トヨタ・日産と対照的に「鎖国」を続けたホンダ、一匹狼からの大転換に至ったきっかけとは?

2025年1月22日(水)5時55分 JBpress

 近年、車両の電動化・ソフト化が進み、大きな分岐点を迎えている世界の自動車産業。米テスラや中国の比亜迪(BYD)といったEV勢の存在感が増す今、日本の自動車産業はいかにして世界の競合と戦うべきなのか。「ソニー・ホンダモビリティは、その疑問に全力で答えを出そうとしている」と語るのは、2024年11月に書籍『ソニー×ホンダ 革新を背負う者たち』(日経BP 日本経済新聞出版)を出版した日本経済新聞社の記者、古川慶一氏と田辺静氏だ。異業種の2社がタッグを組んだ背景に何があったのか、ソニーとホンダの徹底取材を続けてきた二人に話を聞いた。(前編/全2回)


ソニーがモビリティ参入に至るまでの「2つの節目」

──著書『ソニー×ホンダ 革新を背負う者たち』では、ソニーとホンダによる次世代モビリティの開発の内幕に迫っています。ソニーは祖業のエレクトロニクスに始まり、金融・映画・ゲームといった新規事業に挑み続けてきましたが、長らく自動車産業には本格的に参入していませんでした。ソニーが今回モビリティ参入を決めた背景にはどのような経緯があったのでしょうか。

古川慶一氏(以下敬称略) ソニーがモビリティ参入に至るまでには、大きな節目が2つありました。1つ目は、2014年8月に発表された車載向けCMOS画像センサーへの参入です。

 当時のソニーはリーマン・ショックが起きた2008年度からの7年間の最終赤字が累計1兆円を超えており、危機的状況にありました。経営の立て直しが喫緊の課題だった同社が「起死回生の一手」としたのが、車載分野への参入です。「スーパー縦社会」と言われる日本の自動車業界で新参者への洗礼を浴びながらも、2023年度には世界シェア32%と存在感を高めています。

 2つ目は、EV試作車「VISION-S」の開発です。最終製品であるEVそのものを扱うことになれば、車載部品よりも深く人命に直結することになります。ソニー社内でも何度も議論を重ねたそうですが、最終的には「携帯からモバイルへの変化は、人々の生活を大きく変えたメガトレンドだった。次のメガトレンドはモビリティだ。技術の進化がEVや自動運転に移るのであれば、ソニーとして放っておく道理はない」と、成長の可能性を果敢に追求する「ソニーらしさ」が決断を後押ししました。

 そして、こうした2つの節目においてソニーが向き合ってきたのが、創業者時代から続く重しともいえる、ある「不文律」でした。


ソニーが破った「創業期から続く不文律」とは?

──ソニーには、どのような不文律があったのでしょうか。

古川 それは「人命に関わる製品は扱わない」という不文律です。しかし、不文律といっても明文化されたものがあるわけではなく、創業者の井深大氏や盛田昭夫氏が言葉に残したわけでもありません。

 ソニーグループ役員陣の中では最古参の立場で、ソニーの歴史について最もよく知る人物である、ソニーセミコンダクタソリューションズ社長の清水照士氏は「人の安全に関わるような事業は昔からやらない。でも、(車載向けCMOS画像センサーに参入する)その時に変わったんだ」と明かしています。つまり、会社の歴史として人の命を預かる製品を扱ってこなかったために、結果として出来上がった不文律だったと考えられます。

──果敢に事業領域を広げる中で、不文律を打ち破ったのですね。結果として、ソニーはホンダと協業する道を選びましたが、それはなぜでしょうか。

古川 理由は大きく2つあります。1つ目は、自動車業界からのハレーションを回避するためです。

 当初、ソニーが懸念していたのは、他の自動車メーカーから競合とみなされてしまうことでした。そのリスクを減らすためにも、自社単独で自動車を開発するのではなく、既存の完成車メーカーとパートナー関係を組む選択肢を選びました。

 2つ目は、ソニーが試作車の開発を通して「モビリティへの参入は単独では難しい」との見方を強めていたことです。ソニーがVISION-Sを製造したのは、オーストリアに拠点を持ち、トヨタ自動車のスポーツカー「スープラ」などの製造を手掛けてきた車体受託製造のマグナ・シュタイヤーですが、「安全性や保安基準をいかにして保つか」という議論は難航を極めました。

 ソニーグループ会長CEOを務める吉田憲一郎氏は「試作車を作って欧州の街並みを走るのと、量産まで持っていくのとでは大きなギャップがあった」「最終的には我々だけではできないという結論に達し、ホンダとの協業に至った」と語っています。

