の日本人卒業生も小池氏が2年に編入したことを記憶していた。

 カイロ大学を含むエジプトの国立大学への編入に関しては、厳格なルールが設けられている。編入をするには、エジプトの国立大学のカリキュラムと同等の内容・時間数で他大学で単位を取得し、かつ一定以上の成績を得ていることが必要である。この点はカイロ大学のCentral Transfers Office(中央編入事務所)で確認を取った。2016-17年度の場合は、工学部と医学部の場合は他大学でイムティヤーズ(excellent)以上、実務系学部の場合はジャイイド・ジッダン(very good)以上、理論系学部の場合はジャイイド(good)以上の成績を取っていることが必要である。

 また前述のジャーナリスト、ダリヤ・シェブル氏に確かめたところ「国立大学と私立大学はまったく別の体系で、カイロ・アメリカン大学で仮に10年間勉強し、単位を取得しても、カイロ大学では1年生から始めなくてはならない。これがエジプトの法律である」という答えだった。他大学で1年も終えていない(単位を取得していない)人間が編入を許されることはまったくあり得ない。

 小池氏は関西学院大学には最大で半年程度しか通っておらず、小池氏が籍を置いたカイロ・アメリカン大学のCASAは単なる語学学校で、単位や学位を取得することはできない。もし多くの日本人が証言するように実際に小池氏が1973年に2年生に編入していたとすれば、それ自体が不正編入以外の何物でもない。それは、最初から卒業資格がなかったことを意味する。


入学資格の有無について小池氏は無回答

 米国では2019年に、有名人などが自分の子供のSAT(大学進学適性試験)の点数を上げて、有名大学に不正入学させる組織に対し、チャリティを装って賄賂を払った事件で51人が起訴されるという事件が起きた。そのうちの1人でテレビドラマ『デスパレートな妻たち』に出演した女優のフェリシティ・ハフマンは14日間の実刑判決を受け、去る10月にカリフォルニア州の女性刑務所に収監された。ハフマンの娘ソフィアは大学には入学しておらず、SATを再受験するようだと報道されている。スタンフォード大学は同組織に親が650万ドル(約7億円)を支払い、スポーツ推薦枠を悪用して入学しようとした中国人学生を、提出書類に不正があったとして退学処分にした。

 エジプトの国立大学への編入条件をまったく満たしていないと思われる小池氏に対して、入学したのは1972年か1973年か質問状を送ったが、回答はなかった(小池氏への質問と回答の全文は第6回に掲載予定)。

 なおカイロ大学はアラブ世界では名門の大学で、医学部、工学部、政経学部などには優秀なエジプト人学生が多い。ただし世界的な評価はさほど高くはない。

 英国のQuacquarelli Symonds社が発表している世界大学ランキング(QS World University Rankings)の2020年版では世界521〜530位、エジプト国内では2位で、熊本大学、長崎大学と同程度である。エジプトの1位はカイロ・アメリカン大学(私立・米国系)で世界395位(神戸大学と同順位)、3位はアイン・シャムス大学、アレキサンドリア大学、アシュート大学(いずれも国立)で世界801〜1000位である。


アブドル・カーデル・ハーテム氏とのコネ

『虚飾の履歴書』には、小池氏の「不正入学」に手を貸したエジプト人の大物政治家の名前が出ている。同居女性は小池氏がエジプトの有力政治家だったアブドル・カーデル・ハーテム氏のコネでカイロ大学の2年生に編入したと証言している。

 ハーテム氏は1917年アレキサンドリア生まれ。士官学校、カイロ大学、ロンドン大学を卒業し、ナセル中佐(当時)が主導した自由将校団の若手メンバーとして1952年のエジプト革命(王政打倒クーデターで、翌年共和制に移行)に参画した。

 1957年に国民議会議員、大統領府副大臣、1959年にラジオ・テレビ担当国務相、1962年に文化相、国民指導・観光相、1971年に副首相兼文化・情報相となり、その後は長らく国民評議会(上院に相当)議長とエジプト・日本友好協会会長を務め、2015年に97歳で没した。

 1974年2月(当時は文化情報担当副首相)には公賓として来日し、田中角栄首相、三木武夫副首相と会談し、宮中で天皇陛下に拝謁した。1982年には日本政府から勲一等旭日大綬章を授与されている。

