【最終回】在職50年 小沢一郎「出世とキャリア」

1月18日(土)6時0分 JBpress

2019年1月28日、国民民主党代表の玉木雄一郎氏とともに街頭に立つ、同党の〝一兵卒〟小沢一郎氏(写真:つのだよしお/アフロ)

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 ここまで4回にわたって小沢一郎の政治生活を編年体的にたどってきたが、最終回となる本稿ではその体裁を取らず、まず3つの「法則」に基づいて2000年代と2010年代の計20年間を分析してみたい。50年の政治生活の後半にあたる直近20年間は、まるで物理の法則のように同じ動きを繰り返しているからだ。その後、小選挙区制を柱とした政治改革になぜこだわってきたのかを考察し、小沢が政党で権力を保持し続けてきた理由や背景を探る。


捨て身の合流

法則1 自分の党を解散して大きい党に合流する

 2003年9月、少数野党の自由党が、野党第1党の民主党と合併した。いわゆる「民由合併」である。小沢の狙い通り、合併直後の11月の衆院選で民主党は躍進した。小沢は「自由党は解散し、存続政党は民主党」「民主党執行部もそのまま」「規約や政策は民主党のものを継承」との方針を掲げ、吸収される形で合併した。まさに捨て身だった。

 19年4月にも、小沢率いる自由党(2回目の自由党)は国民民主党と合併し、自由党は解散している。これも03年方式を踏襲している。いずれも「政権を取るため」が大義名分で、小沢は自分が作った政党の存続にはまったく興味がなく、むしろ積極的に党を解散して大きい党と一緒になるという手法を好む。「捨て身で合流」の法則は、相手側の党首が格下・後輩であっても一貫している。

 小沢は何よりも政権奪取に価値を見い出しており、そのためには、どんなことでも受け入れる。このはっきりした姿勢で、2000年代以降も政治生命を維持してきた。自らの地位にこだわり、党の存続自体を重視している野党が多い中、小沢のスタンスは明快である。


「左派」取り込みと「一兵卒」の立ち位置

法則2 「左」を押さえる

 細川護熙政権の経験がベースとなっていると思われるが、小沢は「左」を意識した動きを繰り返している。細川政権時は、社会党左派の土井たか子を衆院議長に押し込めることで「左」を取り込んだ。

 この応用パターンが、03年の民主党合流後にも現れる。民主党入りした小沢は党内の左派リーダーである横路孝弘に急接近し、外交・安全保障問題で議論を重ね、関係を強化していく。横路は自由党の合流に当初強く反対していた背景もあった。今日の政界地図の中では小沢自身が「左」に位置しているように見えるだろうが、その現状認識はさておき、「左」を意

識して布石を打っていくのが小沢の基本原則となっている。

 安倍一強時代に対抗するべく、小沢が共産党の志位和夫委員長に接近したことも、「左」を押さえる戦略・戦術の一環ととらえていいだろう。野党共闘のために、最も「左」の志位とパイプを持つことで、小沢が主導権を握ったのは16年の参院選である。安倍一強の下、32ある1人区で11勝を挙げたのは、一定の成果だった。「左」の法則は、山本太郎を育てたことにも当てはまる。

 ただ、前述のように、近年の小沢自身が完全に「左」に寄っているというのが大方の印象である。政策の振れ幅が大きいのは紛れもない事実だ。自民党時代の小沢を支持していた、いわば代表的な保守層ほど、今の小沢を嫌う。「左」を押さえる戦法は「政策はどうでもいいのか」「数のためなら何でもいいのか」との批判はつきまとう。それでもなお、数にこだわるのが小沢であるのも事実だ。

法則3 一兵卒

 法則1に絡むが、小沢は自ら「無役でいい」と強調する。ポストはいらない、という姿勢を示すことで剛腕のイメージをやわらげ、警戒感を解いているともいえるが、実際に「一兵卒」の時期は少なくない。

 たとえば、民主党に合流した後は、代表代行や副代表として処遇されたものの、党運営に深くタッチしておらず、「一兵卒」に近い。09年の政権交代後、民主党幹事長として政権を牛耳ったが、辞任後は無役のままだった。現在も国民民主党で「一兵卒」であり、肩書き上は、所属議員の1人だ。勤続50年のベテランが「一兵卒」と強調するのはわざとらしいように思えるが、小沢が「一兵卒」と自認して頭を下げる効果は絶大である。


なぜ政治改革なのか

 50年のキャリアのうち、後半のハイライトが2009年の民主党による政権交代であることは論を待たない。小沢は長らく「小選挙区制になれば二大政党に近づき、政権交代が起きる」と主張してきた。実際、その通りの未来が訪れている。小泉純一郎率いる自民党が郵政民営化を問うた衆院選で圧勝したのは05年9月。約4年後、09年8月の衆院選で、今度は鳩山由紀夫率いる野党の民主党が圧勝し、政権交代が実現した。

 小選挙区制導入を柱とした政治改革を小沢が本格的に提唱し始めたのは89年の自民党幹事長以降である。なぜ政治改革が必要だったか。長くなるが、端的にまとめられている小沢の自著『小沢主義』(集英社文庫)から引用する。

「初当選してからそれまで、僕は自民党の政治家として活動してきた。初当選以来、四半世紀にわたって僕は与党にいたわけで、戦後の日本政治がどうやって行われてきたかをこの目で間近に見てきた。たしかに1955年の結党以来、自民党が日本の発展に尽くしてきたことは動かしがたい事実だ(中略)。しかし、どんなことにも寿命はある。時代の流れが変わりつつあるのに、以前と同じことを続けていれば、それはやがて大きなツケとなって跳ね返ってくる」