 量産化を進める上では工場などの大規模設備が必要になることに加え、国や地域ごとに法規や認証制度が異なるため、リコールを含めた厳格なルールへの対応も求められます。こうした自動車産業への参入障壁の高さが、ソニーがホンダと組むに至った大きな理由の一つです。


「60年に1度」の提携を生んだ舞台裏

──著書では、ホンダとソニー、それぞれの創業者である本田宗一郎氏と井深大氏の友好関係についても触れていますが、これまで両社が共にビジネスをすることはありませんでした。今回実現したソニー・ホンダモビリティの誕生については「60年に1度」と表現していますが、両社が手を組んだ背景にはどのような経緯があったのでしょうか。


田辺静氏(以下敬称略) 前提として、自動車業界を取り巻く経営環境の大きな変化が影響しています。日本の自動車産業はこれまで、ハードウエアを中心とした開発を得意としてきました。しかしながら今、世界ではEVやソフトウエア重視の自動車開発で新興勢が急成長しています。

 例えば、テスラは2020年7月、世界における自動車メーカーの時価総額ランキングでトヨタを上回り世界一となりました。また、BYDは元々携帯電話の電池メーカーですが、この電池を内製することで製造コストを抑え、低価格を実現し、大衆向けのEVやPHV(プラグインハイブリッド車)の販売を伸ばしています。同社のEVのみの販売台数は、テスラを抜き世界首位となっています(2023年10〜12月)。

 他にも、華為技術(ファーウェイ)や小米集団(シャオミ)といった異業種からの自動車市場への参入も目立ってきています。こうした状況に危機感を強く抱いていたのが、ホンダ9代目社長の三部敏宏氏です。2021年4月の社長就任会見では「2040年までに全ての新車をEVまたは燃料電池車にする」と述べており、日本の自動車メーカーで初めて脱エンジン宣言をしました。

──三部社長の就任後、ホンダの経営方針はどのように変わったのでしょうか。

田辺 ホンダには「二人三脚より一人で走った方が速い」という言葉が残るように、他社との協業には踏み込まずに自社で一貫して開発や生産を行う、いわば「一匹狼」でした。「仲間づくり」を掲げ、スズキやマツダ、SUBARU(スバル)と株式を持ち合って協業関係をつくるトヨタや、長年にわたり仏ルノーと連合関係にある日産自動車とは対照的だった、ともいえます。

 しかしながら三部社長は、EVへの転換やソフトウエアを搭載した「車のスマホ化」が進む現代において、1社で世界と戦うには限界がある、と感じていました。2022年4月の会見での「スピード感を持ってホンダが描く将来性を実現するためには躊躇なくアライアンスを組む」という発言からも、同社の経営方針の変化が感じられます。

 実際に、韓国LGエネルギーソリューションとのEV用電池の生産会社設立、米GMとのEV・燃料電池分野での提携、日産・三菱自動車との提携など、他社との提携の拡大を続けています。

 これまでの自動車業界は「走る、曲がる、止まる」といった車の基本性能をどれだけ進化させるか、が大きなテーマでした。しかし、近年は車が「鉄の塊」から「ソフトウエアの塊」へと進化しており、自動運転や車内空間の快適性、エンタメ性に論点が移りつつあります。自動車会社だけで新たな価値を打ち出すのは難しくなっています。

 そうした中で、ソニーもEVの試作を通してモビリティ参入に課題を感じており、両社の思惑が重なったタイミングでホンダから声をかけた、という経緯になります。

 三部社長のインタビューで印象的だったのは「ソニーの開発スピードに刺激を受けた」と話していた点です。従来の自動車業界の開発期間に対する考えとは大きな違いがあった、とのことで、開発スピードはさらに早めるべきだと指摘していました。EVシフトに向けて経営スピードを加速させているホンダにとって、ソニーは重要な役割を果たす存在だったのだと思います。

【後編に続く】ついに販売開始のソニー・ホンダ新EV、あえて「テスラ一強」の地で勝負する理由(2月3日公開予定)

■【前編】トヨタ・日産と対照的に「鎖国」を続けたホンダ、一匹狼からの大転換に至ったきっかけ とは?(今回)
■【後編】ついに販売開始のソニー・ホンダ新EV、あえて「テスラ一強」の地で勝負する理由(2月3日公開予定)

筆者:三上 佳大

JBpress

「ホンダ」をもっと詳しく

「ホンダ」のニュース

「ホンダ」のニュース

トピックス

x
BIGLOBE
トップへ