 1974年のハーテム氏の来日に際し、和田力駐エジプト大使は外務大臣に宛てた公電で「最近のエジプト政局の動きの結果、従来から実際上首相を代行して来たハーテム副首相の地位が一層強化されたことはる次(筆者注・たびたび)報告の通りであるが、副首相たる立場で今般6名の報道関係者を伴って日本を訪問することは、エジプトとしては全く異例であって、同副首相の国内政治勢力を如実に示すものであるし、また上記の通り同副首相がこの訪問を如何に重視しているかを示す証左でもある」と述べている。

 2016年にカイロで出版されたハーテム氏のアラビア語の伝記『アブドル・カーデル・ハーテムの日記−10月戦争政府の首班』(著者はエジプト人ジャーナリストのイブラヒム・アブドル・アジーズ氏、邦訳未出版)には、「エジプトのための日本との友好」の箇所に、ハーテム氏は中曽根康弘氏と1954年以来親交があり、中曽根氏から友人の娘であるとして当時学生だった小池百合子氏を紹介され、面倒を見ていたこと、小池氏がハーテム氏をGod fatherとか心の父と呼んでいたこと、小池氏に毎月14エジプト・ポンドの小遣いをやっていたことなどが記されている(小池氏は『振り袖、ピラミッドを登る』の250ページに、エジプト政府から毎月12ポンドの奨学金を受けていたと書いている)。

 一方、小池氏の著書『おんなの人脈づくり』(昭和60年刊)には、自分の父(小池勇二郎氏)が中曽根氏を昔から知っており、自分自身は小学生の頃くらいに中曽根氏と初めて会い、当時、毎年冬に中曽根氏から群馬の白ネギがどさっと送られてきて兄と食べたことが書かれている。

 1973年10月6日、エジプト・シリア両軍が第3次中東戦争(1967年)でイスラエルに占領された領土の奪還を目指し、スエズ運河とゴラン高原に展開するイスラエル軍に攻撃を開始したことで、第4次中東戦争が勃発した。

 エジプトを支援するOAPEC(アラブ石油輸出国機構)が原油価格を1.4倍に引き上げたため、第1次石油危機が発生。彼らに「非友好国」とされた日本は石油供給量削減措置を受け、経済危機に陥った。政府は三木武夫副首相、小坂善太郎元外相らをサウジアラビア、エジプト、アルジェリアに派遣し、日本を「友好国」に変えるよう訴えて歩いた(いわゆる「油乞い外交」)。

 そしてアラブの盟主であるエジプト(アラブ連盟の本部はカイロにあり、ナセル時代(大統領在位1956〜70年)以来、エジプトはアラブ民族主義の象徴的存在だった)に頼り、中東産油国との関係改善を図ろうとした。

 エジプト政府の方も、1972年にソ連顧問団を追放し、親米路線へと大きく舵を切ったものの、「インフィターハ」(門戸開放政策)で貧富の差の拡大、インフレ昂進、対外債務増大に苦しんでいた。


エジプトの対日窓口を牛耳ったハーテム氏

 こうした苦境の中、新たな資金源として期待したのが日本だった。そして対日窓口となり、一手に日本関係を牛耳ったのがハーテム氏である。

 前述の和田力駐エジプト大使の公電には「ハーテム副首相は10数年前から日本に対しては多大の親近感をいだいており(現に日埃(筆者注・埃=エジプト)友好協会会長を務めている)、日本とエジプトとの友好関係の促進を念願としており、個人的にもこの日本との密接なる関係を政治的資産として生かしてゆきたいと考えて居り、いわばその政治生活を一貫して「日本にかけ」て来た人物であり」と記されている。

 和田大使から外務大臣宛の別の公電(1974年1月29日付)では、和田大使と面談したハーテム氏が「三木副総理の御尽力により借款金額が1億ドルに達したことは感謝にたえない。日本政府、特に三木総理には自分からの深甚なる謝意をご伝達いただきたい。早速大統領(筆者注・サダト)に報告するが、大統領も非常に喜ばれることは疑いなく、自分としてもこれで大統領に対しても顔が立つ」と述べたことが記されている。

 前述のハーテム氏の伝記には、自分の政治的業績として、第4次中東戦争以降、スエズ運河再開、オペラハウス建設、小児科病院建設、製鉄会社建設の4件のプロジェクトを中曽根氏に依頼し、日本から20年間にわたって4億ドルの借款を引き出すことに成功したこと、7回訪日し、天皇陛下から勲章をもらったことなどが書かれている。

