"看過できぬ"全国の僧侶が警察に怒るワケ

1月25日(金)9時15分 プレジデント社

松本市内を疾走する「坊僧族」のメンバー

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福井県の僧侶が「法衣での運転は危険」として交通違反切符を切られた。この僧侶は支払いを拒否しており、全国の僧侶が「看過できない」と抗議の声をあげている。僧侶(浄土宗)でジャーナリストの鵜飼秀徳氏は「抗議は理解できる。しかし日本の法衣は社会情勢に応じてデザインを変えてきた。法律でダメだと言われれば、改良するしかない」と語る——。

■全国の僧侶がSNSなどを通じて「青切符」に猛抗議


「あの法衣(ほうえ)事件、どう思う?」


いま、全国の僧侶の間で、ある話題が持ちきりである。昨年9月、福井県で法衣(僧侶職にある人がまとう衣装)を着た40代男性の浄土真宗の僧侶が車を運転していたところ、「法衣での運転は危険」として反則金6000円の納付書を含む交通違反切符を切られたのだ。僧侶は納得がいかず、支払いを拒否。同宗派は「宗派全体に及ぶ問題。取り締まりは受け入れがたい」とし、全国の僧侶らもSNSを通じて抗議の声をあげるなど、にわかに騒ぎが大きくなってきている。


ある京都在住の知人の僧侶が、こうつぶやいた。


「京都では法衣を着て運転しても検挙されることはないみたいだけれど、これは看過できないね。私もSNSで抗議活動しようかな」


福井では、法衣を着て運転してはダメだが京都ではOK、というのはどういうことか。福井県では道路交通法施行細則に「下駄、スリッパその他運転操作に支障を及ぼすおそれのある履物または衣服を着用して車両を運転しないこと」と記載されており、これが取り締まりの根拠になっている。


■「法衣で運転」福井・岩手ではNG、京都・長野はOK


この同法細則は都道府県でまちまちなのだ。


たとえば岩手県の細則では「衣服の袖、裾等によって運転の障害となるような和服等を着用して運転することを禁止」とハッキリと規定している。細則によって和装での車の運転が制限されているのは、東北を中心とした東日本に多い傾向がある。


長野県の細則には、具体的な禁止要項がないので取り締まりの対象にはなっていないという。同県に住む知人の僧侶に事情を聞いてみた。彼は地元仏教会で構成するバイク集団「坊僧族」のメンバーである。


坊僧族は例年4月、地元37の寺院で結成する松本佛教和合会が、法衣を着用して原付バイクで托鉢(たくはつ)をして回る。地元の風物詩となっているが、聞けば、法衣の下には作務衣のズボンを着用し、より安全を期しているという。とはいえ、法衣を着たまま車を運転するより、バイクのほうが危険度は高そうな気もするが、これまで取り締まりを受けたことはないという。




松本市内を疾走する「坊僧族」のメンバー

京都府でも特段の規定は見当たらない。それもそのはず、京都は和服の本家本元である。京都では昔から「白足袋族」という言葉があるくらいだ。「白足袋には逆らうな」と言えば、京都では寺院・神社、華道、茶道、花街関係者は影の権力を持っていて、もめるとややこしいことになることを意味する。



■僧侶が「#僧衣でできるもん」で縄跳び動画アップ




※写真はイメージです。(写真=iStock.com/kozuephotography)

京都では現在、官民あげて和装の普及に取り組んでいる最中で、着物姿で街を歩けばさまざまな特典が受けられる。和服姿の観光客がレンタカーを運転する姿もしばしば目にするほどである。


私の近隣でも、日常的に車やバイクや自転車に乗った僧侶が往来する。それはごく自然な風景である。私も法衣姿で自動車を運転することがあるが、とくに1日数十件の檀家さんの自宅を回向(えこう)して回るお盆の季節は、いちいち着替えてなどいられない。


福井県警は「法衣が問題なのではなく、着方が問題」としているが、そもそも日常的に着用する法衣(改良服と呼ばれる)は動きやすく仕立ててあるものだ。現場で取り締まった警官が法衣の知識が及ばなかったのは当然であろうが、その後付けの理由が苦しい。


県警は、「裾をたくし上げたり、袖がシフトレバーの邪魔にならないようにまとめたりするなどの工夫があれば、問題なし」としている。が、袈裟(けさ)の裾をたくし上げれば下半身が露呈してしまい、別の問題が起きそうである。そもそも、オートマチック車全盛の時代に「袖がシフトレバーの邪魔になる」という解釈は疑問だ。


さまざまな報道を受け、ネット上では全国の僧侶が「#僧衣でできるもん」というハッシュタグをつけ、縄跳びなどの複雑な動きが可能とする動画をアップするなど、抗議行動に出ている。


