なぜ日本から「GAFAM」は生まれなかったのか…真面目に働く日本人がアメリカ企業に勝てなかった決定的な理由

2025年1月30日(木)10時15分 プレジデント社

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/400tmax

日本からGAFAMのような企業が生まれないのはなぜなのか。コンサルタントの山口周さんは「創造性が必要な課題において、日本はアメやムチを与えがちだ。だが、それらはいずれも創造性をかき立てるどころか、むしろ創造性を破壊している」という——。

※本稿は、山口周『武器になる哲学 人生を生き抜くための哲学・思想のキーコンセプト50』(KADOKAWA)の一部を再編集したものです。


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エドワード・デシ(1942〜)
アメリカの心理学者。ロチェスター大学教授。内発的動機が及ぼす学習や創造性について大きな業績を残した。

■創造性はイノベーションの必要条件


今日、イノベーションは多くの企業において最重要の課題となっています。個人の創造性とイノベーションの関係はそう単純ではなく、個人の創造性が高まったからといってすぐにイノベーションが起きるわけではないのですが、ともあれ「個人の創造性」が必要条件の大きな一部であることは論をまちません。では、個人の創造性を外発的に高めることはできるのでしょうか?


この問題を考えるために、1940〜50年代に心理学者のカール・ドゥンカーが提示した「ろうそく問題」を取り上げてみましょう。まず、図表1を見てください。「ろうそく問題」とは、テーブルの上にろうが垂れないようにろうそくを壁に付ける方法を考えて欲しい、というものです。


出所=『武器になる哲学 人生を生き抜くための哲学・思想のキーコンセプト50』(KADOKAWA)

■「発想の転換」がなかなかできない


この問題を与えられた成人の多くは、だいたい7〜9分程度で、下図のアイデアに思い至ることになります。


つまり、画鋲を入れているトレーを「画鋲入れ」から「ろうそくの土台」へと転用するという着想を得ないと解けないということなのですが、この発想の転換がなかなかできないんですね。一度「用途」を規定してしまうと、なかなか人はその認識から自由になれないということで、この傾向をドゥンカーは「機能認識の固着」と名付けました。


考えてみれば、例えばフェルトペンなどは、ガラス製の瓶に入れられたフェルトに有色の揮発油がしみ込んでいるので、物性としてはアルコールランプとほとんど同じです。で、実際に暗闇ではこれを立派にランプとして使うことが可能なわけですが、なかなか普通の人にはそういう発想の転換ができない、ということをこの実験を通じてドゥンカーは証明しました。


■報酬を与えられると人の創造性はむしろ低下する


その後、ドゥンカーの実験から17年を経て、ニューヨーク大学のグラックスバーグは、この「ろうそく問題」を、人間の若干異なる側面を明らかにするための実験に用い、そして興味深い結果を得ています。彼は、この問題を被験者に与える際、「早く解けた人には報酬を与える」と約束することで、アイデアを得るまでにかかる時間は際立って「長くなる」ことを明らかにしました。


1962年に行われた実験では、平均で3〜4分ほど長くかかったという結果が出ています。つまり、報酬を与えることによって、創造的に問題を解決する能力は向上するどころか、むしろ低下してしまうということです。


実は、教育心理学の世界では、この他数多くの実験から、報酬、特に「予告された」報酬は、人間の創造的な問題解決能力を著しく毀損することがわかっています。


有名どころでは例えばデシ、コストナー、ライアンが行った研究でしょう。彼らは、それまでに行われてきた、報酬が学習に与える影響についての128件の研究についてメタ分析を行い、報酬が活動の従事/遂行/結果のいずれに伴うものであるとしても、予告された報酬は、すでに面白いと思って取り組んでいる活動に対しての内発的動機付けを低下させる、という結論を得ています。


デシの研究からは、報酬を約束された被験者のパフォーマンスは低下し、予想しうる精神面での損失を最小限に抑えようとしたり、あるいは出来高払いの発想で行動したりするようになることがわかっています。


エドワード・デシ(写真=Center for Self-Determination Theory/CC-BY-SA-4.0/Wikimedia Commons

■アメは組織の創造性にとって「害悪」


つまり、質の高いものを生み出すためにできるだけ努力しようということではなく、最も少ない努力で最も多くの報酬を得られるために何でもやるようになるわけです。加えて、選択の余地が与えられれば、そのタスクを遂行することで自分のスキルや知識を高められるような挑戦や機会を与えてくれる課題ではなく、最も報酬が多くもらえる課題を選ぶようになります。


これらの実験結果は、通常ビジネスの世界で常識として行われている報酬政策が、意味がないどころかむしろ組織の創造性を低下させていることを示唆しています。つまり「アメ」は組織の創造性を高める上では意味がないどころか、むしろ害悪を及ぼしている、ということです。


■「報酬が創造性を高める」という誤解は根深い


報酬と学習の関係については未だに議論が収束しておらず、例えばアイゼンバーガーとキャメロンのように「報酬が内発的動機付けを低下させるという警告のほとんどは間違っている」と主張する論者もいるのですが、少なくとも「予告された報酬が内発的動機を低下させる」とするデシの論考については、70年代から続いた議論を経てほぼ結着がついていると考えてもらって構いません。