 さらに1989年2月1日付の読売新聞では、ハーテム氏自身が1974年に天皇陛下に拝謁した際のエピソードとして次のような秘話を披露している。

「オイルショック当時、当時の三木副首相がカイロの私の家にやってきて、アラブ産油国による対日石油禁輸に伴なう日本の深刻な窮状について話した。そこで私は24時間の猶予を求め、その間サウジアラビアのファイサル国王(故人)に電話、日本は友好国だから、ブラックリストから外してほしいと訴えた。国王はエジプトのいうことならと理解してくれて、輸出を再開するよう早速、命令を出すと約束してくれた。陛下は三木さんと私のこのやりとりを十分知っておられたようで、開口一番、『国民に代わってお礼申し上げたい』とおっしゃった」

 要するにハーテム氏は、日本とエジプトの友好関係、経済関係の発展に深く関わり続けて来た大物で、日本の総理大臣とも親交を持つどころか、天皇陛下への謁見を許され、さらには感謝の言葉をいただくほどの人物ということだ。

 エジプト政府の中でカイロ大学を管轄しているのは高等教育・科学研究省で、小池氏が卒業したとしている1976年当時の大臣はエジプトの著名政治家であるムスタファ・カマル・ヘルミー(1976年3月から1978年10月まで高等教育・科学研究相)だった。ハーテム氏とヘルミー氏はともにサダト大統領の側近で、お互いに近い関係にあった。また当時の学長のスーフィー・アブ・ターリブ氏は1978年に国会議長となり、1981年にサダト大統領が暗殺された直後には臨時大統領代行を務めた人物で、やはりサダト大統領に近い人物である。こういうインナー・サークルが協力すれば、“不正卒業証書”を出すのは簡単である。


古代美術品や副葬品を海外要人に贈呈しまくったサダト大統領

 ナセル、サダト両大統領の政策立案に参画し、国民指導相、情報相などを歴任し、アラブの声と言われた全国紙『アル・アハラーム』の編集長も務めた著名作家ムハンマド・ヘイカル氏の著書『サダト暗殺』(1983年刊)には、サダト大統領がカイロ博物館や古代局の保管室から古代美術品や副葬品を大量に持ち出し、外国の政治家などにプレゼントし、莫大な国富を流出させたことが書かれている。

 ユーゴのチトー大統領に高さ47.5cmのホルス(天空と太陽の神で頭部は鷹)の像、ソ連のブレジネフ書記長に高さ22cmのイシス(エジプト神話の女神)と乳児ホルスの像、イラン王妃に宝石のネックレス、イランのシャー(国王)にトート(知恵の神でトキかヒヒの姿)の銅像、シャーの娘婿にオシリス(生産の神で王冠をかぶった男性)の像、ヘンリー・キッシンジャーにトートの像、ニクソン米大統領夫人に23個の金と17個の宝石のネックレス、ニクソン大統領に宝石を象嵌したイシスの銅像、ギリシャのオナシスに大理石の壺、ジスカールデスタン仏大統領に高さ34cmの木製のトート像(頭と足は銅製)、1975年のヨーロッパ、米国訪問の際には長さ65cmと57cmの宝石のネックレス2つ、木製のトート像(尾と足は銅製)20個をプレゼントして歩いた。

 さらにメキシコ大統領夫人には高さ23cmの木と銅製のトート像、フィリピンのマルコス大統領夫人には高さ41cmのトート像。1976年8月には高さ114cmの高価な像12個、オシリスの銅像とサッカラ出土の雄牛像を含む別の12個を古代局の保管室から持ち出し、同年11月には、イラン王妃にネフェルティティが所有していた長さ64cmの金のペンダント付きネックレスなどをプレゼントした。

 これらはすべて古美術品や副葬品で、『サダト暗殺』にはこれ以上の例が記されており、現在の金額に換算して数千億円は下らないと思われる。これに比べれば、カイロ大学の卒業証書の100枚や200枚くらい、どうといこともないだろう。

『サダト暗殺』の中で著者ヘイカル氏は「サダト大統領の晩年の数年間くらい大々的で、組織的規模で略奪がなされた例はない。腐敗はエジプト社会の最上層部から底辺にまで広がった」「彼の外国政治家やその他に対する気前のよさは、目立った。そしてこれは、一方通行ではなかったはずだ。つまりサダトは、贈物の送り手だったと同時に、貰い手でもあった」と述べている。