■そもそも法衣(僧衣)とは何か


しかし、ひとたび青切符を切った以上、それが撤回されることはまずありえない。最終的には裁判所の判断に委ねることになりそうだ。


私は個人的にはさっさと反則金を納めて、下手に裁判所の判断を仰がないほうが得策ではなかったかと思う。青切符が正当であると裁判所の判断が下れば、取り締まりが強化されかねない。


本件は仏教界において、歓迎される事態ではない。しかし、法衣が注目が浴びること自体は、悪いことではない。ここで少し、法衣についてその歴史とともに解説したい。


今回、取り締まりを受けた僧侶が着用していた法衣は、浄土真宗では布袍(ふほう)と呼ばれるもの。しかし、私の所属する浄土宗や他宗では「改良服」という名称で使われている。ここでは改良服の名称で解説する。


そもそも法衣(僧衣)とは何か。標準的な衣体は、白衣の上に、黒衣(法要などでは僧階に応じた色付きの衣をまとう)を羽織り、袈裟を着用する。この僧侶が着用する衣服の総称が、法衣(僧衣)と呼ばれている。しかし、現場の僧侶が「法衣」と呼ぶことはあまりない。「衣」あるいは「袈裟」と呼ぶことが多い。袈裟は厳密には法衣の一部を指す。



■警察官にも読んでほしい「法衣・袈裟の発祥」


袈裟の発祥は古代インドの原始仏教にさかのぼる。


お釈迦様が説法の旅に出られた時、美しい田園の風景が目に飛び込んできた。そこで、弟子の阿難尊者に「このような美しい水田のような衣服を弟子のためにつくるように」と命じられた。それが、「福田衣(ふくでんね)」とも呼ばれる袈裟のおこりである。水田を模しているので、袈裟はパッチワークのように複数の布をつなぎ合わせ、つなぎ目には「畦道」のような縁が、デザインされる。


袈裟が1枚の布で作られないのは、金銭的価値、つまり執着をなくすことで修行に邁進できるようにとの意味も込められている。本来、袈裟は掃除で使ったようなボロ切れをつなぎ合わせて作られるものであり、こうした袈裟を糞掃衣(ふんぞうえ)と呼ぶ。


だが、仏教発祥の地インドにおいて、お釈迦様やその弟子たちが着用していた法衣に比べ、日本の僧侶の法衣は似ても似つかぬものになっている。なぜか。


それは日本では6世紀の仏教伝来以降、僧侶は国家の枠組みの中に取り込まれた(官僧)ために、貴族の服装に準ぜられた衣装が用いられるようになったからである。


「そのうち袈裟は、より装飾的な意味が濃くなり、人に見せるための衣装として発達、変化していきました」(久馬慧忠・著『袈裟のはなし』法蔵館)


■車社会に適応した「新・改良服」を考案する時期なのか


現在、市井の僧侶は日常的には、黒衣を簡略化した改良服を身に着けることが多い。改良服の上に、やはり簡略化された袈裟である「輪袈裟」「威儀細」を着用する(詳しくは、プレジデントオンライン2019.1.13『西日本では“遺骨”を火葬場に残すのが常識』)。




※写真はイメージです。(写真=iStock.com/Xavier Arnau/)

改良服とは、その名の通り、正式の黒衣を「改良」し、着脱や動作をしやすくしたものだ。改良服は日常のお勤めや接客、葬儀会場などへ赴く際の移動着などの略装として、用いられる。


実は江戸時代までは僧侶は常に正装が求められていた。だが、明治時代になって新政府によって「平服」が許可されることになった。これは、国家神道を推し進める明治政府の、仏教にたいする俗化政策の一貫として捉えることができる。


近代の僧服改正・改良・改造論をめぐって』(川口高風著、禅研究所紀要 通号 26)には、「ただ、僧侶は平服の着用といっても全くの俗服になることには抵抗があったようで、法衣が日常生活では不便であったところから、法衣らしく簡易なものが基準となり、平常用の略法衣が創作され始めた」とある。


また、過去の戦争も法衣のデザインに大きな影響を与えたとされている。日清戦争以降、僧侶が大陸などの戦地に赴き、戦死者の慰霊や布教などを実施していく。中には、僧兵のように武器を取って戦いに参加した僧侶もいた。戦争と仏教との関連性は、今後、本コラムで論じていきたい。


さらに、明治以降、交通機関が発達していくと、僧侶の移動が増えていく。こうして明治以降、ムラ社会から飛び出して外の世界に活動の場を広げていった僧侶のために、より動きやすい法衣へと「改良」されていったのである。


したがって、日本の法衣は常に社会情勢を受ける形で、デザインを変容させてきた歴史がある。日本は法治国家であるから「法衣で運転はダメ」と言われれば、従わざるを得ないだろう。むしろ、車社会に適応した「新・改良服」を考案する時期にきていると思う。



(浄土宗僧侶/ジャーナリスト 鵜飼 秀徳 写真=iStock.com)

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