ところが不思議なことに、経営学の世界では未だに報酬が個人の創造性を高めるという立場を取る論者が少なくありません。例えばハーバード・ビジネス・スクールやロンドン・ビジネス・スクールで教鞭をとっていたゲイリー・ハメルは、イノベーションに関連する論文や著書の中でたびたび「桁外れの報酬」による効果について言及しています。


起業家は小物をねらいはしない。起業家が目指すのは、新興企業の株式である。(中略)


革新的なビジネス・コンセプトと起業家のエネルギーこそ、革命の時代には頼りになる「資本」だ。アイデア資本家が、株主と同等の報酬を求めるのも当然だ。彼らは、確かに短期間で大きな成功をねらうが、同時に自分の貢献に見合う報酬を要求するのである。(中略)


「ビジネスで過去の延長としては考えられない斬新なイノベーションを成しとげたスタッフには、手厚く報いなければならない。斬新なイノベーションを実行すれば、会社がかならず手厚く報いることをスタッフに明確に知らしめる必要があるのだ」


ゲイリー・ハメル『リーディング・ザ・レボリューション


■「お手本」だったエンロンは破綻した


報酬政策に関するこのようなコンセプトに関して、ハメルがたびたび「お手本」として取りあげていたのがエンロンでした。ハメルは、上述した同書においてこのように書いています。


曰く「年輪を重ねた革命家を生み出すためには、企業は報酬を、役職、肩書き、上下関係などから切り離して決めなければならない。実際にエンロンではそうしている。同社のなかにはアシスタントでも取締役を上回る収入を得ている者がいるのだ」(同書P364より)。


しかし、現在の我々は、エンロンや投資銀行で起こったこと、あるいは現在のITベンチャーで起こっていることが、まさにデシの指摘する「本当に価値があると思うことではなく、手っ取り早く莫大な報酬が得られる仕事を選ぶようになる」という事態であったことをすでに知っています。


エンロンがロケットのように上昇する株価を謳歌していたのは2000年代の初頭で、ハメルによる上記の論考が出されたのもその時期のことです。しかし、すでにその時点でデシをはじめとした学習心理学者たちの報酬に関する研究結果は数十年のあいだ公にされており、少なくとも「予告された報酬」が、様々な面でその報酬の対象となる人々の創造性や健全な動機を破壊することは常識となっていました。


■創造性を発揮させたければアメを与えてはいけない


こういった初歩的な人文科学あるいは社会科学領域における知見が、社会のあり様についてもっとも大きな影響力をもつ企業に対して発言力を有する経営科学の領域にほとんど活かされていないという事実には、残念という感慨を通り越して困惑させられます。


ハメルが教鞭をとっていたハーバード・ビジネス・スクールやロンドン・ビジネス・スクールは高額の学費をとることで知られていますが、高い学費を払わされた挙げ句、他分野ではとっくのとうに誤りであることが明らかにされている知見を学ばされた学生はたまったものではないでしょう。


人に創造性を発揮させようとした場合、報酬(特に予告された報酬)は、効果がないどころではなく、むしろ人や組織の創造性を破壊してしまう、ということです。人に創造性を発揮させようとした場合、報酬=アメはむしろ逆効果になる。


■「不確実なチャレンジ」にはムチもいらない


では一方の「ムチ」はどうなのでしょうか?



山口周『武器になる哲学 人生を生き抜くための哲学・思想のキーコンセプト50』(KADOKAWA)

結論から言えば、こちらも心理学の知見からはどうも分が悪いようです。もともと脳には、確実なものと不確実なものをバランスさせる一種のアカウンティングシステムという側面があります。何かにチャレンジするというのは不確実な行為ですからこれをバランスさせるためには「確実な何か」が必要になります。ここで問題になってくるのが「セキュアベース」という概念です。


幼児の発達過程において、幼児が未知の領域を探索するには、心理的なセキュアベースが必要になる、という説を唱えたのはイギリスの心理学者、ジョン・ボウルビィでした。彼は、幼児が保護者に示す親愛の情、そこから切り離されまいとする感情を「愛着=アタッチメント」と名付けました。そして、そのような愛着を寄せられる保護者が、幼児の心理的なセキュアベースとなり、これがあるからこそ、幼児は未知の世界を思う存分探索できる、という説を主張したのです。


■アメリカにはイノベーションが生まれやすい風土がある


これを援用して考えてみれば、一度大きな失敗をして×印がついてしまうと会社の中で出世できないという考え方が支配的な日本よりも、どんどん転職・起業して失敗したらまたチャレンジすればいいといった考え方が支配的なアメリカの方が、セキュアベースがより強固であり、であればこそ幼児と同じように人は未知の世界へと思う存分挑戦できるのだ、という考え方が導き出されることになります。


つまり、人が創造性を発揮してリスクを冒すためには「アメ」も「ムチ」も有効ではなく、そのような挑戦が許される風土が必要で、更にその風土の中で人が敢えてリスクを冒すのは「アメ」が欲しいからではなく、「ムチ」が怖いからでもなく、ただ単に「自分がそうしたいから」ということです。


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山口 周(やまぐち・しゅう)
独立研究者・著述家/パブリックスピーカー
1970年、東京都生まれ。慶應義塾大学文学部哲学科、同大学院文学研究科修了。電通、ボストン・コンサルティング・グループ等を経て現在は独立研究者・著述家・パブリックスピーカーとして活動。神奈川県葉山町在住。著書に『ニュータイプの時代』など多数。
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(独立研究者・著述家/パブリックスピーカー 山口 周)

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