 そして、エジプト航空がボーイング社から707型機を6機買い付ける際に、875万ドルがスイスの匿名口座に支払われたこと、イラン製のバスやスペイン製の鉄鋼を高価な価格で政府が買い付けたので国会議員が議会で取り上げようとしたりしたが、沈黙させられたこと、カイロの電話網の全面的改修や輸入価格を下回る価格でのセメントの輸出問題、カイロの地下鉄や原子力発電所に関する契約などでも似たような腐敗臭がしていたこと、息子がサダト大統領の娘と結婚したオスマン・アフマド・オスマン氏が所有する大手建設会社アラブ・コントラクターズ社が公共工事で莫大な利益を吸い上げていたことなどを列挙している。

 こうした腐敗と経済的疲弊に対する民衆の怒りが沸騰し、1977年1月、エジプト各地で暴動が発生、1981年9月、イスラム諸グループ、コプト教徒、野党勢力、知識人など1536人の逮捕という政府による大弾圧を経て、1981年10月6日、軍事パレード観覧中のサダト大統領が射殺されるという劇的な事件へとつながって行った。

 小池百合子氏が“卒業証書”を得たエジプトはこういう国で、「腐敗認識指数」105位という順位から見て、今も状況は大きく変わっていないと思われる。


ハーテム家と小池家の深く長い付き合い

 小池氏の父・勇二郎氏はハーテム氏のコネで事業をやろうと目論んでいたとカイロ大学の日本人卒業生の1人は指摘する。勇二郎氏は、中曽根康弘氏を知っており、(真偽のほどは別として)石原慎太郎氏などの有力政治家もよく知っていると吹聴していたので、ハーテム氏のほうも、勇二郎氏を日本との関係で利用したいと思っていたことは想像に難くない。

 現在カイロに住み、小池勇二郎氏をよく知る日本人男性は、1999年か2000年頃、当時埼玉県知事だった土屋義彦氏が娘の品子氏(現衆議院議員)や埼玉県職員など10名ほどの随員をともなってカイロを訪れた際に、市内にある「ディプロマティック・クラブ」で開かれた晩さん会で、小池勇二郎氏が「ハーテムとは旧知の仲なんだよ」と言い、ハーテム氏と親密に話をしているのを目撃し、それとは別の機会に2度ほどハーテム氏と会った際には、ハーテム氏が小池勇二郎氏に関して肯定的に話すのを聞いたという。

 ハーテム氏のほうも、ムバラク大統領になってからは政治の第一線を退いており、自分でビジネスをやるために勇二郎氏以外にも、様々な日本人に助力を依頼していた。前述のカイロ在住の日本人男性も、1998年か99年頃、ハーテム氏から直接電話を受け、話を聞きに行ったところ、電気製品か機械の日本での販売に関し、助力を依頼されたという。

 筆者は2018年9月にハーテム氏の息子であるターリク・ハーテム氏(カイロ・アメリカン大学の経営学の教授、日本エジプト友好協会会長)に会って話を聞いた。彼によれば、小池家とハーテム家との結びつきは長年にわたる強いもので、小池氏が1992年に政治家になってからも、勇二郎氏は時々カイロの高級住宅地ザマレクにある父ハーテム氏のもとを訪れていたそうである。

 2011年のエジプト革命の際には、百合子氏が父ハーテム氏に電話をかけてきて、同年、リビア訪問の際にスケジュールを調整してカイロに立ち寄ったと言う。ターリク氏自身、勇二郎氏が2013年に亡くなる直前に彼に会い、2015年に父ハーテム氏が死去したときは百合子氏に日本エジプト友好協会を続けるよう勧められ、2017年には日本の百合子氏の家を訪問したという。

 ハーテム氏と小池百合子氏はそれくらい親密な関係にあった。そして小池氏のエジプト留学時代、すでにハーテム氏は国内で絶大な権力を持っていた。国立大学の”不正卒業証書”がまかり通るエジプトでのことだ。その気になれば、入学資格のない異国の留学生を、一流国立大学の学部生に押し込んだり、“卒業証書”を与えることなど造作もないことだったに違いない。

(続く)

筆者:黒木 亮

JBpress

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