「僕は自民党の政治手法が限界に近づいてきていることを肌身に感じて、何とか内部から改革できないかと考えるようになった。そこでまず力を入れて取り組んだのが政治改革、中でも衆議院の選挙制度改革だった」

「1選挙区から1人の代議士を出す小選挙区制度に変える。これによって、なれ合いだった政党同士の政策論争を活発化させ、最終的にはイギリスやアメリカのような二大政党制に持って行きたいというのが僕の描いたビジョンだった」

「小選挙区制を導入すれば、これまでのように同じ選挙区から自民党と社会党の政治家が選ばれるということはなくなり、国民は対立する政党のどちらかを選ぶかという選択を迫られることになる」

「権力の中枢近くにいたからこそ、『このままではいけない』という危機感を持つに至ったのだ」

 小沢が政治改革の旗を振ったのは「結局は竹下派内の権力闘争ではないか」との指摘は絶えない。これについては前稿で紹介したのでここでは触れない。

 最近、小選挙区制に対する批判が多くなってきた。「政治家が切磋琢磨しない」「公認さえもらえれば議員になれるので議員の質が劣化している」「中選挙区時代は得票率が20%ぐらいでも当選できた。今はそうではないから、個性的な議員が出てこない」など枚挙に暇がない。しかし、中選挙区制に戻す動きはまだまだ鈍い。良くも悪くも、政権交代を目の当たりにした国民が、中選挙区制への回帰を支持するとは考えにくい。小沢の主張が日本政治の基本的枠組みになっている点は冷静に評価しなければならない。50年の議員生活で小沢が成し遂げた最大の実績は、2度にわたる政権交代というよりも、小選挙区制を導入したことだと言っても過言ではない。


岸と小沢の共通認識「政党こそが権力の源泉」

 一貫して政党側で活動してきた小沢が、なぜこれほどまでに強い権力を保持してきたのか。これは、究極的には戦後の日本政治の仕組みにたどりつく。要は政党に権力が集中しているのが戦後日本の政治体制であり、政党内で力を持てば必然的に権力を持てる、というシンプルな原理を小沢は知り尽くしているのだ。

 戦後の日本政治は大きな反省の上に出発している。それは昭和初期以降、台頭する軍部を政党が抑えられなかった、という反省である。日本国憲法がそのあたりを汲んで制定されたかどうかの個別議論はさておき、権力が政党に集中する体制下で戦後政治は展開していく。

 霞が関官僚が実質的に政治を支配してきたという側面も否定できないが、それは仕組み上の話ではない。

 繰り返しになるが、国政選挙で多数を占める政党が政権を担う。政党が選挙で勝利して初めて政権を獲得できる。首相だろうが、閣僚だろうが、最終的に政党が政治を動かす——。この基本原理に忠実なのが小沢なのである。

 小選挙区制でいうと、小沢とほぼ同じ考えを持っていた大物政治家がいる。岸信介だ。岸は意外にも、戦後を代表する小選挙区制導入論者である。小沢と岸はリンクしにくいが、驚くほど考え方が似ている。原彬久編『岸信介証言録』(中公文庫)から引用したい。80〜82年にかけて原が行ったインタビューである。

「中選挙区よりも小選挙区が優れている最大の理由は、野党を強くするための小選挙区であるということだ。小選挙区は野党を強くしますよ。いまの中選挙区では小党分立のおそれが非常にあるということです。日本の現状からすれば、社会党もいまのままでは天下を取ることは難しい。社会党の天下は、見当がつかんですよ。小選挙区にすれば確かに、以後2回ないし3回ぐらいの選挙では、自民党が圧倒的な勝利を得るでしょう。しかしね、徐々に社会党は力を得てきますよ」

「社会党は全選挙区に一人ずつ立てるのは最初は無理だ。ところが、選挙ごとに候補者は増えますよ。社会党からどういう人間が立候補するかというと、自民党で公認されない連中がそこに流れて行ききますよ。公認から漏れた人たちが野党へ行くわけだ。そうすると、社会党もその本質が変わるんです。労働組合の代表者ばかりということはなくなる。そうすると二大政党というものが本当にできあがって、平和的、民主的に政権の授受が行われるわけだ」

「議会制民主政治を完成するために小選挙区制が生まれ、二大政党制が実現するというのが一番だ。そして、自民党内の派閥解消にも役立つんですよ」

 小沢の持論とほぼ一緒である。さらに、小沢が重視する「数の論理」についても、岸はこう言っている。

「民主政治においてはね(中略)、つまり数ですよ。それがなければ結果は出てこない」

「戦前においては、相当の数をもってしても、いざという場合に陛下のご聖断で決まった。戦後は数が重要だ」(前掲書)


「政党の力」を知り抜いた男

 政治学者の姜尚中は「岸はいつも、意外なのですが、ボトムから政治力を強化してゆくことを考えていた。二大政党制にして国民の政治力の結集を集中化させ、できる限り政争という文脈がないようにしたい(中略)。そのことで官僚制支配を牽制する。ちなみに小沢はそうした政治の仕組みをよく知っているんじゃないかな」との見方を示している(『大澤真幸THINKING「0」第2号』、左右社)。

 おそらく、小沢はこれからも、与野党いずれの立場になっても、政党側で力を保持して政局、政策を動かそうとするだろう。日本政治の仕組み上、政党に権力が集中するという点を見抜いているからだ。

 まさに小沢は、政党政治の申し子なのである。

(了)

筆者:紀尾井 啓孟

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